⑤
当初の予定通り荷物の片づけは一時間も経たずに終わった。几帳面な先生の性格が良かったのだろう。引き出しの中もきちんと分類されていて私物がどれか迷うことも少なかった。それでも段ボール箱三箱分になり、通路に置くと少し邪魔そうだ。
「ここに積んどこう」
慧がキョロキョロと置く場所を探していると、凪葵が淡々と言って浅見の机の上に段ボール箱を積み上げた。
「生徒を使った報いを受けろ」
凪葵は捨て台詞を吐いて手を払う。浅見が戻ってきたらなんじゃこりゃとなるだろう。
「で、どこ行くんだ?」
職員室を出て昇降口へと歩きながら凪葵が尋ねる。
「えっと…どうしよっかな」
隣を歩きながら慧は考えるそぶりを見せた。実は作業をしながらどこがいいかは考えていたのだが、即答するとおかしいかななんて思ってしまう。
「ナギは甘いもの好き?」
「ん~まぁ普通に好きかな」
じゃあやっぱりあそこにしよう。自分のお気に入りのケーキを置いていて、あまりここの生徒がいない方向の店。
「ついてきて」
放課後デートの雰囲気がこそばゆくて、はしゃいでしまいそうになる気持ちを抑えつける。慧は凪葵と並んで歩きながら、できるだけ何でもない話を選んだ。
「凪葵って部活やってたんだね」
個人経営の小さなカフェは慧が思った通り高校の友人はいなかった。通されたテーブルに向かい合うように座るとメニューを見ながら話しかける。
「頭数合わせでな。自由参加だからほとんど行ってないけど」
凪葵も同じようにメニューを見ながら返事をした。
「そう言えばなんで昨日俺が部室にいるってわかったんだ?」
オーダーをしたあと、ふと思い出したように凪葵が尋ねる。
「ナギの友達に聞いた。あの…休み時間にたまに喋ってる人」
名前がわからなくて慧が特徴を思い出そうとしていると、先に凪葵が誰か思い当たったのか納得した顔をした。
「あ~アイツらかな」
「昼休みはいつも部室にいるの?」
凪葵への気持ちに気づいてからはその行動を見ているつもりだが、フラっといなくなってはいつの間にか帰ってくることもあり読めないことが多い。
「いや、大体は食堂にいるけど…昨日は昼寝したかったから行っただけ。あの時間旧棟は人少ないから」
そうなんだ。一つ凪葵のことがわかって嬉しくなる。
「また遅くまでゲームしてたの?」
もっと凪葵のことが知りたくて探るように質問を重ねた。
「うん、できるだけ平日は遅くならないように気を付けてるんだけどなぁ。やっちゃうんだよな」
ぼやくように言う凪葵が可愛く見える。ケーキとドリンクが運ばれてくるとそれぞれフォークを手にした。
「ナギ、チョコ好きなの?」
慧はフルーツタルト、凪葵はチョコレートケーキが置かれている。因みにドリンクは慧が紅茶で凪葵はカフェオレだ。
「そうだな、甘いものだったらチョコ系選んでるかな」
ナギはチョコが好き。慧は凪葵の答えを忘れないように反芻する。
「あ…ウマい」
一口食べて凪葵が呟いた。
「でしょ?!ここのケーキどれも美味しいんだ!」
自分が好きな店の味が凪葵の口に合ったことに嬉しくなり、慧は身を乗り出す。
「でも一番ボクがオススメなのはこのタルトなんだよ~。季節によってフルーツも変わるから全然飽きないし生地もサクサクで美味しいんだよ!」
食べてみてと言わんばかりにケーキを差し出され、圧に負けた凪葵はおずおずとタルトを切り分ける。
「…たしかに。美味しいな」
食べているところを観察するように終始見られて恥ずかしそうに凪葵がもごもご口の中で感想を述べた。
「そうでしょ~?あとね、ベイクドチーズケーキとレモンパイも美味しいし、うちのお母さんはミルフィーユが好きでね…」
慧は嬉々として早口に捲し立てていたがハッとして口を押さえた。
「ごめん、うるさいよね」
ただでさえ騒々しい印象を与えているかもしれないのに、またやってしまったと浮いていた腰を下ろす。自分の行動を詫びる慧に凪葵は目をしばたたいた。
「うるさいとは…思ってないけど…」
束の間、考えるように凪葵は口元に手を当てる。
「俺って宇佐美の中で怖いキャラになってる?」
凪葵が申し訳なさそうに首を傾げた。一瞬慧は意味を捉え損ないキョトンとし、すぐにブンブンと顔と手を同時に振った。
「ち…ちがっ…全然怖いとか思ってないよ!」
ある意味、凪葵の反応が怖いとは思っているが、それは嫌われることが怖いからで。だが、それを素直に説明したら自分の気持ちを伝えることと同義だ。どう言ったらいいのか慧は必死で言葉を探す。
「あの…逆に、ボク自分のことうるさいキャラだってわかってるから…ナギが嫌な思いしてないかなって思って…」
あれ?これじゃ結局凪葵に想いを伝えているのと変わらなくない?言い訳をしようとすればするほど深みに嵌っていく。
「だから…その…」
意味もなく指を合わせて、慧は視線を下げた。どうしよう、こんなところで告白するつもりなんかなかったのに。どう考えても好きですって伝えてるようなもんだよ。思いもよらない展開に鼓動が速くなる。なんとか普通の会話に軌道修正したいのに頭の中がグチャグチャで考えがまとまらない。
「宇佐美のことうるさいキャラだって思ってないってば」
一人であたふたしている慧に、凪葵の低い声が響いた。慧が半泣きの顔を上げると、凪葵が少し困ったように首筋に手を当てながら慧を見ている。
「明るい奴だなとは思ってるけど」
凪葵は凪葵でどう言ったら慧にわかってもらえるのか困惑しているようだ。
「ボク…うるさくない?」
恐る恐る慧が確認する。
「うるさくないって。そんな風に思ってたら一緒にこんなとこ来ないだろ」
自分の言ったことが照れくさかったのか、凪葵はカフェオレに口をつけた。
『それもそうか…』
慧は途端に安心してしまう。イヤな相手と放課後寄り道なんてしないよね。ていうか…そんな風に言ってくれるってことは…浮上した感情が急に期待を持ち始める。
『ボクのこと…どう思ってるんだろう…』
クラスメイト?友達?それとも…それ以上?慧は凪葵の気持ちを確認したい感情に駆られた。もしかしたら自分と同じ想いなのかもしれない。
「宇佐美よりも塚田の方がうるさいから気にすんな」
慧が口を開くより前に、凪葵がボソッと呟いた。
「塚田?」
突如聞いたことのない名前の登場に思考がフリーズする。
「こないだ昼休みに宇佐美が俺の場所聞いた奴」
慧は既にぼんやりとした記憶にしかない相手の顔を思い出した。二人いたけどどっちが塚田だろう。
「テンション上がった塚田の方が100倍うるさいけど普通に友達だし」
凪葵の言葉は慧の心に完全に刺さった。友達。え?なんかボクの心ダダ洩れしてた?暗に断られてる?空気読めよって感じ?慧の背をダラダラと冷や汗が流れる。
『確認しなくて良かったー!』
突っ走って『ボクのこと好き?』なんて尋ねていたら確実に変な空気になっていただろう。
「ナギにとってボクって…友達?」
それでも口は勝手にダメ押しの質問を投げていた。
「え?…友達だと思ってるけど」
『ですよねー!』
トドメを刺されてふらりと慧の意識が遠のく。
「友達じゃないのか?」
慧の質問の意図を図りかねて凪葵が怪訝な表情をした、ような気がした。前髪のせいでよくわからないが慧はそう感じた。
「いえ!友達で!友達でお願いします!」
「…っていうことがあってね…」
その日の夜。慧は自室で電話をしていた。携帯の向こう側にいる結衣は爆笑している。
「でも良かったじゃない。告ってフラれたんじゃないんだから」
「そうなんだけどさぁ~」
あの後、慧の態度を訝しがる凪葵を無理やり塚田クンの話へと引き戻し、漫研の話へ誘導し、ゲームの話へと持ち込んだ。慧としては自分の真意がバレていないことを祈るのみだ。帰る頃には凪葵はいつもの様子だったし、自分もそれ以降はヘマをやらかしてはいないはずだった。
「大丈夫だよ。友達だと思ってたけどある日突然…なんてことはよくあるんだから」
慧を元気づけるように結衣は弾んだ声を出す。
「うん~…う~ん…そうなればいいけどさぁ」
煮え切らない返事をしながら慧は腕の中にあった猫のクッションを抱きしめた。
「でも、思いの外慧ちゃん落ち込んでないよね?」
結衣が不思議そうに尋ねる。そうなのだ。慧も自分自身で気づいていたが、結衣にも伝わっていたらしい。
「それはね…それまでナギの中のボクってその他大勢の誰か、みたいな…モブくらいの存在なんじゃないかなぁって思ってたところが大きかったからだと思うんだ」
挨拶以外は特別話をする仲でもない自分は、クラスメイトや他の人たちに埋もれているんじゃないかと思っていた。それが、ちゃんと一人の人間として認識してもらえていて、友達だと言ってもらえたことが嬉しかった。好意を持つには及んでいなかったのは確かに残念だけども、今の自分にはそれでも十分だった。
「健気だねぇ」
電話口で結衣がフフッと笑う。
「一歩前進したって思えたら、明日からもがんばろうって思えるから」
「どんどんいっちゃえ」
携帯越しに二人で笑いあう。学校は分かれてしまったが、こうやってまた結衣と話ができることも慧には嬉しかった。
「そうそう!ゲームの話してる時にね、ボクでもできるゲームないかなって聞いたら猫のパズルゲーム教えてくれてさ」
携帯を操作してダウンロードしたばかりのアイコンをタップする。チュートリアルが終了したところで止まっているゲーム画面には慧が好きそうな可愛い猫のキャラクターが映っている。
「一緒にやろうって言ったらナギも入れてくれてね~」
慧は言いながら友達を表示するボタンをタップする。そこには凪葵の名前とメインキャラクターの絵が表示されていた。
「共通の話題できちゃった」
ノロケにも聞こえる慧の言葉に結衣は嫌がる風もなく、私も入れてみようかな~と呑気に呟いている。ゲームに凪葵の名前が表示されているだけで特に今何もできることはないのだが、それを見ているだけでも慧は幸せだった。
7月に入り梅雨が明けると、日光が容赦なくアスファルトを焼く夏がやってくる。教室内はクーラーが効いているとはいえ、炎天下の登下校はまだ暑さになれない体には辛い。
「あ~涼しい~」
慧は教室に入るなり冷気に目を閉じた。最近『おはよう』の挨拶の代わりの言葉がこれになりつつある。夏休みまでのあと数週間、これに耐えなければならない。
『夏休みまであとちょっとしかないんだよね』
いつもなら楽しみで仕方がない夏休みだが、今年の恋する慧は少し焦っている。約一ケ月凪葵との接点がなくなる。何か口実を用意しなければならないが、近場で夏祭りはないし、花火大会がある日は凪葵は母親の実家に帰省する予定だということは聴取済みだった。ここ最近、一緒に入れたゲームを理由に放課後凪葵と遊ぶ日ができるようにはなったが、せっかくの夏休みだから二人でどこかに出かけたりもしたい。
『でもなぁ…面白そうな映画も無いし、ゲーセンとか海は近すぎて誰かいそうだし…』
海辺が近いこの街は遊びにも行きやすいが地元民も集中しやすい。今までもいつ行っても砂浜で最低三人以上は知り合いに遭遇していた。誰かに会っても挨拶だけで済めばいいが、慧の場合拉致されるか合流されるかどちらかだ。誰にも邪魔をされずに二人で過ごすための何か…
『あ!』
二人の共通項を模索していると、ふと閃いた。
『NDYでなんか無いかな?』
学校関連のことになってしまうが、この際片付けだろうがなんだろうがどうでもいい。凪葵との時間を持てるのであれば。いつも浅見がこちらを利用するのだ、たまにはこちらの都合を聞いてもらってもいいはずだ。慧は昼休みになると職員室へと突撃をかけた。
「あれ~?浪川先生いないのか~」
わざとらしく他の教師を探すフリをして浅見へと近づく。
「浪川先生なら二年のクラスに行ったと思うが…」
コンビニのおにぎりを頬張りながら浅見が慧を見上げた。
「そっかぁ…また後にしようかな~。あ、先生コレ夏休みの課題?」
さも今気づきましたという体で浅見の机の上にあったプリントを指さす。実は事前に浅見の机に夏休みの課題一覧のプリントがあることは確認済みだった。
「おお。そうそう。これ配っといて」
ちょうど良かったわ、とプリントを押し付けられる。隙あらば仕事を押し付けようとするな、この先生は。目的とは異なる仕事を与えられてしまって内心抵抗を感じるがそこはグッとおさえた。
「先生って夏休み何してんの?」
慧はさりげなく話をうかがう。
「先生はな~オマエらと違って休みじゃないんだぞ~。普通に仕事あるし部活もあるし」
ダルそうな声を出す浅見にキラッと慧の目が光った。
「部活と言えば男バレのマネージャー辞めたんだよね?」
「よく知ってるな。3年の女子がやってくれてたんだけど受験があるからってこないだ辞めたんだよ」
男子バレー部のマネージャーが辞めたことは意図して情報収集したわけではないが、部活に所属する友達が嘆いていたのを聞いていた。
「夏休み中どうするの?マネージャーなし?」
願望が声に出ないように慎重に慧は尋ねる。
「ん~今から募集かけても間に合わないだろうしな…ま、部員で回せばなんとかなるだろ」
なんとかなってしまうのか。慧は肩透かしを食らってがっかりした。そう簡単にはいかないものだ。
「あ、でも合宿があるんだった!」
浅見がハッと顔を上げる。
「合宿は練習試合も入ってたはず…」
ブツブツと独り言を言いながら山積みになっている机からファイルを取り出し、パラパラと中身を確認した。
「うわ~…これは…マネージャーいないとキツいかも…」
合宿のタイムスケジュールらしき部分を指で追う浅見の後ろから、慧はそっとファイルを覗き込んだ。日にちを確認して凪葵からそれとなく聞き出していた空きの日と照合する。
『たしか…この日なら大丈夫なはず』
「夏休み暇か?」
逃さないとばかりに突然浅見は慧の腕を握った。
「え~忙しいよ~」
心の内ではしめたと喜びつつも、それはおくびにも出さない。
「頼む!二泊三日だし近所だから!」
パン!と音を立てて浅見が顔の前で手を合わせた。
「もちろん合宿代はタダでいいし、暇なときは遊んでて構わないから!」
懇願する浅見を前に、慧はどうしよっかな~と勿体ぶって見せる。だが、あまりにも恩着せがましくして引き下がられたら元も子もない。
「ナギがいいって言ったらね」
慧はニヤリと思わず緩む表情をおさえられなかった。
教室に戻り早速凪葵に合宿のことを説明すると、案の定ものすごく嫌な反応が返ってきた。
「マジで生徒のことなんだと思ってるんだよ」
げんなりと凪葵が悪態をつく。
「ほんっとソレだよね~」
ボクも困ってるよとでも言いたげに慧は凪葵の前に座った。
「まぁでもマネージャー辞めちゃったのはあさっちのせいじゃないし。その日はボクも暇だから手伝ってあげてもいいんだけどね」
頬杖をつきながらチラッと凪葵の表情を確認する。凪葵は葛藤するように眉根を寄せていた。気持ち的には即答でNOなのだろうが、慧がやるのであれば付き合わざるを得ないと考えているのだろう。
「具体的には何するんだ?」
一応確認しとくけど、と前置きして凪葵が尋ねた。
「練習試合の準備と片付けと、あと買い出しが必要になったらそれもお願いするかもって」
慧は浅見から言われていた内容を澱みなく答える。
「…宇佐美のことだからどうせ合宿楽しそうとか思ってるんだろ」
凪葵に言い当てられてギクッと慧の表情筋が固まった。正しく言えば自分からわざわざ種を撒きに行ったのだ、楽しみでないわけがない。慧の反応を見て、凪葵は心底面倒くさそうに深く溜め息をついた。
「わかったよ。行けばいいんだろ」
かくして、慧の目論見通り凪葵との夏休みの約束が一つできあがった。
課題は山ほど出ているけれども、セミの大合唱さえ嬉しい夏休み。…のはずだったが。
「ゔ~…」
慧は自宅のベッドの上で呻き声を上げていた。終業式の間喉がおかしいなとは思っていたが、まさかの夏休み初日から夏風邪に見舞われていたのだ。高熱ではないものの、微熱と倦怠感に襲われ三日間寝たきりになっている。
『サイアク…』
うっすらと頭を支配している頭痛に眉を顰めながら慧は寝返りを打った。
ヴヴッ
枕元に置いた携帯が振動する。
『誰だろ』
慧は手を伸ばして携帯を手に取った。
〝今週の金曜空いてる?〟
「…!!」
中身を見るより先に通知画面の文章と凪葵のアイコンが目に飛び込んできた。ロックを解除してもう一度読み直す。
『空いてる!ていうか予定あっても空ける!』
爆速で返事を打つと数秒後にメッセージが返ってきた。
チーム戦のイベント一緒にやろ
「やる!」
思わず口で返事をしてしまった。放課後デートの時一緒にインストールしたゲームは毎週金曜日にイベントが開催されている。今までは一人でしか参加したことがなかったが、夏休み前にレベルが上がってやっと慧もチーム戦に参加できるようになった。OKのスタンプを送ると、ほどなくまた返事がくる。
じゃあ2時くらいにログインしとく
『………』
慧は凪葵のメッセージの意味を捉えられず二度読み返した。
『そっか!会おうって話じゃないんだ!』
オンラインで繋がればいいだけのことだから、お互い別の場所にいても問題がないことに気づき赤面する。
『うわぁ、めっちゃ恥ずかしいじゃん!』
慌てて自分のメッセージを読み直して勘違いしたことが凪葵に伝わっていないか確認した。大丈夫、多分バレてないはず。数行のやりとりをじっと見つめ、慧はホッと息をついた。
『でも…』
慧は返信しようとしていた手を止める。初めて凪葵から誘ってもらった。ゲームのイベントと言えどめちゃくちゃ嬉しい。
『会いたいな…』
慧は少し考えたあと、メッセージを送った。
〝一緒にやろうよ。こないだ行ったカフェで。〟
だが、しばらく待ってみても返事は来ない。一分、二分…さっきまではすぐ返ってきてたのに。時が経つにつれて慧の心の中は不安になっていく。もしかしてイヤだった?まためんどくさいとか思ってる?いや、まだ既読がついてないから見てないだけかも…携帯を握りしめる手がドキドキと脈打つ。自動ロックのタイムリミットがきてフッと画面が暗くなった。
『どうしよう~またやっちゃったかな…』
慧は携帯を投げ出し、ボスっとベッドに仰向けに寝転んだ。凪葵のこととなると距離感がわからなくなり、普通の友達レベルなのかそれ以上を言ってしまっているのかの見当がつかなくなる。
『送信取消したほうがいいかな』
通知画面を見て凪葵が慧のメッセージに気づいている可能性もあるが、まだ今ならやり直しもきくかもしれない。悶々としたままベッドの上をゴロゴロしていると、再び携帯が振動した。
「…!」
ガバッと起き上がり携帯を鷲掴む。通知画面には『スタンプを送信しました』の文字だけで内容がわからない。急いでロックを外すと開いたままになっていたLINE画面がシュッとスクロールした。
〝りょ。じゃあ二時にカフェで〟
続いて『よろしく』のスタンプ。慧の表情は一気に緩んだ。
「良かったあぁぁ」
長い溜め息とともに携帯をギュッと抱きしめる。返信が遅かったのはただ携帯から少し手を離していたからだと思っておこう。
「こうしちゃいられない!」
慧はスタンプを返信するとベッドから飛び起きた。凪葵と会えるチャンスができたのに体調不良で行けないとなったら意味がない。早く夏風邪を治さないと。金曜日まではあと二日しかない。
「お母さん!風邪薬出して!」
バタバタと階段を降りてリビングへと駆け込んだ。
「お薬嫌いのミケちゃんが珍しい」
ソファに座ってテレビを見ていた母親がキョトンとする。タブレット型は飲み込みにくいし、粉薬は苦いしと医者に処方された薬ですら飲むのを嫌がる息子に目を丸くしている。
「いいから早く!」
「はいはい」
母親はテレビを停めると戸棚から薬箱を取り出してガサゴソ探し始めた。
「あ、でもお薬飲むなら何かお腹に入れないと」
風邪薬の紙箱片手にキッチンへと向かう。
「いいよそんなの~」
「ダメですよ。ちゃんと栄養も摂らないと」
駄々をこねる慧は、母親の前ではまだまだ子供なのであった。
薬のおかげか、大人しくしていたのが良かったのか、翌日には慧の体調は全快していた。会いたい気持ちが強いということもあるのだろう。病は気からと言うが、治る時も気力一つなのかもしれない。今日も蝉しぐれが降り注ぐ街は暑い。慧は汗をかきたくなくてバスでカフェへと向かった。店内へと入り凪葵を探すが、まだ着いていないようだ。
『早すぎたかな…』
通された席で頬杖をつき窓の外を眺める。時間は約束の15分ほど前だった。少しの間そうしていると、真夏の太陽に焼かれて陽炎すら見えそうな道を一人の男が歩いてくるのが見えた。
『ナギだ!』
遠くからでも慧にはすぐわかる。肩まである後ろ髪を一つで括り、白のTシャツに黒のジーパン姿だ。約一週間ぶりに会う凪葵にそわそわしてしまう。携帯をいじりながら歩いてきた凪葵が目を上げ、店内の慧を見つけた。慧は偶然目が合ったというようにニッコリ笑って手を振る。
「暑かった」
席へと案内されるやいなや、凪葵は水を一気に飲み干した。
「暑いなら髪切ればいいじゃ~ん」
クスクス笑いながら慧はメニューを差し出す。
「そうだなぁ。そろそろ切らないととは思ってるんだけど…」
凪葵はメニューを団扇代わりにしてパタパタと首を扇いだ。
「なんかそのスタイルにこだわりでもあるの?」
髪を切った方が凪葵はカッコいいと思うのに。
「ない。ないけど行くのがめんどくさい」
またコレだ。凪葵の面倒くさがり屋は筋金入りなのだ。
「でも鬱陶しいでしょ?」
「提出期限が先の課題と遊びに行く予定があったら、どっちを取りマスカ?」
凪葵の質問に慧はプッと吹き出す。そりゃ遊びに行く予定の方だ。凪葵の中では美容室に行くことは先の課題らしい。
「あ~でもさすがにそろそろ行くべきかな」
言いながら凪葵が前髪を掻き上げた。うっすらと汗を滲ませた額とその造作が露わになり慧はドキッとする。だがそれも束の間、少し落ち着いたらしい凪葵はメニューを開いて俯き加減になった。
『もうちょっと見たかった』
勝手に上がる脈拍を押さえるように慧は凪葵から視線を外す。
「宇佐美はもう頼んだのか?」
早々にオーダーを決めたのか、凪葵がパタンとメニューを閉じた。
「え…あ、ううん!」
慧は首を横に降る。
「俺レモンケーキとカフェオレ」
「ボクもレモンケーキ!」
店の入り口にあるショーケースを見た時、今日はレモンケーキにしようと決めていた。凪葵とオーダーがダブったことに驚いて慧は身を乗り出す。
「飲み物は?」
よっぽどケーキ好きなんだな、と凪葵が苦笑する。
「ロイヤルミルクティー」
チラッと店員を確認して、凪葵が手を上げた。やってきた店員に凪葵が注文を伝える様子を見ているとまた胸が早鐘を打ち始める。偶然同じものを頼んでしまったことも、注文をまとめて頼んでくれることもごく在り来りなことなのだが、慧には恋人同士のイベントにしか思えない。
「今日はチョコじゃないんだね」
店員が下がると両肘で頬杖をついて慧はニッコリ笑った。
「うん、暑いからさっぱりしたやつ食べたくて。この間宇佐美もオススメって言ってたから」
自分が言っていたことを覚えてくれていたことにまた慧はキュンとしてしまう。
「そういやイベントなんだけどさ、調べてたら推奨が3人からなんだよな」
ポケットから携帯を取り出しながら凪葵が言った。
「そうなんだ。2人じゃ難しそう?」
慧もテーブルに置いていた携帯を手に取る。
「できるとは思うけど…ちょい厳しいかもな」
凪葵は攻略サイトのページを開けて慧に見せた。最大5人で参加できるこのイベントはゲーム側から現れる敵を仲間で協力してクリアしていくものらしい。ステージは7段階で徐々に敵が強くなっていく内容だ。
「テキトーにオンラインの奴入れてもいいけど」
くるりと自分の方へ携帯を戻すと凪葵はゲームを起動した。まぁ初めてだし、そんなガチでやらなくてもいいかなぁ…と独り言を言いながら友達検索画面をスイスイとスクロールしていく。
「あ!結衣ちゃんできるかな?」
ふと慧は思い出してゲームを起動した。
「ユイちゃん?」
「うん、ボクの幼なじみで同じくらいのタイミングで入れてるんだけどね…」
友達一覧の中にいる結衣のアイコンを見つけると、凪葵へと携帯を向ける。
「レベル的には大丈夫だと思うんだけど、どうかな?」
結衣のレベルはチーム戦に出られるまでに上がっていた。むしろ少し慧より高い。自分の方が少し早くインストールているはずなのに。ちょっと釈然としない。結衣の方が頭がいいのは知ってるけど。
「いいんじゃね?呼んでみて」
メッセージを送るより話した方が早いと慧は電話をかけた。数コール後に穏やかで可愛らしい声が応答する。
「もしも~し」
「あ、もしもし結衣ちゃん?慧だけど。今ヒマ?」
「今ちょうど学校の講習終わったとこだよ」
「今から一緒にゲームしない?こないだ入れたヤツ」
「ああ、アレ?いいよ。チーム戦の方かな?」
「そうそう、こっちはボクとナ…」
自分と凪葵がいると言いかけて慧はピタリと止まる。結衣には全部話しているので通じるだろうが、凪葵には何も言っていないわけで。凪葵の名前で話が繋がったら、なんで結衣が自分の名前を知っているのかということになるだろう。
「えっと…ボクと、ボクの友達もいるんだけど…」
慧は少ししどろもどろになる。凪葵の顔が見られない。
「はは~ん…凪葵くんがいるんだね?」
「う…うん」
「デート中なんだ?」
「や、ちがっ…そういうのじゃ!」
「照れなくていいよぉ。いいの?お邪魔しちゃって」
「邪魔とかじゃないし!3人必要だからお願いしてるの!」
「はいは~い。じゃあ近くのスタバ行くから10分くらい待ってて」
後で報告してね、と付け加えて結衣の電話は切れた。スピーカーホンにしてなくて良かったと慧は心から思う。
「大丈夫か?」
途中から慧の様子がおかしくなったのを心配して凪葵が首を傾げた。
「大丈夫!大丈夫!10分待ってって」
慧は手をブンブン振って問題ないことをアピールする。
「あ、ケーキ来てたんだね!待ってる間に食べよーっと」
結衣ちゃんが変なこと言うから!なんとか収めたはずの動揺がぶり返してしまった。ケーキを口いっぱいに放り込むと慧は気持ちごと飲み込むようにゴクリと胃の中へと押し込んだ。
結衣のログインを待って始まったイベントは、慧はまったくの戦力外だった。レベルが20近く上で課金までしている凪葵は元より、同じくらいのレベルの結衣と比べても慧の攻撃力はへなちょこだった。
「う~…なんでぇ~…」
何度か挑戦したもののラスボスまでは行き着くことができず、最高でもレベル5のボスで負けてしまう。ゲームのライフがなくなり慧はテーブルへとへたりこんだ。
「初めてにしては頑張ったって」
慰めるように凪葵が笑う。確かに慧個人だけで見るとハイスコアを更新しているのだが。援護射撃にすらならない自分の攻撃力が悲しい。
「ユイちゃんって頭いい?」
ゲームの結果を確認しながら凪葵が尋ねた。
「うん、あのお嬢様学校行ってる」
慧は頷いて巷では賢くて有名な女子高の名前を挙げる。凪葵は納得した顔になった。
「だからそんなに強くないデッキでも勝てんのか」
凪葵の独り言のような呟きに慧はますます落ち込む。
「やっぱ頭のデキが違うと…」
携帯から顔を上げた凪葵は固まった。慧がテーブルにのめり込まんばかりに落ち込んでいる。
「あ、でもこのゲーム運要素も強いからな!」
凪葵は取り繕うように元気に言うが、慧は起き上がってこない。
「たまたまウマくいっただけってこともあるし…」
フォローされていることがありありと分かるほど凪葵は早口だ。だが、なんやかんやと理由をつけたところで結果は変わらない。
「もともと三人じゃ厳しめのイベントだからさ、仕方ないって。来週もやろ、な?」
なだめる口調の凪葵の言葉にピクリと慧の肩が反応した。
「来週も…やってくれる?」
少し顔を上げて慧は上目遣いで凪葵を見る。
「やるやる。俺ももうちょっと強化しとくわ」
やっと慧の気持ちが上向いたことに安心し、凪葵はイスの背に体を預けた。棚ぼたでも来週も凪葵に会うチャンスができたことに、慧の表情は見る間に明るくなる。
「じゃあ来週も同じ時間にココでね!」
急にウキウキした態度になった慧を見て、凪葵はリベンジ戦がそんなに嬉しいのかと勘違いして苦笑している。
「ボクももうちょっとできるようにがんばろっと!あ、紅茶おかわり!」
授業で発言する小学生のように慧は元気よく手を挙げた。




