②
GWが来ると共に気温はぐんぐん上昇し、かと思えば雨が降ると肌寒い。そんな日が続き慧は一泊合宿直前まで天気予報から目が離せなかった。
「お母さん!もうボク出るからね!」
玄関で靴を履きながら慧は家の中へ大声を放る。
「あらもう?…ミケちゃんパーカーは?」
おっとりした声と共に慧によく似たふわふわの髪を後ろで一つにくくった母親がエプロン姿でリビングから顔を出した。こののほほんとした母親はミケのあだ名がついた時から『かわいいわ』と喜んで、ちゃん付で呼ぶようになっている。
「いらない!ごめん、片付けといて!」
リビングに置きっぱなしになっていたパーカーを思い出し慧は母親に両手を合わせると玄関を飛び出していった。天気は快晴。絶好の合宿日和だ。充分時間はあるが慧はウキウキした気分が抑えられず、学校まで走っていった。学校沿いに並ぶ観光バスの列を見ながら校門をくぐると、グラウンドには既に多くの一年生が登校していた。各々リュックやショルダーバッグを持ち、楽しそうに喋っている。その喧騒から逃れるように、建物の脇に凪葵の姿を見つけた。
「ナギ!おはよ!」
駆け寄って声を掛けると、凪葵は携帯に落としていた目を慧に向ける。
「はよ」
毎日挨拶するようになってから、凪葵の態度が緩和したような気がする。迷惑そうな、鬱陶しそうな雰囲気がない。クラスのみんなも慧と凪葵が喋っているのを見て驚かなくなっていた。一緒の委員だもんね、くらいのものだ。
「晴れて良かったね~」
慧につられて凪葵も空を見上げる。遮るものの無い太陽の光は今日も暑くなりそうだ。今日の凪葵は黒い無地のTシャツにジーパン姿だった。
「ボク全然寝れなくてさ~バスで寝ちゃうかも!」
「小学生かよ」
慧の言葉に凪葵はツッコミながら口の端で笑った。
一泊合宿はクラスの交流を図るための合宿なのでイベントが多い。クラス対抗クイズ大会から始まり飯盒炊爨、共同制作、夜は有志の部活演し物、翌日は制作の続きとその発表、昼ご飯を挟んでレクリエーション…テンションが高いままだと二日目後悔するぞ、と先輩を持つ一年生は脅されている。今年も同じメニューが組まれており、合宿所に着くや否や一泊合宿係は準備に駆り出された。二日間もゲームができないなんて信じられない、とばかりに隙を見つけてはサボろうとする凪葵を毎回慧が見つけては引きずり出す。今も飯盒炊爨の後片付けが終わって周りに人がいないことを良いことい物陰に隠れようとしていた凪葵を慧は目ざとく捕まえた。
「も~コレ何回目?」
いい加減諦めたら?という口調で慧が凪葵の首根っこを掴む。
「一人くらいいなくても制作くらいなんとかなるって」
「そういう問題じゃないよ!」
げんなりした声色の凪葵に、慧の厳しい声が飛ぶ。今日もネコのロゴマーク入りTシャツにふわふわ頭の小学生みたいな慧に言われても威厳はない。だが、なんとなく反論もし難い。
「クラスで協力するのが目的なんだから!ナギもクラスの一員でしょ!」
まるで子供に言い聞かせるように慧は人差し指を突き付けた。それはそうなんだけど。クラスの末席を汚させてもらっている程度の自分はいなくてもいいんじゃ…凪葵は口の中でぶつぶつ呟きながら慧に引きずられていった。二人が自分のクラスと合流しようとした時、何やら言い争いの声が聞こえて来た。
「オマエが遊んでばっかだからこんなことになったんだろ!」
「だから悪かったって言ってんじゃねぇか!」
一人の男子生徒が胸ぐらを掴まれ、互いに怒鳴りあっている。周りは止めようとしているが、どこをどう手をつけていいかわからず狼狽えているようだ。
「なに、どうしたの?」
慧が近づてい胸ぐらを掴んでいる手をそっと外させる。
「こいつがふざけて踏んで壊したんだよ!」
胸ぐらを掴んでいた方の男子生徒がまだ鼻息荒く振り返った。指さされた先には粉々に砕けたガラス片が散らばっている。
「あらら…」
慧のクラスは家から持ち寄ったガラス瓶などを使って壁画を作る、というものだった。踏まれた場所はくっきり足跡がつき無残な状態だ。
「中本は謝ったの?」
中本と呼ばれた男子生徒は引っ張られて伸びた襟首をいじっていたが、慧の声に頷いた。
「あんなの謝ったうちに入らねぇよ!」
再び掴み合いになりそうな雰囲気になったところを慧が手で制する。
「じゃあさ、中本はもう一回ボクと一緒にみんなに謝ろ?三橋もそれでチャラにしてね?」
些か幼稚園のようなやりとりだが、ミケが言うなら…と二人は間に入る慧を立てるようにして納得した。
「…?」
事の成り行きを離れた場所から見守っていた凪葵は何かに違和感を感じて首を傾げる。しかし、それは作業を再開したクラスメイト達の賑やかな声に紛れ、理由は見つからなかった。
部活の演し物も終了し、やっと一日目の終わりが見え始めた頃。先輩たちの苦言はどこへやら、自室へ向かう一年生はハイテンションなままだ。
「お腹すいた~みんなでお菓子食べよ~」
「俺ジュース買ってから行くわ!」
「俺も俺も!」
やっと仕事から解放された凪葵も自室へと向かっていた。おそらく部屋へ戻ってもこの喧騒なんだろうが、部屋の隅でいいからゲームをして一人の世界に没頭したかった。
「一番!北山のモノマネしま~す!」
案の定、凪葵の寝る予定の男子部屋はクラス全員がいるんじゃないかと思うくらいの人口密度で、その中央では先生のモノマネ大会が始まっている。部屋の端っこでイヤホンの音量を上げながら、凪葵は少しぼうっとした。さすがに一日中走り回って疲れている。似ているんだかそうでもないのかよくわからないモノマネに笑い転げているクラスメイト達に紛れて、慧の姿を見つけた。ジェ〇ートピケですかと聞きたくなるようなもこもこの半袖短パンのパジャマにはブレずにネコミミがついている。
『元気だなぁ…』
凪葵は口元だけで笑った。同じ委員だというだけで、クラスの真ん中にいる慧と部屋の隅にいる自分に関りがあるのが不思議に思える。あまりに疲れて手から力が抜けていたのだろう、指の間からゲーム機が転がり落ちた。拾おうと凪葵が手を伸ばした時、部屋の中心で大きな声が上がった。
「うわ!」
「誰か拭くもの持ってきて!」
「その前にペットボトル起こしてよ~!」
何事かと目を上げると、人だかりの真ん中が空洞になっており敷かれた布団の上に2Lのペットボトルが転がっている。その口からはトクトクとジュースが零れ出していて布団にシミを作っていた。
「あ~あ…」
凪葵は小さく呟いてサッと部屋の中に目を走らせた。拭けそうなものは備え付けの箱ティッシュくらいしか見当たらない。仕方ないが箱ごと引っ掴むと、凪葵はそれを円の中心へと投げた。
「ありがと!」
誰かがキャッチしたらしく、応急処置が始まる。しばらくその様子を見ていたが、ふと合宿の備品の中に雑巾かタオルがあったことを思い出して凪葵は立ち上がった。
「ナギ!」
部屋を出ていこうとしたところで慧が追っかけてくる。
「クイズ大会の備品の中にタオルなかった?」
慧も同じことを思い出したようだ。
「あったと思う。行ってくる」
「ボクも行くよ!」
備品のタオルをジュースまみれにしてなんとか落ち着きかけた時、さすがに騒ぎに気づいた教師数名が部屋へ入ってきた。
「お前ら何やってるんだ!」
学年主任はカンカンだが、その後方にいる浅見は笑いをこらえている。ホントお前らなにやってんだよ。
「この部屋の生徒以外は出ていきなさい!」
学年主任から指示されるとこれ幸いと別部屋の生徒たちはあっさり引き上げていった。部屋に残った男子生徒だけでお叱りを受ける。俺関係ないのに…凪葵は心の中で思いながらも愁傷な顔をしておいた。10分ほど小言を続け『もう時間も遅いですから』と他の教師に宥められて学年主任の先生は帰っていった。
「コレどうする?」
クラスメイトも教師も帰った部屋は突然ガランとして見える。ジュースまみれの布団は一組だけだが敷布団も掛け布団も濡れていて寝られそうもない。
「ジャンケンで負けた奴が誰かと寝るか?」
さすがに床で寝ろとは誰も言い出せずこの案が通った。全員で輪になってジャンケンをしてまさかの一発で勝負が決まる。
「あ、負けた…」
慧は茫然と自分のグーにした手を見た。
「え~すっごい疲れてるのに~」
「俺と一緒の布団で寝るか?」
ぶうぶう文句を言う慧に、男子生徒がニヤニヤ誘う。一瞬慧はその男子生徒の方を見たが、すぐにくるりと背中を向けると凪葵の方を見た。
「ナギ、お布団入れて」
男子生徒と凪葵はあからさまに固まった。なんで俺を巻き込むんだ。
「ハイ!寝よう寝よう」
慧は笑顔でパチンと手を鳴らすと凪葵の同意も求めずさっさと手を引いて一番端の布団へと向かう。
「明日も忙しいからね~寝ないとね~」
自分も巻き込まれたら適わない周りもそそくさと布団へもぐりこむ。慧は壁際の電気のスイッチを消して一日を強制終了させた。
「え~…」
布団の海の真ん中で茫然とする凪葵を、慧が手招きする。
「早くおいでよ」
おいでよって…そこ俺の布団…凪葵は床で寝ようかと一瞬考えたが、半袖だとまだ夜は肌寒かった。溜め息を一つ吐くと仕方なしに慧と同じ布団へと潜り込む。
「えへへ~ごめんね」
凪葵が布団に納まると慧が小声で謝った。
「まぁ…疲れてるのは本当だしな」
同じく小声で返しながら凪葵は縛っていた髪をほどく。
「でも楽しかったよね」
今日一日を思い出すように慧は目を閉じた。
「ボク、みんなでワイワイやってるの大好き。制作の時はちょっと…困ったけど」
「ああ、アレな」
凪葵は天井を見上げながら昼間のケンカを思い出す。
「中本と三橋って普段は仲良いんだけどねぇ。三橋が熱くなりやすいから…」
慧の話に、唐突に凪葵があの時感じた違和感が蘇った。中本と三橋…
「なぁ…」
ごそごそと体ごと慧に向き直る。
「なんで中本と三橋は苗字で呼ぶんだよ」
話を遮る質問に意図がわからず慧がキョトンとした目で凪葵を見る。
「仲良いやつはあだ名で呼ぶんじゃないのか?」
凪葵は質問を重ねた。やたらあだ名をつけることに固執していた割に自分より仲良さそうな二人を苗字で呼んでいるのはなんでだ?
「ああ、そういうことか」
慧はフフッと表情を崩した。
「ボクだって誰とでも仲良しになりたいわけじゃないよ」
今度は凪葵が不可解な顔をする番だった。
「あ、別に中本と三橋がキライってわけじゃないからね。普通に喋ってて楽しいし。なんでナギはあだ名で呼びたいって思ったかというと…」
慧は思い出すように視線を右上へと泳がせる。
「なんていうのかなぁ…面白いなぁって思って。もっとナギと話したいなって思ったから、かな」
臆面もなく言われ、凪葵は驚いた。ほとんど驚愕と言っていいほどに。自分が面白い?どこが?確かにゲームの知識なら披露しても恥ずかしくないほどあるが、慧とはそんな話をしたこともない。誰も面白い人間だと思わないからこそクラスの端っこにいるというのに。
「そう…か…」
慧が言葉を区切ってしまったので、変な間ができないようにと慌てて凪葵は相槌を打った。
「そんなこと気になってたの?」
変なの、と慧が笑う。
「いや…別に…よく仲裁できたなって思って」
なんとなく気恥ずかしくなり凪葵は話の矛先を無理やり曲げた。
「俺にはあんなのできないし。すごいなって」
暗くてお互いの顔が見えなくて良かった。ここで目があったらどういう顔をしていいかわからない。
「スゴイって言ったらナギの方だよ~。よくLINEであの会話まとめたよね」
無事に話をそらすことができたらしい。慧はクラスのグループLINEのことを話し始めた。
「ボクだったらあんなに会話飛び交っちゃったらワケわかんなくなるよ」
なんだかホッとしたら急に眠気が襲って来た。慧の声が段々遠くなる。
「あさみっちも賢いなって言ってた…あれ?」
天井を向いていたから、いつの間にか凪葵が目を閉じていたことに気づかなかった。慧は小さな寝息に凪葵を振り返る。
「え…このタイミングで寝る?」
まだ喋ってるのに、と笑いながら凪葵の方に体を向ける。
「おつかれさま」
そっと手を伸ばして凪葵の頭をくしゃくしゃ撫でた。疲れているからか、元々起きない質なのか、凪葵は少しも反応しない。
「………」
慧はこっそりと指先で凪葵の前髪を掻き上げた。いつも半分隠れているその顔を見てみたかった。電灯を消した室内は暗くてハッキリと見えず、慧は少し顔を寄せる。
「…普通にカッコいいじゃん」
思いの外整った、切れ長の目と鼻筋の通った顔。少しの間慧は凪葵の顔を見つめ、そっと髪を元に戻した。
背中が寒い。多分布団がかぶってないんだろう。凪葵はごそごそと身動ぎし、ぬくもりのある方へ手を伸ばした。ふわふわしたぬいぐるみみたいな感触が肌に触れる。
『なに、コレ…』
自分がどこで寝ているのかさえ曖昧な頭でうっすら目を開ける。
「…っ!!」
朝日に照らされ目の前に飛び込んできたのはふわふわの頭、女の子みたいにつるつるの肌に小さな唇。長い睫毛に覆われた瞳は今は閉じている。
「びっ…くりした…」
小さな声が吐息と共に漏れた。一瞬女子と寝ているのかと思ってドキッとしてしまった。なんでこんな至近距離で寝てるんだよ。凪葵が顔を少し前へ出したら鼻と鼻がぶつかりそうだ。慧はあどけない寝顔でスヤスヤと眠っている。あまりにドキドキしすぎて動くことができない。ほんっと可愛い顔してんな…何度か瞬きをしてなんとか落ち着きを取り戻そうとする。その可愛らしい顔は先輩達からも大人気で、入学以降男女問わず既に十人以上に告白されているとウワサで聞いたことがある。そんな奴がなんで俺なんかとつるんでるんだろう。そう思って、不意に昨夜の会話を思い出した。
『もっとナギと話したいなって』
「…!」
記憶に耐え切れずにガバッと布団から飛び起きた。ほどいたままの髪がぱらぱらと顔にかかる。
「…ん」
凪葵が布団を跳ね除けてしまったからか、慧が寒そうに体をすくませ目を開いた。
「おはよ」
視線を動かし、凪葵を見つけるとまだ眠そうに微笑む。
「お…はよ…」
凪葵はなんとなく決まりが悪く視線を外した。
「今日もお天気良さそうだねぇ」
慧は凪葵の様子を気にすることなく起き上がると窓の方に顔を向けて目を細める。カーテンが開きっぱなしになっている窓からは朝日が燦々と差し込んでいた。
「やることいっぱいだから頑張んないとね!」
慧は伸びをすると立ち上がり、自分のリュックへと向かうとゴソゴソ服を取り出した。物音で目が覚めたのか、部屋の仲間たちも起き始める。そうだ、今日も走り回らなければならない。動き出した一日に我に返ると凪葵も自分の荷物の元へと向かった。
テンションが高いままだと二日目に後悔するぞ、という先人達の教えは正しかった。レクリエーションが終わる頃、生徒達の大半は疲れきった顔をしている。教師達は既に屍状態だ。なんとかなんとか日程をこなし、あとはクラス毎の記念写真を撮るだけとなっていた。元気なのはカメラマンだけで、女子達も化粧直しをする気力さえなさそうだ。それでもどうにかみんな笑顔を作ってレンズに収まっていき、集合写真の後は各自仲間たちと自分の携帯で写真大会となっていった。凪葵は開けた野っ原の端でそれを見ながら息を吐いた。やっと合宿が終わる。凪葵はずっとハイテンションだったわけではないが、あちこち走り回らされたおかげで気持ちが落ち着く暇もなく疲弊感は人一倍だ。
「ナーギ!」
写真も疲れた顔してんだろうな…前髪長くて良かった…なんて考えていたら、後ろからドスッと衝撃と一緒に重量物が覆いかぶさってきた。
「…っ」
声も出ず数歩前によろめく。
「一緒に写真撮ろ!」
体力おばけの慧がインカメになっている携帯を持って肩に手を回して凪葵を引き寄せた。
「なっ!俺写真ニガテだから!」
「そんなこと言わないで~記念記念!」
「やめろって…」
カシャッ
凪葵の静止を振り切って、勝手にシャッターボタンは押された。
「も~ちゃんとカメラの方向かないと~」
慧はすぐに写真を確認し文句を言うが、その顔は笑っている。
「勝手に取るなって!消せよ!」
閉口した凪葵は手を伸ばし携帯を取り上げようとしたが、慧はするりと逃げていった。
「宇佐美!」
さっきまでの疲労はどこへやら、凪葵は猛ダッシュで慧を追いかける。慧は笑い声を立て逃げながらも凪葵にカメラを向けてくる。
「ナギ~笑って~」
「笑うかバカ!」
シャッター音の響く追いかけっこは慧が捕まらないまましばらく続いた。
「あ~おもしろかった!」
帰りのバスの中。慧は撮った写真を楽しそうに見返している。結局途中で凪葵の体力がつき慧から携帯を没収することは敵わず、最終的には再びツーショットを無理やり取られるという屈辱的な仕打ちまで許してしまった。
「消しとけよな」
もう凪葵は指一本動かす元気もなく、窓に頬杖をついて不貞腐れている。一体何枚撮ったのだろうか。慧の指はスクロールが止まらない。バスの中は大半の生徒が寝てしまっていることもあり走行音だけが低く響き続けていた。
「大体なぁ、人には肖像権ってものがあって…芸能人じゃなくても勝手に撮ったら…」
車窓の外を睨みつけながら凪葵がブツブツ言っていてると、トサッと肩に何かがぶつかる。振り返ると、凪葵の肩に慧の頭があった。どうやら寝てしまったらしい。
「いきなり電池切れかよ…」
呆れて慧の頭を押し戻そうとした時、ついたままになっていた携帯の画面が目に入った。肩を組まれて驚いている自分と、笑顔の慧が写っている、最初に撮った写真。写真の中の慧は本当に楽しそうに見える。凪葵は携帯を取り上げると、次の写真へと画面をフリックした。慧を追いかける凪葵の写真が何枚か、凪葵が力尽きて膝に手をついて息をしている写真、最後にもう一度捕まって二人で撮られた写真…どれも自分の顔は半分髪の毛に隠されて全貌を見ることはできないが、恥ずかしいことには変わりない。スッと凪葵の指がゴミ箱マークの上へと移動する。
「………」
消してしまえばいい。こんな無許可で撮られた写真なんて。だが、凪葵の指は逡巡に硬化し動かない。これまで学校のイベントなんかダルいだけでなんの興味も無かった。中学の時もどんな行事があったかさえ思い出すことができない。仲間内で抜け出してはゲームばっかりやっていた。それを寂しいと思ったこともないし、ましてや参加して楽しみたいと思ったこともない。そんなのクラスのお祭り騒ぎが好きなメンバーに任せておけば良いと思っていた。今回だって隙あらば逃げ出そうとしていたのに、しつこく慧が追っかけて来るから仕方なかったのだ。じゃあ、その写真を消すことに迷うのは何故…他人の携帯だから、という単純な理由だけではない気がする。
『楽し…かったのかな…俺…』
クラスの皆と和気あいあい、とはしていなかった。いつも通りクラスの隅っこで、部屋の端で過ごしていたけれど、慧という凪葵にとっては大型台風にも等しい勢力に巻き込まれて、合宿の暴風圏内から逃げることはできなかった。そういえば、一日目の夜クラスの全員が集まるその部屋から出なかったのは何故だろう。普段の自分なら静かな場所を求めてロビーなり非常階段なり彷徨っていてもおかしくない。みんなが寝静まってからそっと部屋に戻れば良かったんだ。それなのに、あの喧騒の中あの場所から離れなかったのは…そこまで考えた時、フッと携帯の画面が暗くなった。放置しすぎてスリープしてしまったらしい。
「あ…」
急いで画面をタップしてみても、ロック画面が表示されるだけだった。しまった、考え込みすぎた。削除できなくなるとわかると、さっさと削除しておけば良かったという気がムクムクと湧いてくる。ロック画面を凝視するが自分の顔でロックが開くわけもなく、凪葵は観念して携帯を下ろした。
『ホント疲れた』
揺れる車窓へと目を戻すと、景色はもう見慣れたものになっている。慧の体を元に戻すことも忘れて、凪葵は再び窓際に頬杖をついた。
一泊合宿の熱も冷めやらぬ5月の中旬。
「みんなで合宿の打ち上げやろうよ~!」
事はクラスのリーダー格である女子の一言から始まった。
「お、いいなそれ!」
「やろやろ~!」
すぐに周りにいたグループの仲間が呼応し、どこで開催するかの相談が始まる。
「やっぱカラオケっしょ」
「じゃあラウワンでいいじゃん!」
「ちょっと遠いけど遊園地は?」
慧は自分の席に座って飛び交う会話に加わっていた。
「クラス全員で行くの?」
慧は言い出しっぺの女子を見上げる。
「え~それは考えてないけど…まあ行きたい人で行けばいいんじゃない?」
茶髪に染めた毛先をいじりながら返された答えはあやふやだ。
「ミケ誰か誘いたいヤツいんの?」
別の男子生徒から問われ、慧はう~ん…と躊躇する。全員参加と言われれば声をかけやすいが、グループが限定されるなら声を掛けにくい人もいる。
「考えとく」
とりあえず日程と場所が決まってから考えよう。慧はチラッとクラスの端を見た。凪葵がゲーム機片手に廊下側の窓の向こう側にいる誰かと話している。あんまりこういう集まりは好きそうじゃないけど…誘ったら来るのかな。
「今日の帰りに決めよ~!」
ツインテールの元気な女子の声と、午後の予鈴の音が重なった。
放課後、近くのショッピングモールのフードコートに着くと慧達は各々飲み物や食べ物を買って席に着いた。
「今週末バスケ部練習試合入ってるんだって」
「あ、そうなんだ。じゃあ来週にする?」
自然と話の流れは合宿打ち上げの話になっている。慧がいつも行動を共にしているグループは男女6人で全員が帰宅部だが、それぞれ友達が多く情報も早い。
「誰に声かける~?」
「ユッコ達も来たいって言ってたよー」
慧はコーラを飲みながら行き交う会話に適当に相槌を打っていた。
「そういや、珍しく高橋さんにも声掛けるって言ってたよ」
「高橋さん?…ってあの高橋さん?」
思いがけない名前に慧が問い返す。高橋さんはクラスでも大人しめの子で、ユッコと呼ばれているバスケ大好きな元気っ子とは関わりがないイメージだが…
「そー。意外でしょ?なんか同じマンガ読んでるっていうのが合宿でわかったらしくて、そこから仲良くなったらしいよー」
イベントに追われるばかりの印象だった合宿だが、きちんと当初の役目を果たしていたようだ。そういえば誰それとも仲良くなっただとか、案外アイツ面白かったし誘ってみようかだとか話が膨らんでいく。
「あ…あの、じゃあナギ…大浦くんも誘う?」
慧は話に乗っかって何気なく凪葵の名を挙げた。
「大浦?」
グループの一人がキョトンとして名前をオウム返しする。
「あのゲームヲタク?」
慧が高橋さんを意外がったのと同じトーンで仲間たちは首を傾げた。
「あの…だって合宿係もやってくれたしさ」
思いの外みんなが一様になんで?という表情をするので、慧は慌てて付け加える。今ってそういう話の流れじゃなかった?
「あ~そういや係だったっけ」
男子の一人がストローに口をつけたまま思い出す。
「でもウチ全然喋ったことないし」
「オレも」
グループの反応は変わらず鈍い。凪葵の性格と係をやっていたのも相俟って逆に交流する機会がなかったのか。
「そっかぁ…」
慧もそれ以上ゴリ押しするのはやめておいた。なんとなく、凪葵にとってもここで無理やりメンバーにいれることは望ましくない気がする。
「打ち上げ?」
数日後、浅見の雑用でクラスのノートを取りに行った帰りに廊下を歩きながら慧は凪葵に打ち上げの誘いがあったかどうか聞いてみた。
「うん。きょみちゃんがやろうって言い出して」
慧は発起人のギャル系女子の名前を出す。
「オマエら好きだな、そういうの」
凪葵の表情は前髪のせいで相変わらずよく見えないが、眉を寄せたような気がした。やっぱりさほど興味は無さそうだ。というか面倒くさそうだ。
「一応場所と時間だけLINEしとくからさ、気が向いたら来てよ」




