⑧
慧が本気だということは受け止めた。受け止めたはしたが、理解ができない。なんで俺なんだ。クラスの、いや学校中の人気者である慧ならば他にも選択肢は山ほどあるはずだ。
「ナギ!明日の一般公開、結衣ちゃん来れるって!」
相変わらず『普段通り』を貫いている慧がキッチンの暖簾を掻き分けて嬉しそうに声を掛けてきた。今日は学園祭一日目。凪葵は担当ではなかったが、慧のコスプレを一目見ようと詰めかけた生徒達によってクラスの演し物は異常な反響ぶりを見せ、手が回らなくなったキッチンに借り出されていた。
「紹介したいから時間ちょうだいね!」
凪葵が返事をする前にホールの方で慧を呼ぶ声がして、慧は慌てて引き返していく。凪葵もポカンとしている暇はなかった。次々と渡されるオーダーはキッチンのキャパを超えている。何かを考える余裕もなく手を動かしている間に時間は過ぎていった。
『疲れた…』
一日中立ちっぱなしで棒になった足を引きずりながら家へと向かう。コスプレカフェの人気っぷりは演し物の終了時刻が近づいても衰えることがなく、二日目分として用意していた食材の半分を食いつぶした。追加を頼まれた食材の入ったスーパーの袋が重い。小柴にしたやられた一件を機に、クラスメイトの中で凪葵の認知度が上がり声を掛けられることも増えた。学園祭にここまでずっぽりと関わるとは想像もしていなかっただけに、今の状況に改めて驚く。
『それもこれも…アイツが引き金か』
慧がいなければ小柴に呼び出されることもなかっただろうし、NDYの相方が慧でなければ一緒に作業をしていることもなかった。凪葵にとってこれは大きな変化だが、慧はどうなんだろう。いつも人に囲まれている慧には至って普通の事なんじゃないか。特別慧に印象を与える何かをした記憶がない。なぜ慧は自分を選んだんだろう。
「………」
また無限ループだ。誰かこの出口の無いダンジョンの攻略方法を教えてくれないだろうか。
学園祭が終わったら少しゆっくりできるかと思っていたら、後片付けというオマケが案外多かった。クラスの方もそうだが、浅見からは学園祭に付け加えて翌月にある体育祭の準備まで押し付けられているため、NDYの二人は残業続きだ。今日も今日とて凪葵と慧はクラス毎に配布されるハチマキの仕分けに借り出されていた。
「は~ち、きゅ~、じゅ~…やっと終わったぁ!」
最後の青いハチマキを袋に詰め終え、慧がぐったりと椅子に身を投げ出す。
「お、終わったか?おつかれさーん」
後ろの机で別の作業をしていた浅見が振り返った。
「も~ホント人使い荒すぎ!ちゃんと委員にも仕事振ってんのぉ?」
憤懣やるかたない態度で慧は浅見を見やるが、浅見は笑ってごまかす。
「まぁコレやるから機嫌直せって」
浅見は備え付けの冷凍庫から紙パックのジュースを取り出すと凪葵と慧に渡した。
「こんなんじゃ足りないよ~」
「コレ購買で売ってるやつ」
「ハイハイ、文句言わなーい」
不平の声を無視して、浅見は二人を部屋から押し出した。
「もっといいモノくれたっていいよねぇ。どうせ購買のやつならカップケーキとかさ」
廊下を歩きながら慧はまだ不満を口にしているが、しっかりストローを咥えている。
「それ、あんま大差なくないか?」
今までの仕事量を考えると有名店のホールでも足りないくらいだと思いながら凪葵は苦笑した。
「だってコレ90円だよ?!カップケーキは340円もするんだよ!しかもすっごい人気だからなかなか食べれないし!」
慧の主張は握りしめたジュースが飛び出るんじゃないかというくらい力が入っている。凪葵がそれを宥めながら歩いていると、開け放した教室の中から女子生徒達の話し声が聞こえてきた。
「~…で、付き合いだしたらしいよ、あの二人」
「そうなの?!良かったねー!」
「いいなぁ、彼氏」
「アンタ彼氏いるでしょ」
「いるけどさぁ~最近微妙なんだよね」
盗み聞きしようとしているわけではないが、声を潜めようともしない彼女達の声は凪葵の耳まで届いてくる。
「あーあ、誰か他の人探そっかな」
「彼氏カワイソー」
「誰がいいの?あ、ミケのこと好きじゃなかった?」
ほぼ扉の手前まで来ていた二人の足がピタリと止まった。さすがにこれは入るに入れない。当人が傍にいるとも気づかず女子生徒達のおしゃべりは止まらない。
「んーミケかぁ…好きだけどさぁ」
このまま聞いてていいのだろうか。心の中に罪悪感が過ぎる。
「なんかオトコって感じしないんだよね」
凪葵の思考が停止した。悪びれもしない女子の声が続く。
「隣にいたらユウエツカンはあるけどさ」
「…っ!」
無意識に体が動いて教室に飛び込みそうになった凪葵の腕を、慧が強い力で静止した。振り返った凪葵に慧はダメだよ、という風に首を振る。凪葵が口を開きかけると、更に慧は手に力を入れ凪葵をその場から引き離した。
「なんで何も言わないんだよ」
校舎の外まで出るとようやく慧は手を解いた。凪葵は苛立ちを隠せず、お門違いだとは思いながらも強い口調で慧に詰め寄る。
「そういう風に見られてる所があるのはわかってるから」
慧は少し困ったように微笑んだ。
「わかってるって…あんなこと言われてほっとくのかよ」
人格否定とすら取れるあの発言は無視できない。だが、慧は相変わらず困った顔で凪葵を見つめ返すばかりだ。
「ん~…まぁ、全然平気ってわけじゃないけどね」
慧はベンチに腰を下ろすと校庭の方を向いた。
「今まで何回か告白されたことあるんだけどさ、中にはすご~く軽いノリで付き合おって言ってくる人とかもいて。どういう気持ちなんだろうなって思ってたんだけど、そういう人って多分本気で好きなんじゃないんだよね。そしたら今度はなんで本気でもないのに好きって言うのかなって気になって…結局のとこカバンについてるぬいぐるみと同じなんだよ」
慧の比喩表現がわからず、凪葵は首を傾げる。
「え~っとね…つまりボクじゃなくても、他の誰かでも替えがきくっていうか…適度に遊べて、彼氏持ちっていうステータスが保てれば他の人でもいいっていうこと」
あの女子生徒の『ユウエツカン』の中には『人気者である慧の彼女』という地位も含まれていて誰でもいいというわけでは無いと思うが、不愉快なことには変わりがないので凪葵は黙っていた。
「ボク見た目派手だしさ、こんな性格だからちょうどいいんだろうね。でも、不思議とそんなに気にならないんだよ」
慧の声には強がりも失望も滲んでいない。心の底からあっけらかんとしている様子は凪葵には理解ができない。
「でも、ナギが怒ってくれてちょっと嬉しかったな」
慧は振り返るとニッといたずらっぽく笑った。
「ボクが傷ついたって思ったんだよね?」
「そりゃ…あんなこと言われたら普通傷つくだろ」
その普通の反応をしなかった慧に戸惑っているのだが、本人が気にしていないと言うなら仕方ない。凪葵は自分を落ち着かせる為に息を吐いた。
「言葉自体はキツいなぁって思わなくもないけどね。そんなことより…」
そんなことって…本気でどうでもいいのかと凪葵は困惑を通り越して呆れてしまう。
「ボクはナギの気持ちの方が気になるよ」
二人の間に風が吹き抜けた。急に自分の方に向けられた矛先に、凪葵は目を開く。
「ナギはなんで、今でもボクの横にいてくれるの?」
純粋な視線を向けられ、凪葵は固まった。今まで考えたことがなかった。どうして慧が告白してきたのかと、そのことばかり考えていて…
「………」
何か答えなければと口を開くが、言葉は出てこない。そういえばなんで俺は宇佐美といるんだ?コイツといると何かと色々巻き込まれる。面倒事はキライなのに。なんで?
「…それは、NDYがあるから」
浅見が勝手に命名した係が全ての発端だった。
「それだけ?NDYがなかったらボクとは友達でもなかった?」
重ねられる問いに凪葵は返事ができない。そんなこと言われてもわからなかった。クラスの中心にいる慧と端っこにいる自分では繋がるキッカケは限りなくゼロに近いとは思うが。
「そっ、かぁ…」
ポツリとした声に、いつの間にか外れていた視線を慧に戻す。痛々しいほど無理していることがわかる微笑みがそこにはあった。
『あ…』
ズキン、と凪葵の胸の奥が痛む。
「そっかぁ…」
同じ言葉を繰り返した慧の頬に、一筋、涙が零れ落ちた。
「……っ!」
「ごめん!こんなとこで泣くのってアザトイよね」
反射的に伸ばした凪葵の手が行き場を失う。慧は慌てて顔を背けそれを拭うが、瞳からは次々と涙が溢れた。グスッと鼻をすする音と共に慧が立ち上がり、校舎の方へと歩き出す。
「待っ…」
「ごめん…ボク、帰るね」
慧はほんの少し足を止めるが、振り返りもせずそう言うと凪葵を置いて走り去った。
これまでずっと、どうして慧が自分を好きになったのかばかり考えていた。自分が慧をどう思っているのかまで考えられなかった。聞かれるまでそのことにさえ気づいていなかった。告白なんて初めてで、何をどう扱っていいかわからなかった。慧は変わらず挨拶はしてくれるものの、明らかに気を遣われているのがわかって余計返事にも困惑する。あれだけ毎日続いていたNDYの作業も昨日、今日と鳴りを潜めていた。
「…はぁ」
凪葵は溜め息をついてヘッドセットを外した。気分転換にログインしたMMOの画面は始まりの街のままだ。
『ていうか、気分転換してる場合じゃないよな』
慧の言葉に何一つハッキリとした答えを出せていない。凪葵は腕を伸ばしてパソコンのモニターを切り、組んだ両手の上に額を預けた。小学校低学年の頃からゲーム三昧で友達もそういう人間ばかりだったから、色恋の話なんか殆どしたことがない。全く興味がなかったかと言われるとそうでも無いのだが、だからと言って相手がいるわけでもなく、そうこうしているうちに今に至っていた。
『そんな俺をなんで…』
考えかけて、凪葵は頭を振る。違う、また同じことで悩んでどうする。コレには答えが出ないんだから、せめて自分の気持ちを明確にしないといけないのに。仕切り直そうと体制を直した時。階下で玄関の扉が激しく開け閉てする音が響いた。
「………」
大浦家でこの音がする原因は一つしかない。げんなりして凪葵は眉根を寄せた。
『人が考え事してる時にっ!』
机を両手で叩いて立ち上がる。ものすごく不本意だが今はリビングへ降りて姉のご機嫌取りをする他ない。凪葵はせめてもの意思表示としてドスドスと乱暴に階段を降りた。
「もぉ~!またフラれた!!」
ドン、と両拳を机に投げ出し夏海が打ちひしがれていた。
「なんで?!何が悪いのよ?!」
凡そ三ヶ月から半年に一回、この家には夏海の雄叫びが鳴り響く。そして絶望の底にいる夏海を家族総出で慰めるのが大浦家のルールだった。
「しかもLINEで連絡してくるなんて非常識すぎるわ!ブロックされたら反論もできないじゃない!」
リビングにいた父は読んでいた新聞を折り畳み、母は夕飯の支度の手を止め、次女の海夢は爪切りをテーブルに置き、凪葵とほぼ同じタイミングで三女の夕凪が合流する。
「夏海ちゃん、またフラれたの?」
夕凪が優しく夏海の頭を撫でるが、キッと夏海は歯を剥いた。
「またって言わないで!」
「今回は…三、四…五ヶ月?もった方だね」
海夢が指折り数える。
「今度こそ上手くいくって思ったのに…」
母親が何も言わずにビールの缶を夏海の前に置いた。夏海はありがとうも言わずにプルトップを開けると半分ほどイッキ飲みする。
「何があったの?」
夕凪が夏海の隣に座りながら尋ねた。
「わかんないわよ。昨日までいい感じだったのに…今日も仕事終わりに会社まで行くって言ったら『終わりにしよう』って連絡来たの」
それが原因だよ、と夏海を除くその場の全員が同時に事態を把握する。夏海は下の姉弟とは少し歳が離れている。父と母の若い頃にできた子で、生活が安定するまでは二人目は、と幼少期をひとりっ子状態で過ごしていた。その分親の愛情を存分に受けて育った夏海は、少しワガママなところもあるが姉弟の中で一番愛情深い。ただ、少しその度合いが人よりも強くて相手が引いてしまうのが常だった。
「会社まで行くのはやめるって言ってなかった?」
海夢が爪の手入れに戻りながら聞く。
「だって…早く会いたいんだもん」
不貞腐れたように言って夏海はビールをもう一口飲む。
「毎日行ってたの?」
夕凪がやんわりと問い掛ける。
「毎日じゃないよ!私だって友達と遊びに行くこともあるから週三、四回くらいだよ!」
「充分重いだろ」
「重くない!」
リビングの入り口に突っ立ったまま成り行きを見ていた凪葵の言葉に、すかさず夏海が鬼の形相を向けた。しまった、心の声が漏れてしまっていたか。波風立てるなよ、と痛い家族の視線が飛んでくる。
「その人は夏海ちゃんの良いところが見つけられなかったんだね」
悪くなりかけた風向きを父親の穏やかな声色が拭い去った。
「大丈夫、きっと次はいい人と出会えるよ」
もうすぐ28になる長女にかける言葉としては些か子供じみているが、これが凪葵の父の喋り方だ。夏海も父の言葉に溜飲を下げた。
「早く会えるといいね、いい人」
夕凪も明るく夏海を励ます。
「すぐ会えるって」
「そういえば海夢も先月別れたばっかじゃなかったっけ?」
爪を磨き終え出来栄えを確かめていた海夢に夏海が聞く。
「そうだけど…私はもう新しい人いるし」
「え?!もう?!」
事も無げな海夢の言葉に夏海が驚いて身を乗り出した。夏海も案外切り替えが早くて人のことを言える立場ではないが、本人はそれに気づいていない。
「早くない?それホンキ?」
凪葵は海夢に向かって呆れて言った。海夢は確固とした自論の持ち主なので夏海ほど気を遣うことがない。
「私は夏海ちゃんより許容範囲が広いのかもね」
父の愛情溢れるフォローとは真逆に、海夢が凪葵に向ける目も口調も『お子ちゃまにはまだわからないだろうよ』という嘲笑が含まれている。
「相手と一緒にいて楽しいなとか、安心できるなって気持ちだけでも充分なんだよ。『好き好き好き~!』てなんのは後からでも遅くない」
海夢が口角を上げた。まるで今凪葵が置かれている状況を知っているかのように。
夏海の機嫌がなんとか直り、家族で食卓を囲んだ後。凪葵は自室に戻りつけっぱなしだったパソコンで日課のクエストをこなしていた。手は機械的に目の前の敵を倒しているが、頭の中は先程の海夢の言葉でいっぱいになっている。
『相手と一緒にいて楽しいなとか、安心できるなって気持ちだけでも充分なんだよ』
本当にそうなのだろうか。なんとなくこういうものは『好き』から始まるのかと思い込んでいた。何か強い意志みたいなものがないといけないように思っていた。
『一緒にいて楽しい…か』
慧は凪葵とはタイプが全然違うし面倒事にも巻き込まれるが、一緒にいるのはイヤじゃない。その流れで学園祭の準備中にクラスメイトから追いかけ回された時、部室で寝ている凪葵を見つけたのが慧だったことに安堵したことも思い出す。
『そういや、その後キスされたんだっけ』
結構重大なことを忘れていたことに気付いた。二度もキスをされていて、しかも二度目は断る時間さえあったのに避けることをしなかった…ピタリと凪葵の指が止まる。突如その事実が恥ずかしくなって口元を押さえるが、急速に頬は赤くなった。
『なんで拒否らなかったんだよ!』
まるで自分がそうされることを望んでいたように慧には映ったんじゃないかと思うと余計に羞恥心が膨れ上がる。これじゃ告白を受け入れたも同然だ。
「キス待ちとか乙女かよ…」
パソコンのモニター内ではあっさりと敵にやられたアバターが街へと強制送還されている。明確な言葉に表すのは躊躇われるが、キスをされて嫌悪感も違和感も未だに感じないあたり好意を抱いているということなのだろうか。『キライ』じゃない。キライじゃないイコール一足飛びにその答えを出していいのか。夏海のように周りが見えなくなるくらい相手に夢中になれたらわかりやすいのだが。でも自分が誰かのことを好き好き言っているところは想像できないし、どちらかと言うと海夢との方が性格が似ている。ということは、慧に安らぎや心地良さを感じていれば『そう』とらえてもいいのか?そもそもそんな重要なことを忘れていたのに好きだのキライだの言える段階なのかもよく分からない。
『いや、別に忘れてたわけじゃないんだけど…』
ギシリと鈍い音を立てながらイスに背をもたせ掛け、天井を仰ぐ。キスのことが完璧にスッポリ頭から抜けていたわけじゃない。苦しい言い訳だが、それよりも凪葵の記憶を占めていたのは…
『傷つけるつもりはなかったんだ』
どうして横にいてくれるの?と慧に問われ、窮して出した答えは自分の意図した通りには伝わらなかった。あの時慧が流した涙の方が、凪葵の心を強く支配している。直前の誰だかわからない女子生徒の言葉より、自分の一言の方が慧を悲しませてしまった。その上、自分の本心とは違う返事になってしまったことに気付いていながら、未だに弁解も訂正もできていない。
『あの時本当に伝えたかったのは…』
多分慧にはNDYがあるから仕方なく一緒にいるのだ、という風に伝わってしまっているだろう。
『そうじゃない』
決して無理に一緒にいるわけじゃないのだが、じゃあ何というのが適切なんだろうか。
『これまで宇佐美の気持ちばっか考えてて、自分の気持ちがどうか考えたこともなかったからわからない』
あまりに間抜けな回答だ。でも、それが今の凪葵の気持ちを一番素直に表した言葉だった。でも、それが今の凪葵の気持ちを一番素直に表した言葉だった。多分これも慧がほしい答えにはなっていないのだろうが、誠実に告げられるのはこれだけだ。
『アイツが泣いてるのは、落ち着かない』
どんな時を思い出しても、慧はいつも笑っている。笑っていてほしい。せめて自分がつけた傷だけでも、誤解だと伝えに行かなければ。
『って思ったのに!』
次の日、学校に行ったら早々に釈明しようと意気込んでいたが当の本人がいない。いつも始業ギリギリの登校ではあるが、浅見が出欠確認をする時間帯になっても慧は姿を現さなかった。
「欠席は・・・宇佐美だけか。明後日は体育祭だからみんな体調崩すなよー」
浅見の注意は無用なほどクラスはお祭りモードで活気に溢れている。蚊帳の外なのは凪葵ぐらいだ。
『体調、悪いのか』
浅見の態度から察するに、学校には何かしらの連絡が入っていたようだった。早く慧と話したいとは思うが、わざわざ家まで押しかけるのも悪いし電話をするにしても切り出し方がわからない。
『仕方ない、明日にするか』
だが、次の日も慧は学校に来なかった。二日目となると自分の話より慧の体調の方が気になってくる。凪葵は何度か慧にメッセージを送りかけたが、結局文面が定まらないまま送信ボタンを押すことはできなかった。
次の日、朝からクラスはバタバタと騒がしい。やれハチマキが無いだの、やっぱりリレーのアンカーは誰それが良いだの、準備運動前からよくそんなに動けるなと感心するくらい教室の中は落ち着きがない。凪葵は例の如くゲーム機に視線を落としていた。でも、意識は常に外を向いていて誰かが登校してきた気配がするとふと目を上げ、慧でないことを確認するとまたゲームに戻ることを繰り返している。もう開催時間直前だ。今日も欠席かと思ったその時。
「おはよー!」
周りに負けないくらいの騒々しさで慧が教室へと入ってきた。凪葵は即座に反応して顔をあげる。
「おー!ミケ復活したか!」
「良かった~応援合戦どうしようかと思ってたよ~」
すぐにクラスメイトは慧を囲みワイワイと囃し立てている。遠くからその様子を見ながら、凪葵は少しホッとした。顔色は良さそうだ。今日中にどこかのタイミングで慧を捕まえられればいいが・・・
『そうもいかないんだよなぁ』
学園祭の時に痛感したが、慧は大の人気者である。団体種目に引っ張られ、応援合戦に連れて行かれ、あっちへこっちへ引っ張りだこだ。自分の席からずっと機会は伺っているが、午後を迎えても慧の周辺は常に人だかりができていて声を掛けられそうもない。帰り際までこれだと恐らくお祭り好きのクラスメイト達に打ち上げだとか言われて連行されてしまうに違いない。そうなる前に手を打たなければ・・・とは言うものの、あの人垣に割って入って慧を連れ出す勇気が出ない。こういう時こそ浅見が用事を言いつけてくれたらいいのに、と八つ当たりに近い気持ちで嘆息をつく。一人作戦会議をしているうちにも種目は次々と進み、いつの間にかメインの一つである部活対抗リレーが終わっていた。
「ミケー!」
陸上部もサッカー部もぶっちぎって一位をもぎとった選手が一目散に慧の元へと走っていく。
『なんでみんなアイツのとこ行くんだよ』
凪葵はうんざりしながらその姿を見ていたが、ふとその男子生徒に見覚えがあることに気づいた。
『誰だっけ?』
遠くの光景を眺めながら記憶を手繰る。その男子生徒は慧に笑顔で何か話していたが、やおら慧の腕を掴むと輪の中から引っ張り出した。驚いている慧は半ば無理やりグラウンドから離されていく。
『え?』
思わずガタンと席から立ち上がった。校舎の方へと歩いていく二人を視線で追う凪葵の耳に声が届く。
「先輩ホントに行ったね~」
「リレーでいいとこ見せれたら告るって宣言してたもんね」
「うまくいくかな?皆川先輩」
名前を聞いてハッとする。そうだ、男子バレー部の夏合宿で会ったヤツだ。初対面でなんか変な感じがしたアイツだ。
「今、なんつった?」
凪葵は近くで話していた女子生徒の方に振り返った。皆川の名前以外にも聞き捨てならないことがある。
「え?なに?」
いきなり話しかけられて女子達は慄いている。
「今皆川が何するって言った?!」
だが、凪葵にはそんなことを気にしている余裕はなかった。詰問するように一歩踏み出し、語気を強める。
「え・・・ミケに告るって・・・」
震える声で返された言葉に、凪葵は走り出した。
『なんだって寄ってたかって話をややこしくしようとすんだよ!』
二人が消えていった方向へ走りながら、凪葵は奥歯を噛み締める。せっかく自分がタイミングを計っていたのに、空気の読めない周りにイライラしてくる。凪葵にとって皆川の印象は良くない。慧に紹介された時の『へぇ』と自分に向けられた視線は値踏みするような雰囲気だった。合宿の時ほんの少し会っただけだったが、皆川が慧を気に入っていることはすぐに分かった。人との距離感が近く、良く言えばフランクかもしれないが、悪く言えば調子のいい鼻持ちならないヤツ。そんなヤツが慧に告白?
『軽いノリでアイツを傷つけんなよ!』
カバンにつけるぬいぐるみ欲しさに慧を掻き回すなんて許すことはできない。もしかしたらまた慧は気にしてないよ、と言うかもしれないが。
『俺がイヤなんだよ!』
立ち止まって辺りを見回すが、人の気配はない。皆川は慧をどこに連れて行ったのか・・・凪葵は東浜中高校の告白スポットとしてはド定番の校舎裏へと走った。
『頼む、いてくれ』
ここ以外だとどこに向かっていいかわからない。祈る気持ちで角を曲がる。果たして、そこには慧と皆川の姿があった。何を話していたかはわからないが、凪葵の足音に気づいたのか二人ともこちらを見ている。
「おい!」
凪葵はどちらにともなく声を上げたが、次の言葉が見つからない。
「~~~・・・っ」
これ以上黙っていても皆川にどっか行けと言われそうだ。破れかぶれに凪葵はズンズンと慧に近づくと、その腕を引っ張った。
「ナギ?!」
どうしてここに、と目をぱちくりさせる慧はいつも通りに見える。
「オマエ・・・俺に告っときながらフラフラすんなよな」
皆川が何か言ったんじゃないかという不安と、まだ何も聞いて無さそうな安心と、色んな感情がごちゃ混ぜになって前後の無い意味不明な言葉が口をつく。とりあえずこの場から慧を離したくて、凪葵は慧の腕を掴んだまま来た道を足早に戻り始めた。
「ちょっ・・・ナギ?!どうしたの?!」
足を縺れさせながらも引っ張られる慧は困惑している。そして、当人である凪葵も混乱していた。一先ず皆川から慧を取り戻せたことは良いが、この後どうしたらいいのか。元はと言えば慧の誤解を解きたくて話しかけるキッカケを探していたのが、まさかこんなことになるとは。
『てか、取り戻すとか・・・宇佐美は俺の物じゃないのに』
チラついた思いにハタと考えが止まる。自分は慧が誰かのものになるのがイヤなのか?慧を追いかけたのは皆川が慧を傷つけるんじゃないかと心配したからで・・・でも、万が一皆川が本気で慧の事を好きだったら?ぬいぐるみじゃなくて恋人として傍にいてほしいと思ってるんだったら?自分がそれを止めに行ったんだとしたら?皆川が慧に告白すると聞いて居てもたってもいられなくなったのは、本当に心配だけだったのか?
『俺に告っときながらフラフラすんな』
苦し紛れに出てきた言葉に今更ながらに自分の心の所在が見えた気がした。こんなのもう好きって言ってしまったようなもんじゃないか。
「ナギ?・・・ねぇ、ナギってば!」
慧の声にやっと凪葵は我に返った。
「どうしたの?こんなとこまで連れてきて」
無意識に人のいない方へと向かっていたら、いつの間にか漫研の部室前だった。
「・・・とりあえず、入れ」
凪葵は慧の腕から手を離さずに部室のドアを開けた。離してしまったら、慧がどこかへ行ってしまいそうで。
パタン
部室のドアを閉め切って、慧を奥へと押しやってから、やっと凪葵は慧の腕を離した。何から話したらいいんだ。どう言ったらいいんだ。
「体調・・・もういいのか?」
乱れた思考から出てきたのは、またしても全然関係のない話だった。
「え?・・・・・・あ、ああ。うん。大丈夫」
一瞬慧は怪訝な表情になったが、素直に頷いた。少し間を置いて慧が問いかける。
「心配、してくれたの?」
慧が一歩近づき、顔を覗き込もうとするが凪葵は目が合わせられない。
「心配・・・も、したけど・・・話がしたかったから」
なんとか繋がりそうな一筋の道。慧は少し首を傾げた。
「この間、NDYがあるから一緒にいるって言ったけどそれはなんて言うか、その場の事実であって言いたいことはそうじゃないっていう話をしたくて。けど宇佐美が休んでたからできなくて、今日も話しかけようと思ってたけどオマエ全然一人になるタイミングないし、挙句に皆川には呼び出されるし」
一気にまとまりのない気持ちが流れ出る。結局俺は何が言いたいんだ。上手くいかなかったことをグチってるだけじゃないか。グラウンドからは三年生の合同ダンスの曲がうっすらと聞こえている。体育祭も最後の種目だ。今きちんと伝えないと慧が帰ってしまう。そして、数日前にはわからなかった答えも、もう出ている。
「俺は、宇佐美のことが・・・」
凪葵は目を上げた。慧の瞳に期待と不安が混じっているのが手に取るようにわかる。
「好き」
その単語に慧の目が見開かれた。
「・・・だと思う」
「だと思う?!」
続く言葉に慧がガクッとつんのめった。
「そこは好きって言い切ってよ!」
「いや、だってさっき気付いたっていうか・・・ずっとわからないって思ってたから!」
慧に詰め寄られて凪葵は慌てて言い訳をする。しかも具体的に口に出した恥ずかしさがじわじわ体を登ってきて穴があったら入りたい気持ちになる。
「こんなの初めてなんだからわかんねーんだよ!」
赤面した顔を見られたくなくて凪葵は手の甲で顔を隠した。乱暴な言葉遣いが気恥しさを隠しているのがバレバレで余計に気まずい。自分の気持ちがちゃんと慧に伝わったかどうかを確認することもできなかった。
「ねぇ、ナギ」
不意に伸びた慧の手が凪葵の頬を捉え、やんわりと慧の方へと視線を戻される。
「ボクはナギの隣にいていい?」
凪葵は小さく、でも確かにわかるように頷いた。
「友達じゃなくて、恋人として?」
恥ずか死ぬっていうのはこういうことか?重ねられる問いに逃げ出したくなるが、凪葵は観念して口を開いた。
「そうだよ」
慧の表情が緩んだと思った瞬間、頬に当てられていた手がするりと首へ周り凪葵を引き寄せた。一瞬遅れて、キスされていることに気づく。嫌悪感とか違和感じゃなくて、そこにあるのは・・・
『安心感・・・』
自然と、慧の背中へと手が回り目を閉じる。海夢が言っていたことは正しかったのかもしれない。『安心』から『好き』になる時間がちょっと早いような気はするが。でも、この温かさは誰にも渡したくないと確かに感じた。
キーンコーンカーンコーン
「っ!」
すっかり浸りきっていた気持ちが突然チャイムの音で破られビクッとして凪葵は体を離した。慧は逆に凪葵の反応に驚いたようにポカンと目を丸めたが、すぐにフッと苦笑する。
「ビックリしすぎ」
「ビックリするだろ普通」
再び込み上げてきた恥ずかしさと照れ隠しに凪葵はそっぽを向く。慧がクスクス笑いと共に指先を絡めてきた。
「これからも、よろしくね」
体育祭があって、慧に気持ちを伝えて、凪葵にとって嵐のような一日が終わった次の日。朝の登校風景はいつもとさして変わらない。朝食を取っている時に来た慧からのおはようLINEが無ければ、昨日の事は夢だったかと思わせるほど街はいつも通りだ。昨日クラスに戻ると案の定打ち上げに誘われたが、色々あって気疲れしていた凪葵は丁重にお断りした。慧は無理やり連行されていったので体調が心配だったが、朝のLINEの雰囲気だったら大丈夫なのだろう。今日は必ず放課後デートしようね!と文面からでもわかるくらい元気そうだった。凪葵は送られてきたメッセージを読み返し、ほんの少し笑う。何よりも普段の明るい慧に戻ったことが嬉しい。ふと視線を感じて凪葵は目線を上げた。もう少しで校門、というところでチラチラと自分を振り返ってくる生徒がいる。それも一人や二人ではなく、複数人。
「?」
居心地の悪さを覚えながらも昇降口で靴を履き替え教室へと向かう。一年の教室が並んでいる方へと進むにつれ、視線だけではなく何かヒソヒソ囁く声さえ聞こえるようになってきた。
『いつもと・・・変わらないよな』
何かついているのかと不安になってトイレの前に据え付けられた鏡でサッと自分を確認する。
「あの人?」
「そうそう、あの男子だよ」
教室目前で聞こえた内緒話のような声に、凪葵は自分の思い過ごしではないことを確信した。明らかに昨日までと違う。なんでだ?考えを巡らせ不意に皆川の顔が浮かんだ。もしかして、告白の途中で慧を連れていったことがウワサになっているのか?別に皆川にはどう思われてもいいが学校中から悪者扱いされるのは流石にイヤだ。しかし、勢い体は勝手に教室の敷居を跨いでいた。
トン
凪葵の足が床を踏んだ瞬間、クラス全員の視線が突き刺さった。
『ヤバい』
後ろ足でなんとか踏みとどまった、が学園祭でコスプレをした時以上に一気に周りを取り囲まれる。
「ミケと付き合うことになったってマジかよ?!」
身構えた凪葵の耳に全く予想していなかった言葉が響いた。
「へ?」
キョトンとする凪葵に他の方からも声がかかる。
「ねぇねぇ、ホントなの?」
「何キッカケだよ~」
誰に何を答えたらいいのかわからず狼狽えていると、小柴が人垣の下の方からにゅっと顔を出した。
「昨日ミケが打ち上げの時に嬉しそうに言いふらしてたよ」
ニヤリとする小柴にやっと思考が働きだす。つまり、今自分が注目を集めているのは皆川の件ではなく・・・
「みんなどうしたの?」
凪葵が結論を出す直前に、聞き慣れた声が人集りの外から聞こえた。
「ミケ!」
一斉に全員がそちらへ振り返る。慧はのんきにオハヨーとニッコリ笑った。凪葵に向かって。その行動が全ての答えになっている。本当に昨日のことを皆に話したのか?クラス中に?
「ミケと大浦くんが付き合ってるってホント?」
女子生徒がどちらにともなく尋ねる。慧はああ、そのことかという風に合点のいった表情になった。
「ごめーん、嬉しすぎて言っちゃった」
顔色を失っている凪葵とは逆に慧は照れ笑いを浮かべる。凪葵とて有名人である慧と付き合うことになればいつまでも隠し通せるとは思っていなかった。だが、まさか慧があえて自分から吹聴して回るとは想像していなかった。そりゃあ朝から注目されるわけだ。
「・・・う~さ~み~っ」
プツンと凪葵の中で堪忍袋の緒が切れる。バッと手を伸ばしてその肩を掴もうとしたが、慧はするりとそれをかわした。
「ごめんって~!」
怒気の中に羞恥心を滲ませる凪葵の声と、明るく苦笑混じりの慧の声が始業のチャイムと共に教室へと響いた。




