ー1ー 流れ着いた海辺
――潮の匂いが、ほんのり濃くなった。
救難艇の中で浅い眠りと覚醒を繰り返していたロイは、ふと揺れの質が変わったことに気づく。
波に押されて滑るような動きではない。何かに触れ、完全に止まっていた。
「……ぴゅっ?」
ミーオが羽を震わせ、小さく鳴いた。
その声に背中を押されるように、ロイは重たいまぶたをゆっくりと持ち上げる。
途端――
救難艇の外側から、金属が外れる低い音が響いた。
固く閉ざされていた救難艇の扉が、潮に洗われ、縁に溜まった砂に押されながら、ゆっくりと開いていく。
眩しい光が、一気に差し込んだ。
「……っ」
海風がふわりと入り込み、塩でざらついたロイの髪をやさしく撫でた。
その瞬間、肺の奥まで潮気が満ちていくような、清々しさとも寂しさともつかない感覚が胸に広がった。
「ぴゅおおっ!」
ミーオが勢いよく飛び出し、小さな影となって青空へ舞い上がる。
光を浴びた翼がぱたぱたと拍動のように揺れ、海岸に柔らかな反射光を散らした。
ロイはふらつく足に力を入れ、救難艇の縁に手を添えて外へ出た。
足裏に、砂のあたたかさがやさしく広がり、潮騒が遠く近く規則的なリズムを刻んでいた。
「……浜だ……」
思わず呟いた声は、驚くほどかすれていた。
それでも、目の前の景色は確かに“陸”で、まるで夢のようだった。
視界いっぱいに広がる海。
どこまでも続く水平線。
そして反対側には――人影のない、深い森の緑が揺れていた。
どれくらい流されてきたのだろう。
ここはどこで、王都はどれほど遠いのか。
そもそも、人がいる土地なのかさえ、わからない。
胸の奥で、ひゅ、と小さな不安が通り抜けた。
「……まずは、人のいるところを探そう。そしたら……今どこにいるのかわかるはずだ」
自分に言い聞かせるような小さな声。
砂に落ちる影はひどく頼りなく見えた。
ふと海岸を見渡せば、左右どちらへも同じように砂浜は伸びている。
どちらが人里へつながるのか――判断材料は、何一つなかった。
「森に入るのは……迷いそうだしな。浜沿いに行くのが安全だと思うけど……」
ロイは右と左を交互に見つめ、眉を寄せた。
「どっちに行こうかな……」
悩んでいると、ミーオが頭上をくるりと回り、ロイの前へ降り立つ。
「疲れた?」
しゃがんで話しかけると、ミーオは胸を張るように翼を広げた。
「ぴゅ!」
「……はは、まだまだ元気そうだね」
「ぴゅお!」
「……ねぇ、ミーオはどっちに行くのがいいと思う? ほら、こっちとこっち」
両手で左右を指し示す。
ミーオは首を傾げ、ロイの動きを真似るようにちらちらと両側を見た。
ロイは苦笑する。
「……ごめん。誰かに決めてもらおうとするのはダメだよな」
ぽつりとこぼれた言葉に、潮風が通り過ぎていく。
そのとき――
「ぴゅお!」
ミーオが一声鳴き、思い切り左へと飛び出した。
「え、ちょっ……ミーオ!? 待ってってば!」
ロイは慌てて駆け出し、砂を蹴り上げながら、飛んでいくミーオを必死で追いかけた。
乾いた砂が足に吸い付くようで、思うように速度が出ない。
「うわ、砂って走りにくい……!」
「ぴゅっぴゅおーー!」
ミーオは振り返りながら、楽しそうに飛ぶ。
太陽の光に照らされ、翼がキラキラ光っていた。
息を切らしながらも、ロイの顔にはいつの間にか小さな笑みが浮かんでいた。
どこへ向かうのか、何が待っているのか、わからない。
まだ不安は胸の奥に根を張ったまま消えないけれど――
それでも。
ミーオの小さな背中を追いながら、ロイは一歩、また一歩と足を進めた。
潮風が、優しく吹き抜けた。
こうしてロイは、静かな海辺から、先のわからない道へと歩き出した。




