表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

 4月の暖かい風が吹き抜ける街。鮮やかな新緑の季節は海をキラキラと輝かせている。その海からほど近い場所に東浜中高等学校は建っていた。春の麗らかな日差しに校舎は照らされ、教室からは賑やかな声が響いている。

「見て見て~!コレNENECOの新作!やっとゲットできたんだ~!」

ふわふわのピンクの髪に真ん丸の瞳、まだ中学生らしさが残る少年のような無邪気さで宇佐美(ウサミ) (ケイ)は着ていたネコミミパーカーを披露した。

「お前、ホント猫好きだな」

「いいじゃ~ん、めっちゃ似合ってる」

白地のジップアップの胸元には可愛らしい猫のブランドロゴがプリントされ、背面には短いフサフサのしっぽがついている。男女混ざった友達に囲まれ慧は嬉しそうに笑った。

「これすぐ売り切れになったって言ってたヤツ?」

「そうそう!再販の時間に合わせてお母さんにも手伝ってもらって携帯とにらめっこだよ!」

この高校は比較的色々と自由度が高い。制服はあるがきちんと着用しなければならないのはイベント事の時だけで、それ以外は私服も許されている。クラスでも私服と制服半々といったところだ。

「ミケ、手出てないぞ」

隣にいたクラスメイトに袖を引っ張られる。オーバーサイズとはいえ、周りにいる女子達と大して身長の変わらない慧には確かに大きすぎた。

「仕方ないじゃん、ここのブランド全体的にサイズおっきいんだもん」

慧はむぅ、と口を尖らせた。

「ミケはこのサイズ感だから可愛いんだよ~」

「確かにデカいのがコレ着てたらおかしいわ」

一際大きな笑い声と午後の始業を知らせるチャイムが重なった。

「席着けよ~」

ガタイの良い担任が教室のドアを開ける。

「あさっち早いよぉ」

「浅見先生と呼べと何度言ったらわかるんだ」

浅見は持っていたバインダーで『あさっち』と呼んできた生徒を軽く叩いた。

「うわ!虐待!教育委員会に言いつけてやろ~!」

「できるもんならやってみろ」

生徒の非難も笑って受け流す浅見を含め、慧がいる1年2組は入学式が終わったばかりだというのにみんな仲が良い。東浜中高校は生徒の殆どが地元の中学3校から集まることもあって顔馴染みが多く、浅見も若くて明るい性格でノリが通じやすいのがそうさせているのだろう。

「今日のHRは時間かかるネタだからな、それで早く来たんだよ」

教卓にバインダーを放ると、浅見は案外綺麗な字で黒板に文字を書いた。

「委員決めだ」

カツン、と音を立ててチョークを置く。生徒全員が面倒くさそうな顔をした。

「まぁそんな顔すんなって。サクサク決めたらサッサと帰れるんだぜ?」

プリントを取り出して委員の名前を書きながら浅見が苦笑する。板書される委員の名前を見ながら、どうする?と隣同士で話し合いが始まった。

「1、2…半分くらいの奴が委員しなきゃなんない感じか」

「できるだけ役少なそうなんとかわかる?」

「実験委員てなんだよ…」

図書委員や体育委員など役割が明確だったり趣味も兼ねられそうなものから立候補で埋まっていくが、環境委員や風紀委員というちょっとマイナスイメージのあるものが取り残されていく。

「1年から委員やってると内申も上がるぞ~」

浅見が声を掛けるがザワつくクラスからは特に手が挙がらなくなっていた。すでに時間は9割ほど経過しておりそろそろまとめに入りたいところではある。

「んじゃ、ラチがあかないから俺が決める」

ちらりと時計を確認し、浅見は出席簿を広げた。

「マジかよ!横暴だぞ!」

「えー!強制!?」

生徒達から文句が上がるが、浅見は何処吹く風で勝手に黒板に名前を書いていく。

「よっし、コレで一通り埋まったか」

書き終わった黒板を見直し人数を確認する。背後からはまだ不満が噴出しているが、無視して続けた。

「じゃあ最後に今日のメイン、いこうか」

もったいぶった口調でニヤリと笑い、浅見は後ろを振り返った。全員の頭に疑問符が浮かぶ。浅見は黒板に向き直り高い音を立てて3文字を書いた。

「N…DY?」

誰かが板書を読む声が響く。クラス全体が説明を求めるようにシンと静まり返った。

「そう、NDY。なんでもやる係だ」

教卓に両手をついて浅見はドヤ顔を見せる。

「毎年俺のクラスにはこの係を決めてる。役割は俺の手伝いとかイベント時に人手が足りないとか…要は雑用係だ。ただし、俺の権限ある範囲で見返りもちゃんと用意する」

やる奴いるか?という目で浅見は教室を見回すが、全員が視線を逸らした。せっかくの高校生活、いくら旨みがあっても担任の用事で潰させるワケにはいかない。

「やっぱなぁ…いないよなぁ」

やれやれ。頭をガリガリと掻いて嘆息をつくと、浅見は再び出席簿を開いた。その一挙手一投足をクラス全体がかたづを飲んで見守る。どうか自分には当たりませんように…

「今日は4月6日だから…出席番号4番と6番…」

ブツブツ言いながら浅見は黒板と出席簿を見比べる。

「お、丁度空いてるじゃん。宇佐美、大浦(オオウラ)。お前らNDYな」

「え?!」

慧は呼ばれてすぐさま拒否反応を示した。できれば何もやりたくない、と珍しく大人しくしていたのに…もう一人は、と出席番号順に並んでいる席の後ろを確認する。二つ後ろ、廊下側一番後ろの席。慧の視線に間の江崎がサッと身を避ける。その男子生徒は自分が話に入っているのに全然気づいていないかのように俯いて携帯をいじっていた。

「いいな、大浦」

浅見に呼ばれてやっと慌てたように顔を上げる。ボサっとした反応と同じくらい見た目もボサっとしている。後ろの髪の毛は無造作に一つにまとめられ、前髪は周りが見えているのかと疑いたくなるくらい長い。確かいつもゲーム機と一緒にいてクラスでも目立たない存在だったような。

「…へ?」

「NDY、頼むぜ」

聞いてなかった奴に説明は不要とばかりに不敵に笑うと浅見はそれだけ伝えた。

「早速だけど、これ書き写して持ってきてくれ」

バンっと黒板を叩くと浅見は満面の笑みでプリントを慧に持ってくる。

「なんでボクに言うんですかぁ…」

半泣きになりながら慧は浅見に抗議したが、机が近いからとアッサリ書類を渡された。

「う~…」

涙目の慧を残して終業のチャイムが鳴った。


 終わりの挨拶をしたらとっとと友達は遊びに帰ってしまった。慧は委員の名前が列挙されたプリントと共に残されている。仕方がない、書き写すかと目を落とした時フッと紙に影が落ちた。まだ誰かいたのかと目を挙げると、一緒にNDYを押し付けられた大浦が突っ立っている。

「ソレ、書くのか?」

大浦は伸ばしっぱなしになっている長い前髪の間からチラッとプリントに目をやった。

「…うん、あさっちが書いて持って来いって」

そう言えば大浦と喋るのは初めてかもしれない。慧は友達も知り合いも多いが、いつもゲーム機か携帯ばかり見ているクラスメイトとは関わりが無かった。てっきり頼むぞと置いてきぼりを喰らうと思ったが、大浦は江崎の席にドカッと座った。慧がシャーペンを持って既に書く姿勢になっているからか、手伝いはしないが待っていてくれるようだ。

「すぐ書くね」

少々驚きつつ慧は丸文字で委員に決まった名前を書き始めた。しばらくすると、大浦は無言で立ち上がり移し終えた委員の名前を黒板から消し始めた。背の低い慧は黒板の上の方を消すのに苦労するが、大浦はサッサと消していく。慧が写し追えるのとほぼ同時に、大浦は最後の名前を消し終えた。

「ありがとう!早く終わってよかったぁ!」

完成したプリントを前に慧は笑顔を向けたが、大浦は一言も返さず自分のカバンを取りに席に戻っていた。あまりの素っ気なさに、嫌われてるのかなと慧が思いかけた時。

「出してくるから」

ぶっきらぼうな声と共に、大浦は手を出した。

「え?」

びっくりして慧はキョトンとしてしまった。

「紙、ちょうだい」

大浦はもう一度言う。おずおずと慧が紙を渡すと、大浦はオツカレ、と小さい声で言って廊下へ出ていった。慧は教室に取り残されたまま、少しの間動けなかった。


 終業のチャイムと共に生徒達は各々の活動へと繰り出していく。ある生徒は部活に、ある生徒は帰宅に。

「今日どこ行く?」

慧は友人達と靴を履き替えていた。

「カラオケ行こー」

「こないだできたカフェ行こうよ~」

みんなが口々に言いながら校舎から出ていく。それに続きながら、慧はずっと考え続けていた。何か…何か自分は忘れている気がする。

「ミケ?」

いつになく難しい顔をしている慧を気にして、一人が顔を覗き込んだ。

「あ!」

やっと思い出して慧は顔を上げる。

「ボク今日日直代行だった!」

今朝、日直が二人とも休みなので浅見がNDYに頼むと言っていたのだ。次の人に回せばいいのに。

「ごめん。先帰って!」

慧は友人達に手を合わせるとクルリと踵を返した。既に校門近くまで歩いてきてしまった、早く戻らないと。校門から教室まではまあまあ遠い。慧は息を切らせながら教室のドアを開いた。

「ハァ…ハァ…」

誰もいないと思っていた教室に、大浦の姿があった。

「あ…」

目を丸めて見つめるが、大浦は顔を上げようともしない。慧に気づかないのか、机に向かって何か書き続けている。机の傍まで来るとようやく気づいたように顔を上げた。

「帰ったと思ってた」

耳からイヤホンを外しながら大浦が呟く。

「ごめん、途中まで帰ってた」

手元を見ると、ほぼ記入された日直日誌が見えた。

「うわっごめん!やっててくれたの?!」

慌ててリュックを下ろして大浦の前に座る。

「あと何が残ってる?」

日誌のチェック表を確認すると全て完了にマルがついていた。

「ごめん…大変だったよね…一人で全部なんて…」

忘れていたとは言え仕事を押し付けてしまったことに慧が凹みかけると、アッサリした声が飛んできた。

「やってないよ」

「…へ?」

完了にマルがついてるのにやってないってどういうこと?

「こんなのやらんくてもバレないだろ。ゴミ捨てだけやっといた」

トントン、とシャーペンの先で項目を指して大浦が言う。確かにクリーナーの清掃なんてやらなくてもバレなさそうだ。

「それより今日欠席の奴教えて」

それこと適当に書いてもバレなさそうだが…さっきから難しそうな顔をしていたが、そのせいだったのか。

「…アハハ!」

急におかしくなって慧はつい吹き出した。大浦が驚いた顔を上げる。

「な…なんだよ」

「いや、マジメなのかフマジメなのかわかんなくて」

なおも笑い続ける慧に大浦は困ったように頭を搔いた。

「ボク書くよ」

日誌をくるりと自分の方へ向けると、大浦の手からシャーペンを取り上げる。見た目からしてヲタクっぽい雰囲気の大浦は、自分なんかとは関わりたくないだろうなぁと勝手に思い込んで線を引いていたが、案外面白い人間かもしれない。

「大浦くんて下の名前なんていうの?」

日誌の最後に今日の日直の名前を書く欄がある。

「ナギサ」

「どんな字?」

大浦は慧の手からシャーペンを取り戻すとサラサラと日誌に名前を書いた。

『大浦凪葵』

「へぇ…綺麗な名前だね」

全体的に海をイメージさせる名前はこの街にぴったりだと思った。

「大浦くんて普段なんて呼ばれてるの?」

日誌を出すために二人で並んで職員室へと向かう。

「大浦…かな」

少し考えながら大浦が答えた。慧はふ~ん、と聞いていたがやがて良いこと思いついたとピンと人差し指を立てる。

「なんかあだ名つけようよ!」

「はぁ?」

大浦はあからさまに嫌そうな表情で慧を振り返った。

「なんで?なんのために?」

「だって仲良くなるにはあだ名の方がいいじゃん」

一年間一緒に係をやるんだから、仲良くしようよ。慧は無邪気に大浦を見上げる。

「え~いいよ…大浦で…」

今までも特にあだ名なんかついたことのない大浦は職員室へと足を速めた。

「おおちゃん」

「…ヤダって」

「うらっち」

「もっとムリ」

競歩スピードで歩く大浦を小走りについて行きながら慧はブツブツと考える。

「も~、なんならいいのさぁ」

「だから大浦でいいっつってんだろうが!」

ガラッと扉を開きながら大浦がしたツッコミは、意外と静かだった職員室に響いた。何事かと職員がこちらを見て固まる。

「…すんません」

バツが悪そうに謝る大浦の背後で、慧は爆笑していた。

「めっちゃ見られたねぇ」

「誰のせいだと思ってんだよ」

職員室に浅見の姿は無く、放り出すように日誌を置くと二人はそそくさと廊下へ逃げ出した。すれ違う生徒もいない放課後。遠くから運動部の声だけが聞こえてくる。

「どっか寄ってかない?」

慧は大浦の前に出て顔を覗き込んだ。まだもう少し大浦と喋りたいと思った。だが、大浦は振り返りもせずスタスタ歩いていく。

「ムリ。用事あるから」

「え~?ホントに~?体良く断ろうとしてない?」

口を尖らせる慧に大浦は半分図星をつかれたように視線を泳がせる。

「いいじゃん、ちょっとだけだから~」

グイッと腕を引っ張ると大浦はよろけた。

「ゲームの…イベントがあるんだよ」

言いにくそうにボソボソと口の中で呟く。

「じゃあゲームしながらでいいから!」

どうせゲーム機持ってきてるんでしょ?と笑うと、大浦は諦めたように溜め息をついた。


 駅近くにあるファストフード店の二階、カウンター席に並んで座る。この時間帯は同じような学生が多くて店内はうるさいくらいだ。

「あだ名考えんの難しいなぁ」

飲み物片手に慧はまだ悩んでいた。大浦は無視して携帯のWiFi設定をいじっている。大体、なんでこんなクラスの…いや、学校の人気者と一対一で放課後を過ごさねばならないのか。慧はその可愛らしい容姿と明るい性格から男女共に人気が高く、入学直後から耳目を集めていた。いくら自由度が高いといいつつも髪をピンクに染めているのは慧くらいで、それも1つの要因かもしれない。それがこんなゲームヲタクと…

「大浦くんって普段何してんの?」

考えるのを諦めたようで足をブラブラさせながら慧が尋ねる。

「見ての通りゲームだけど」

画面から目を離さず大浦は答えた。

「友達いないの?」

不思議そうな問いに携帯を落っことしそうになる。

「いるわ!少ないけど」

大浦はゲームヲタクではあるが根暗でもコミュ障でもない。休み時間に話す友達くらいはいるのだ。

「あ、ごめんごめん。偏見とかじゃないんだけど」

慧は慌てて手を振って否定する。パーカーの後ろについている猫のしっぽが一緒に揺れた。

「やっぱり大浦くんって面白いね」

ニッコリ笑って慧は大浦を見た。その顔は素直そうでヲタクの自分をからかって遊んでいるというよりか、どっちか言うと『興味深い』の方の面白いに聞こえた。

「そういえばイベントあるんじゃないの?ゲーム機出さなくていいの?」

ふと疑問に思って慧が首を傾げる。

「今日のは携帯のだから」

携帯を横持ちにしながら大浦が返事をする。

「見てていい?」

「邪魔しなければ」

ログイン画面が出た後、小さな町のような画面に切り替わる。右三分の一ほどの大きさの窓にチャットが飛び交っていた。

「あと二分後にイベント始まるから、喋りかけんなよ」

キャラクターの装備やら持ち物をがちゃがちゃと入れ替えながら大浦はボソッと言った。時間を確認すると4時ちょうどだ。慧は大浦の集中を乱さないように小さく頷いた。イベント開始時間が近づくにつれ、町の人間が増えていく。やがてイベント開始を告げるモーションが入ると舞台は戦場へと変わった。戦いが始まったことはわかったが、普段ゲームをしない慧には大浦が何をしてるのか、誰と戦っているのかさっぱりわからない。慣れた手つきでキャラクターを動かしつつも凄い速さでチャットを飛ばす大浦をただただ目を丸くして見守っていた。その大浦の表情をチラッと確認するが、必死さは欠片もなくいつもの冷静そうな顔のままだ。指の動きの速さとミスマッチして見えて思わず笑いそうになったのを必死で手で塞ぐ。十分ぐらい経っただろうか。大浦の手の動きが止まった。

「終わったの?」

案外早いなと思いながら恐る恐る声を掛ける。

「うん、今回は簡単だった」

「あんなに指動いてたのに?!」

「普通だよ」

驚いて食いつく慧に事も無げに答えながら、携帯をテーブルの上に置くとジュースを口をつけた。ほぉ、と感心して放置された携帯を見るが、すでにゲームはログアウトしたのか情報サイトの画面が表示されている。

「うらりん凄いねぇ」

「その呼び方やめろ」

しれっと勝手につけたあだ名で呼ぶとほぼ被るようにして拒否反応が飛んできた。

「だって~いいの思いつかないんだもん」

食い下がる慧に大浦は呆れた視線を投げる。

「そのままで言いっつってんじゃん」

「えー、だってあだ名の方が仲良しっぽいし」

「実際そこまで仲良くないだろ。こないだまで喋ったこともなかったのに」

「だからこそだよ!ボクは大浦くんと仲良くなりたいの!」

それはキミの取り巻きたちに言ってあげなさい。大浦は心の底で慧を諭した。なんだって自分のようなヲタクに興味を持ったのか。正直メンドくさい。

「も~じゃあとりあえずナギでいいよ~」

慧は諦めたようにイスの背もたれに寄りかかり天井を仰いだ。どうしてこっちが譲歩してもらってる感じになるんだろう。大浦は腑に落ちないが、今までのむず痒いあだ名たちよりずっとマシだと思って溜め息をついた。下の名前でなんて親くらいしか呼ばないのに。

「そういえば、宇佐美はなんで『ミケ』なんだ?」

ふと思い出したように凪葵が問う。むしろウサギじゃないの?という視線だ。

「う、さ、『ミ、ケ』、い、だから」

慧は自分を指さし、苗字の最後と名前の最初にアクセントを置いて言った。あ、と大浦の眉が上がる。

「もともと猫好きなのもあってね、小学校の時についたあだ名なんだ~」

慧はこのあだ名がとても気に入ってるようで、心底嬉しそうにニッコリ笑った。小学生の慧…あまり今と変わらなさそうだな。大浦はこっそりと失礼なことを考える。

「ナギもミケでいいよ」

むしろそう呼んでほしそうに慧は言うが、大浦の表情は渋い。あのリア充集団と同じ呼び方には抵抗があった。

「いや、俺は宇佐美でいい」

大浦は首を振って慧の提案を拒否した。

「え~!なんでなんで?いいじゃんミケで!」

慧は大浦の袖を引っ張ってねだるように声を上げるが、大浦の態度は頑なだ。

「いきなり俺がミケなんて呼んだら周りがびっくりするだろ」

「ボクがいいって言ってるんだからカンケーないよ!」

「お気持ちだけ受け取っておきます」

その後も慧と大浦、改め凪葵の言い合いは店内の賑やかな雑音に紛れながらしばらく続いたのだった。


 今日も朝から元気な声が響き渡る東浜中高等学校。凪葵は既に登校し、自分の席でゲーム機に目を落としていた。ふいに画面が暗くなり目を上げる。

「ナ~ギ!おはよう!!」

ピンクのふわふわ頭で満面の笑みの慧が机の横に立っていた。教室の空気が一瞬にしてザワつく。

「え、ミケってあのヲタクと仲良かったっけ?!」

「挨拶した?」

「つーか今ミケなんて言った?!」

ほらみたことか。凪葵は心の中で嘆息をついた。いきなり陽キャと陰キャ(自分は陰キャじゃないけど)が仲良くなるとこうなるんだよ。ここで凪葵が笑顔で『ミケ、おはよう』なんて返事しようものなら収拾がつかなくなるだろう。この状況が容易に想像できたから、昨日あくまでも凪葵は宇佐美で通すと決めたのだ。慧はクラスメイトの空気を感じ取っていないのか、ニコニコと凪葵の横に立ち続けている。これは返事を返さないと立ち去らないだろう。

「…おはよ」

凪葵は諦めてざわめきに紛れるくらいの音量で返事をした。凪葵がいつものテンションであることにクラスは冷静になり、朝のHRが終わる頃には平穏を取り戻していた。

「宇佐美、大浦ちょっと来い」

HRが終わり授業開始までの短い時間の中、浅見が教室のドアの脇でちょいちょいと二人を手招きしている。教科書を取り出そうとしていた凪葵と、友達から声を掛けられていた慧は同時に反応して手を止めた。

「一昨日のHRで説明したけど、GW明けの一泊合宿、オマエら担当な」

プリントを差し出しながらサラッと浅見が言った言葉に慧が首を傾げる。

「担当?」

「そう」

端的に返事をし、浅見は慧にプリントを押し付けた。プリントには大きな字で一泊合宿のタイトルと会議日程、合宿の内容が簡単に記載されている。

「え!まさか一泊合宿の取りまとめボク達がやるの?!」

「そう」

浅見は再び同じ返事を繰り返す。

「待て、一泊合宿係は決めてたはず…」

「うちのクラスは委員しか決めてないぞ」

凪葵は一週間ほど前に自分のクラスで決定した記憶をたぐろうとしたが、浅見はアッサリそれを断ち切った。

「一々決めてるとまた揉めるからなぁ。そのためのNDYだ」

朗らかに笑いポン、と慧と凪葵の肩を叩くと浅見はサッサと立ち去って行った。

「ちょっ!…しかも会議今日じゃん!」

「マジかよ…」

担任の無茶振りのせいで雑用以上の仕事を押し付けられる、それがNDYらしい。浅見のクラスになったことを呪いながら、放課後二人は仕方なく会議の場へと足を向けることになった。

「まぁさ~、決まっちゃったものは仕方ないから楽しもうよ」

指定された教室へと廊下を歩きながら慧は明るい声を出す。

「オマエよく順応できるな」

隣を歩く凪葵は低い声で呻く。教室へ着くと既に半分以上の席が埋まっていた。

「こっちこっち!」

慧は窓側に二人分空いた席に凪葵の腕を引っ張る。

「じゃああとよろしく」

席に着くなり凪葵は机に突っ伏した。昨晩ゲームの止めどころを見失い寝たのが明け方だったのだ。

「え?!ちょっとちゃんと聞いといてよぉ!」

慧に体を揺さぶられるが、この体勢になってしまうともう睡魔には抗えない。説明担当の教師が来た時には凪葵は寝息を立てていた。しばらく慧は口を尖らせて凪葵の後頭部を睨んでいたが、説明が始まると慌ててメモを取り始めた。こういう集まりの時、凪葵が大抵このスタンスであることを慧はまだ知らない。


 説明が終わる頃、やっと凪葵はのそのそと起きだした。

「もぉ、決めることいっぱいだよ~」

話の間に慧の機嫌はすっかり直っていたが、わざとまだ怒っているポーズをとる。

「何決めんの?」

凪葵は慧の態度を気にすることなくプリントを奪い取った。

「班決め…制作内容…昼ごはんのメニュー…メンドくさ」

書かれた項目を読み上げ、ボソリと悪態をつく。

「LINEでグループ作って。投票で決めるから」

プリントから目を上げると、凪葵は慧に携帯を出すように言った。

「え、でも先生はHRとかで決めてくださいって言ってたよ?」

「こんなことで放課後潰すより遊びたくないデスカ?」

肘をついてプリントを指でトントンと叩きながら凪葵は首を傾げる。確かに。誰も発言しないまま時間だけが過ぎてゆく話し合いが目に浮かぶ…かもしれない。

「先生になんか言われたら責任取ってよね」

渋々慧は携帯を出すとLINEを立ち上げた。クラスメイトのアイコンを順番に選んでいくと、2、3人足りなさそうだがほとんど揃いそうだ。その中には一緒に帰った日に半ば無理やりIDを交換した凪葵も入っている。友達伝いで全員呼ぶのは難しくなさそうだった。

「さすが宇佐美」

自分の携帯を取り出してグループの人数を確認しながら、凪葵は満足げに口元を上げる。人気者の慧なら全員と繋がることなんて朝飯前なのは予想通りだった。

「じゃ、この後はやっとくから」

鞄を持って立ち上がる凪葵に慧も慌てて立ち上がる。

「手伝うよ!」

「宇佐美は説明聞いてくれてただろ」

廊下に出て行きざまに言われた言葉に慧は足を止める。ほんと、マジメなんだかフマジメなんだか…不意に笑いが込み上げてきて、慧は凪葵を追いかけた。

「それならちゃんと説明聞いとけばいいのに~」

「効率的なんだよ」

その夜、9時頃からグループLINEは連続して通知を繰り返していた。風呂に入っていて気づかなかった慧は自室に戻って通知の件数に驚く。

「なにコレ」

頭を拭いていた手を止め、タオルを首にかけると慧はロックを解除した。最初に凪葵から一泊合宿の簡単な説明が入り、その後決めることのリストと『何がいいですか?』と凪葵の問いかけが続いている。そこからおよそ15分ほど誰も発言しない時間があり、じゃあコレでいきます。という凪葵の陳腐な案が入った途端、怒涛のような意見交換会が始まっていた。慧のクラスはノリがいい。一人が発言を始めたらそれに乗っかってくる奴がいてもおかしくない。中にはハチャメチャな意見もあるが、きちんと話は進んでいた。

「スゴい…」

これならHRでも決められたかも?と慧は思ったが、逆に議論が活発過ぎて収拾がつかないかとすぐに思い直す。凪葵の始めのメッセージから一時間はやりとりが続いている。LINEの通知らその後も鳴り続け、日付が変わる頃やっと収束を見始めると凪葵の投票フォームの投稿で終わった。


 次の日の朝のHRが終わった時には班決めを残し投票は終了していた。その残された班決めも放課後を迎えるまでに決定し、慧はそれを書き写したプリントを持って浅見のところへ訪れた。

「センセー、これ一泊合宿のやつ」

プリントを差し出すと浅見はイスを回転させて慧を見上げる。

「お、なんだ質問か?」

プリントを受け取り浅見は驚愕した声を上げた。

「え?!もう決まったのか?説明昨日だっただろ?!」

「え~っとぉ…」

こういう時に限って凪葵は別の先生に呼び出しを喰らっている。慧は気まずそうに視線を外し事の経緯を説明した。

「そうか、ちゃんと話し合って決めたならいいぞ」

だが、浅見の答えはあっけらかんとしたものだった。

「え?!いいの?」

てっきりやり直しを命じられると思っていた慧は目を丸くする。

「本来は顔をつき合わせてやった方がいいとは思うけどな。でもそれは合宿中でもできるだろうし」

全く意に介していない様子の浅見に慧は肩から力が抜けた。

「それにしてもLINEでやるとはなぁ。大浦も賢いな」

机で書類をまとめながら浅見は笑っている。慧は頭を下げると職員室を後にした。もしかして、凪葵は浅見の性格も考慮してこの方法を提案したのでは…

『まさかね』

なにはともあれ、仕事が片付いて慧の足取りは軽かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ