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それでも生きていく

作者: 牧場のばら
掲載日:2026/01/19

 愛する人が病に倒れた。わたしはずっとそばに居るつもりで離れる事を最後まで渋ったが、移るかもしれない流行病だからと諭され、泣く泣く婚約を解消し別れる事となった。


「愛していたよ」の一言で切り捨てられたわたしは、悲しみのやり場に困った。そしてこの身を神に捧げ生きようと決めて修道院の門を叩いた。

 家族は泣いて引き留めたがわたしの決意は固く、身の回りの整理を済ませて家を出たのだった。


 修道院では元の身分は関係ない。わたしは他の修道女達同様清貧な生活を続け、気がつけば既に3年が経っていた。

 家族は寄進という体で身の廻りのものを届けてくれた。皆で食べられるお菓子、全員分の清潔な下着類や靴、そしてわたし宛の手紙。

 兄がわたしの親友と結婚して子どもが生まれたのを知らせて来た時は、とても嬉しく感じたものだ。何もお祝いが出来ないのがもどかしかったが、せめて祝福だけでもと心を込めて女神像の前で祈った。わたしには祈る事しか出来ない。


 手紙はわたしの健康を願う言葉で締められていて、元婚約者については一言も触れられなかったので、彼や彼の家がどうなったのかは知る由もなかった。実家が敢えて知らせないのなら、知る必要のない事なのだろう。そして俗世から切り離されている修道女は世情に疎くても問題はないのだ。

 

 愛する人と離れ離れになった辛さから逃げるために、深く考えもせずに修道院に逃げたわたしだったが、そんな甘ったれた人間を院長や先輩修道女達は厳しくも温かく迎えてくれた。

 日々の生活とお勤めで過ごすうちに、悲しみは年月が癒してくれるのだとわたしは悟った。愛の思い出があれば、それでも案外図太く生きていけるのだ。



 変わり映えのしない平穏な日々が過ぎていき、例の流行病が終結した後の世界は平和で、わたしの心は凪いでいた。

 そんなある日、院長室に呼ばれて向かうとそこには若い娘がいた。わたしよりひとつふたつ年下だろうか、修道女見習いとして新しくやってきた娘だという。身なりの良さからおそらくは貴族令嬢なのではないかと思われた。

 

 修道院では、身の回りは全て自分でせねばならないし、調理、掃除や洗濯といったいわゆる家事も自分達でする。その上に祈りのお勤めがある。わたしは慣れるまで苦労して、疲れから随分痩せてしまった。


 何も出来なかったわたしに、同僚達は文句を言いつつもやり方を教えてくれた。中には意地悪をする修道女もいたが、その洗礼は通過儀礼でもあるのだ。そして、ここでの生活に慣れる為に必死に過ごしているうちに、俗世を忘れられるのだ。


 この少女も辛い現実から逃げて来たのだろうか。


「この人は厄介ごとから一時的に避難されてきたと解釈してください。彼女の教育係をレラリア修道女に任せたいのです」

「承知いたしました。それで期限はいつまで?」


 どうせその避難が終われば彼女は元の場所へ戻るだろう。


「それは未定です。ただ、くれぐれも失礼のないように願いますよ。これは元公爵令嬢である貴女にしか頼めない仕事なのです」


 わたしは頷き、青ざめた顔の少女に微笑みかけた。彼女は小声でよろしくお願いしますと言った。どのような事情でここに避難して来たのかわからないけれど、期間限定で彼女を守るのが修道院の意思ならそれに従うだけである。



「わたしは庶子なのです」


 ジュリアンナと名乗った少女は、高貴な家柄の庶子であると自ら告白した。


「それで、家督争いに巻き込まれて……命を狙われて……」


 顔色の悪いジュリアンナに、それ以上は話さなくて良いと目で制した。彼女は冷静を保とうとしていたが、恐らく酷く怖い思いをしたのだろう。


「貴女が複雑な立場にいる事はわかりました。ですが元の身分はここでは関係ありません。皆等しい立場なのです。

 他の修道女の手前、貴女に対して厳しい態度で接する事もありますが、そこは受け入れてください。今後貴女の事は修道女見習いのジュリと呼びます」


「あの、レラリア様は何故ここにいらっしゃるのですか?ご実家は確か……」


「修道女見習いジュリ、ここにいる者の過去に触れる事は禁じられています。貴女は見習いのジュリとして振る舞うように心がけなさい。

 それからわたしの事はレラリア修道女と」


 ジュリアンナは小さく頷いた。少し落ち着きを取り戻したようだ。ここにいれば命の危機は免れるのを理解したのだろう。


 それにしても家督争いで暗殺騒ぎとは随分ときな臭いものだ。年若い彼女を始末しなければいけないほど複雑な事情のある家など、そう多くはないはず。

 いけない、詮索はやめておかねば。知れば自分の首を絞めることになるかもしれないと己を戒めた。



 ジュリがやって来て3ヶ月、懸念していたより彼女はずっと庶民寄りだった。本家に引き取られるまでずっと母親と平民として暮らしていたのだと言う。家事はわたしより遥かに得意で、寧ろ便利なやり方を教えてくれる有様だ。彼女はこの修道院の中でのびのびと暮らし、自分の居場所を確実に築き上げていた。


「本家には兄がおりました。引き取られるまで会った事はなかったんです。兄は素晴らしい人で勉学も剣も秀でていたのですが、あの流行病に罹り闘病生活を続けました」


 洗濯物の籠を抱えて移動しながらジュリは話し出した。わたしはジュリアンナの兄の境遇に元婚約者を思い出していた。


「あの流行病は酷かったわね」

「まさか、レラリア修道女のお身内にも罹患者が?」

「ええ、身内ではないけれど親しかった人が罹ったの。特効薬もなく本人の体力気力で生死が左右されるなんて。きっと神の与えたもうた試練なのでしょう」


 洗い立てのシーツを干すと、ひらひらと風に靡いた。ジュリアンナは器用に、竿にシーツを掛けていく。


「兄はその試練に打ち勝ちました」

「まあ、それは良かったわね」

「はい。ただ、そのおかげで家督争いが起こったのです」

「嫌な事を思い出させてしまったみたいね。貴女が無事で本当に良かったと思いますよ。人間の悪意は病よりずっと恐ろしいですからね」

「ええ、本当に」


 わたしとジュリアンナは意外な事にうまが合った。貴族令嬢の立場を捨てた女と、市井の暮らしを捨て貴族になった娘は、あの流行病という深い傷を共有していたのだ。


 仲良くなったジュリアンナは自分の話をしたがった。修道女達は過去を詮索しないのだが、期間限定の年若いジュリアンナにとっては、打ちあけ話は退屈な修道院での息抜きになっているようだった。何度か諌めたが、どうせそのうち居なくなる人ですからと、明るく笑うのだった。


「わたし()が現れるまで兄は父の唯一の子でした。

 わたしは母と共に本家の奥様から身を隠し、平民として生きてきました。奥様はとても嫉妬深い方だと聞きましたから。

 母が死んで父に引きとられたのが、3年ほど前の事なのです」


 ちょうどわたしが修道院に身を寄せた頃だ。道理でジュリアンナの家の顛末を知らないわけである。

 過去のわたしなら、そういう情報は全て頭に入れておくべき重要事項だ。院長の口ぶりだとジュリアンナは高位貴族のご令嬢のようだし、わたしの立場なら知っていて当然の話なのだが、情けない事に心当たりがなかった。

 特にあの流行病に関してはどの家も慎重に隠していたので、探りようもない。それよりも。


「さきほど貴女、わたし達と言わなかったかしら?

ジュリのお父様の庶子は、貴女以外にも?」


「さすがレラリア修道女ですね。ええ、母を同じくする兄がおりましたが、既にこの世にはいません。その兄は本家の兄と同い年でした」


 ああ、そういう事か。家督争いに巻き込まれたのはジュリアンナとその兄、そして最初の被害者は実兄だったのか。

 なんと惨い事か。正妻から生まれた後継が流行病に倒れなければ、ジュリアンナ達はひっそりと暮らしていただろうし、兄もまだ生きていたかもしれないのだ。


「辛い経験をしましたね。だけど今、わたし達はこうやって生きています。神の御心で生かされているという事が大事なのです。神の御心に意味のないことなどないのです。ジュリ見習いが無事にここで過ごせるのも神の御心です。貴女はいずれあちらに戻る人ではあるけれど、今ここにある限りは守られているのだから安心なさい」


「そうなのでしょうか。神の御心ゆえに母と兄が亡くなったのだとしたら、そんな御心はわたしは欲しくありません。母と兄は見放されたのです。

 そして今、わたしは望んでもいないのに巻き込まれて命の危機すらあった。

 たとえわたし達の人生を歪めても、神の采配は正しいと仰るのでしょうか。わたしは粗雑に扱われても当然の人間なのでしょうか?

 レラリア修道女はご自分がその立場になっても、全てに意味があると言いきれますか?」


「ごめんなさい。お母様とお兄様を亡くし、貴女自身も危険な目にあったというのに、配慮が足らなかったわ」


 ジュリアンナの話はわたしの心を大いに揺さぶった。わたしが黙り込むとジュリアンナもまたそれ以上話を続けようととはしなかった。


「いえ、わたしも言い過ぎました。

 だけどレラリア修道女は何もご存知ないわ」


 それはどういう意味かと聞き返そうとした時には既に、ジュリアンナは踵を返していた。籠を返して来ますね、という彼女の声だけが耳に残った。

 



 その日は朝からなにやら慌ただしかった。朝のお勤めの後で、院長から食堂で待機するようにと連絡があった。どうやら高貴な方々がこちらへいらっしゃるらしい。


 皆で集まってバザーのための刺繍などをしていた中にジュリアンナの姿がなかったので、いよいよ身の回りが落ち着いてお迎えが来たのかもしれない。


 庶子だとあっけらかんと自分の境遇を話すジュリアンナに最初は戸惑ったものの、よく働き愛想も良い彼女は、たった2ヶ月で修道女達の中で自分の居場所を作り上げていた。それは一種の才能といっても良いだろう。元公爵令嬢のわたしは本心を曝け出すのが怖くて、素直になれず孤立していた。


 それでもわたしがこの場所と今の自分自身を受け入れると、周囲も変化する。そうやって作り上げた3年間だったが、ジュリアンナはあっという間に周りに溶け込んだ。だからきっと家に戻ってもうまくやっていけるだろうと思う。


 そんな事を考えていたら、院長から呼び出された。

わたしは慌てて礼拝堂へ向かったのだった。




 礼拝堂内には院長とジュリアンナ、ローブ姿の男性が2人いた。おそらく身元を隠すためだろう、フードを深く被っていたので顔は見えなかった。

 わたしをここに呼んだのはジュリアンナだと言う。


「最後にレラリア様と話しておきたかったのです」


 にっこり笑うジュリアンナと対照的に背の高い方のローブの男が動揺するのが見て取れた。


「レラリア様、話を聞いてくださいますか?院長、よろしくて?」


 ジュリアンナはここへ来た時のドレスを見に纏い、庶子とはいえ高位貴族らしい、慇懃な笑みを浮かべていた。わたしは、もちろんですと頷き返した。

 

「母はとある高貴な方と恋に落ちました。だけど身分が足りない。男爵家でしたからね。それに相手には身分も何もかもが釣り合う婚約者がいたのです。

 それでも父と母は離れがたくて密かに愛し合って、母は身籠りました。その頃、婚約者の方は父の正妻になっていて、その奥様もまた身籠っていたのが不幸の始まりでした。

 とにかく面倒を避けたい父は、奥様の目の届かないところへ母を避難させました。そして兄が生まれたんです。

 父はどういう手段を使ったのか、定期的にやって来てました、まあ、権力があれば何でも出来るという事ですね。そのお忍びの結果、わたしが生まれたわけですけれど」


 それまで黙っていた、背の高いローブの男が小声で何か呟いたが離れていたので聞こえない。わたしと院長はジュリアンナ達と向かい合っていた。背の高いローブの男はジュリアンナの右隣にひと1人分の距離を開けて立っており、その背後にはもうひとりの男がぴたりと張り付いていた。


「そしてあの流行病です。父の嫡男が運悪く罹ってしまいました。ええ、このローブの方ですよ。レラリア様はよくご存知の筈だわ。

 お兄様、フードをとってお顔を見せて差し上げたら?」


 ジュリアンナの兄?どういう事?まさか……

 わたしは固まったように動けない。声を出す事すら出来なかった。

 ローブの男がそっとフードを外すと、そこに現れたのは嘗ての婚約者だった。わたしは悲鳴を上げそうになり、すんでのところで耐えた。

 ああ、生きていた、生きてくれていた。


 溢れそうになる涙を必死で堪えて彼を見つめた。おお、神よ、あの人を生かしてくれてありがとうございます。あの人がわたしに近寄ようと歩み出したところで、ジュリアンナに牽制されたのだった。


「お兄様が話したい気持ちはよくわかりますが、まずはわたしの話を聞いてくださいな。だってこれで最後なのですもの、ね?」



 ジェラルドお兄様、つまりこの国の王太子が流行病に罹ったというのは、国家をあげての秘密事項でした。だって他国に知られたら不味いですからね。

 その結果、王太子は毒を盛られて命の危機に陥った、という嘘が捏造されましたの。下手人も始末されてます。もちろん冤罪です。


 そしてわたし達兄妹が、ひそかに王宮に呼び寄せられました。何しろ国王の血を継ぐ人間ですからね、兄は王太子に何かあった場合のスペアとしては最適ですから。

 母は身分が釣り合わず市井で囲われていたといっても一応貴族ですし。その頃は既に奥様、あ、王妃様も儚くなられていたので、反対する者はいなかったのです。


 実の兄には急拵えで王太子教育が始まりました。とても頑張ったのですよ、兄は。同じ父親の血を引いているのに庶子というだけで不遇な目にあっている事を、母は呪いのように兄に吹き込んでいました。本来なら先に生まれたお前が王太子になるべきなのだと。

 だから、兄にすれば母の恨みを晴らして願いを叶える絶好の機会でもあったわけで。


 回復の見込みがなく、ジェラルドお兄様は婚約を解消し、あとは消費するだけの命でしたが、元婚約者が修道院に入ってしばらくしてから、奇跡的に流行病から回復したのですよ。

 ふふ、レラリア様の祈りが効いたのかしらね。それが神の御心なのかしら。


 その結果何が起きたかおわかりになる?王太子教育を受けて必死に頑張っていた兄が急死しました。

 そんな顔をなさらないで。貴族のおうちでは良くある事なんでしょう、家督争いって。うちはほら、何と言っても王家ですからね。兄を生かしておくと困る人が色々といるのです。


 わたしは離宮で静かに過ごしていたのですが、いよいよ自分の身に危険が迫って来たので、父に泣きついてこちらへ逃げてきました。

 王太子の元婚約者、元公爵令嬢のレラリア様がいるこの修道院には、流石に刺客もやっては来ないでしょう。何しろここはレラリア様のお父様の目が光ってますのでね。



「そして今日、ジェラルドお兄様自ら、わたしを迎えにやってきました。レラリア様はこれがどういう意味かおわかり?」


 ジュリアンナに尋ねられたわたしは答える事も出来ず、元婚約者ジェラルド様をただ凝視していた。


「レラリア様が神の御心で生かされているように、

わたしは神にとって不要だから始末されるって事」


「違うっ!私は彼が謀殺された事を知らなかったんだ。存在を知らなかった兄と妹がいて嬉しかったんだ。これから3人でこの国を支え合っていけるとそう信じていた」


「そこにレラリア様は入っていませんの、お兄様?」


 ジェラルド様の顔から表情が抜け落ちた。それはわたしも同じだった。




「ねぇ、レラリア様。ジェラルドお兄様には新しい婚約者がいるの。隣国の第二王女様よ。

 その人がわたしを嫌ったから、命を狙われちゃったわけ。卑しい血が混ざってるからなんですって。

 あ、誰も動いてはいけませんよ。動いたらこのナイフがどこかへ飛んでいっちゃうかも。レラリア様なんて鈍そうだから避けるの難しそう」


 ジュリアンナは笑いながらそう言った。彼女の手にはいつのまにかナイフが握られている。それをくるくると回しながら楽しそうに言葉を続けた。

 どうして誰も止めないのだろう。危ないわ。

ジェラルド様の後ろのフード男は護衛ではないのかしら?


「考えたら不思議でしょう?

 それ程愛している女性(レラリア)ならば病から回復したら必ず知らせてくると思うの。なのに何の連絡もなかった。

 本人からはもちろん、レラリア様のご家族からも王家や王太子がどうなったのか手紙で知らせるこもなかったのでしょう?

 それって知らせる事を止められていたからじゃないのかしら」


 わたしはジェラルド様を見た。何か言って欲しい。


「そうそう、殺された兄とレラリア様の縁談もあったのですよ。公爵が断ったみたいです。やはり男爵令嬢から生まれた庶子なんて相応しくないと思われたのかしら。

 それでも貴女をお姉様って、呼びたかったな」


「庶子だからって卑しい血なの?父と母は愛し合ったから兄とわたしが生まれた。父は兄を守ってはくれなかったけれどね。生きていてはいけないほど、悪い事なの?


 ジュリアンナは相変わらずナイフを弄っているが、視線はジェラルド様に向いていた。わたしは何かを感じ取って、咄嗟に叫んだ。


「ジェラルド様、逃げてっ!」


 その声にジェラルド様が驚いてこちらを向き、同時にジュリアンナの細くて華奢な腕が、ナイフを握る手が、ジェラルド様に襲いかかった。

 ジェラルド様の後ろの男は、護衛ではなかった。護衛のふりをしたいただけで、動かぬようジェラルド様の身体を拘束していたのだ。


 わたしは、必死で抗うジェラルド様と、狙いが定まらないジュリアンナを呆然と見ていた。


「お兄様個人には特に恨みはないのよ」

「何故なんだっ!私はお前を虐げたつもりなどない」

「ええ、ジェラルドお兄様は優しくしてくれたけれど、だけどお兄様の仇はとらなくちゃね。それにこれはレラリア()()()に対する仕打ちのお返しでもあるのよ」


 そしてようやくナイフがジェラルド様に刺さる寸前、にやにや笑うジュリアンナと目が合って、わたしは意識を失った。




 目が覚めるとそこは、懐かしい公爵家の自室で、倒れてからすぐに運ばれたらしい。余りの衝撃に丸1日寝込んでいたようだ。医者は修道院の清貧な生活で軽く栄養失調になっていたと言っていた。そういえばかなり痩せてしまったと思う。


 枕元に駆けつけた両親は泣いて喜んでいた。父はわたしに謝罪した。修道院に送ったのはお前の身を守る為だったのだと。


 それよりもあの後どうなったのかが知りたかった。父は険しい顔をして、今はまだ知らぬ方が良いと言ったが、わたしには知る権利があるのだ。当事者なのだからと言うと、渋々語ってくれた。


 拘束していたローブの男は、ありもしない毒殺未遂事件の冤罪で処刑された男の弟だった。幼い頃に養子に出ていたので素性はばれなかったらしい。ジェラルドにうまく取りいって、裏の仕事をしていたという。その過程でジュリアンナに近付いたようだ。目的は王家への復讐だと言い切った。


 ジェラルド様は、本当にただ妹を迎えにきただけだった。その修道院にはわたしがいるので、いきなり顔を合わせて気まずくならないようにとローブとフードで身を隠していた。生きていたのだと驚かせて、わたしを喜ばせるつもりだったと言った。

 彼は流行病から生還しても後遺症が残ったので、丸一年は復調のための訓練に費やしていた。衰えた体が完全に回復したのは最近の事らしい。隣国の第二王女との婚約が整ったのは一年位前の事だが、第二王女がこちらへやって来たのは、ジェラルド様の回復後である。


 気位の高い第二王女は、美しいジェラルド様自身は気に入ったが、庶子の妹ジュリアンナを蔑んだ。

『お前のような卑しい人間を王宮においておくつもりはない』と言われ、さらには亡き母や兄を冒涜する暴言を吐かれて、ジュリアンナは第二王女を憎むようになった。一番悪いのは父である国王であり、ジュリアンナとて庶子として生まれたくて生まれてきたわけではないのだ。それなのに何という理不尽。

 

 その頃、冤罪で兄を失った男から密かに接触があった。第二王女がジュリアンナを狙っているという情報を持って来たのだ。命を取るのではなく、女性として生きていけない恥辱を与えようとしているというのである。第二王女は実に卑劣な人間であった。

 ジュリアンナは男と手を組むことにした。2人に共通するのは王家への復讐だった。


 ジュリアンナは一旦修道院に逃げ、王太子の元婚約者のわたしへの接触に成功した。彼女がわたしを利用しようとしていたのか、それともわたしもまた復讐対象だったのかはわからない。


 一方、第二王女は、修道院の事件のひと月前に不慮の事故で怪我を負い、王太子との婚約を解消して隣国に戻っていた。

 なんでも夜会で、婚約者のジェラルド様以外の男性にしなだれ掛かっているところに、男性の婚約者がやって来て、割れたワイングラスで顔面を殴られたそうだ。流血の惨事に大騒ぎになったようだ。

 その辺りの話は夜会に参加していた父から聞かされた。

『元々素行が良くなかった王女なので婚約解消はむしろ喜ばしい事』そうだ。


 その事件の背景に何があったか知らないけれど、何やら意図を感じてしまう。第二王女は排除されたのだ。誰に?その詮索はよそう。


 父はまた、ジェラルド様と第二王女の婚約についての経緯も教えてくれた。あの流行病の特効薬は隣国が開発したものだった。そのおかげでジェラルド様も無事に病から生還出来た。

 それゆえ、薬の手配の見返りとして、素行の悪い第二王女を押し付けられたのだと言う。つまりジェラルド様は薬によって命を助けられたが、阿婆擦れ王女というオマケまでついていたという話。

 第二王女の見た目は儚げで大層美しかったので、ジェラルド様は実のところどうだったのだろうか。心惹かれていたのではないだろうか。

 しかしそんな事は、わたしにはもはやどうでも良かった。


「お父様、ジュリアンナ様はどうなったのです?」




 いくら後ろで拘束されているとはいえ、体格の良い男性を、腕力のない女性が小さなナイフで刺すには無理がある。

 身を躱したジェラルド様は、とっさにジュリアンナのナイフを蹴り飛ばした。その際、彼女も巻き込まれて吹っ飛んだようだ。

 妹を蹴るつもりではなかったので、慌てたジェラルド様の拘束が一瞬緩んだ時に、ナイフを両手で掴んだジュリアンナが突進してきた。そして2人は揉み合って、その結果。


 ナイフが刺さっていたのはジュリアンナの胸だった。深々と突き刺さる銀色のナイフには王家の紋章が刻まていた。


 気がつけばジェラルド様を拘束していた筈の男がジュリアンナを抱え上げており、呆然と立ち尽くすジェラルド様を横目に、男は立ち去った。


「……それでジュリアンナ様は?」

「探し続けているが行方がわからぬのだ。しかし男はともかく、ジュリアンナ様はおそらくは……」


 父は首を横に振った。

 

 なんという事だろうか。ジュリアンナが死んだ?本当に?

 わたしは声をあげて泣いた。




 王家からジェラルド様との再婚約の打診が来たのはそれからすぐの事だ。

 既に体調も元通り、煩わしい第二王女も排除して、ジェラルド王太子にとっては、わたしとの再婚約にはなんの障害もない筈だった。

 ただひとつ、わたしの感情を除いては。


 父を介して丁重にお断りをして、何度も屋敷を訪ねてくるジェラルド様と会うことを拒んだ。

 そう、家に連れ戻されたわたしは、還俗していた。というよりも元々正式な修道女ではなかったらしい。


 とにかく何だか釈然としない。あれほど愛していた人だったが、どうしても蟠りがあった。

 何故、生き残った事をすぐに知らせてくれなかったのだろうか。婚約解消した後では、知らせる義理などないと考えたのだろうか。それとも傲慢だけど美しい隣国の第二王女と婚約して、彼女に心を奪われていたからなのだろうか。第二王女のために必死で体を元に戻そうとしたのか。


 そして、あの人はジュリアンナを助けなかった。


 そもそもジュリアンナの力とあの細いナイフでは、ジェラルドに致命傷は与えられなかっただろう。体格差を考えたら揉み合ううちに取り上げるのは可能だったと思う。だが結果的にナイフはジュリアンナの胸を貫いた。ジェラルドはそれを不可抗力だと言った。


 さらには、修道院へ入る際に自害の恐れのあるものは全て取り上げられていたので、彼女が紋章付きの細身のナイフを隠し持っていた事が不思議だった。

 誰かが渡したのだとしたら、誰が何のために?そしてそれが可能だったのは、あの礼拝堂の中だ。

 わたしが行くまでの間に何かが既に始まっていたのだろうか。


 わたしは手にしていた手紙を破いて暖炉に焚べた。ジェラルド様からの手紙だった。

 わたしへの愛の言葉と赦しを乞う文字が並んでいた。一体何を赦して欲しいと願うのだろう。

 考えてもわからない。全ては神の御心である。


 そんな神の御心はいらないと、ジュリアンナは叫んだ。


 彼女の生死は不明だけれど、それでもわたしは生きていく。






お読みいただきありがとうございます。



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