ー15ー反撃の号砲
甲板の空気は、海底から伸びる無数の触手の気配でざらついていた。
海風が冷たく吹き抜けるたび、治癒魔法の柔らかな緑の光が、ティオの腹部でふわりと揺れる。
ティオは片膝を立てて座り、息を整えながら、そっとミネアの顔を覗き見た。
至近で膝をつくミネアは黙ったまま、手元の魔力の光だけが静かにゆらめいている。
「……中尉、怒ってます?」
ミネアは答えず、唇をわずかに引き結んだ。
ティオは落ち着いた声で続けた。
「命令違反をしたことは、支持すべきではないですけど……正直、俺はマルクが戻ってきて助かりました。でなければ今頃、死んでました」
取り繕うような声音ではない。感情を抑えてはいるが、ミネアの気持ちを汲んだ、どこか柔らかい声だった。
ミネアの指先で揺れる光が、わずかに乱れた。
「……そう、ですね……」
ぽつりと落ちた声には、怒りだけではない複雑な感情が滲んでいた。
マルクの命令違反に腹は立つ。だが、その違反がティオの命を救った事実も否定できない。
その相反する思いに、ミネア自身が揺れているのがティオにも伝わった。
「ロイのことは心配ですけど、信じて……今は俺たちの戦いに集中しましょう」
ミネアは何も言わない。
甲板では仲間たちの戦闘音が途切れなく響いていた。
フェルドの雷撃がほとばしり、容赦なく触手を撃ち抜く。
オルフの盾が勢いよく振るわれ、触手を薙ぎ払う。
さらに――近くで構えるマルクの剣が白光の軌跡を描きながら、ティオとミネアに迫る触手を迷いなく斬り刻んでいた。
ティオは苦笑しつつ、わずかに姿勢を整えた。
「ここを切り抜けたらロイを追って――マルクにとびきりキツイ罰でも与えてやればいいですよ」
ミネアの肩がぴくりと震えた。
そして、ほんの一拍置いて、小さく笑う。
「……とびきりキツイ罰、ですか。いいかもしれませんね」
やっと浮かんだ微笑みに、ティオの胸はふっと温かくなった。
ティオは近くで斬撃を放つマルクの背中を見やり、悪戯っぽく笑った。
「なんなら俺、お手伝いしますよ? あいつの泣きっ面、見てみたいですし」
ミネアの表情に、ようやくいつもの柔らかさが戻った。
「軽口を叩けるほどには、回復できたみたいですね」
「はい! 解毒薬の効果も出てきて、だいぶマシになりました。ありがとうございます」
「ですが、出血の量は多かったので……無理はしないようにしてくださいね」
その言い方は、怒っている上官ではなく、仲間を気遣う一人の魔導師の声だった。
ティオは胸を張り、笑顔で返した。
「任せてください! 皆さんの足を引っ張るような真似はしません」
すぐ近くから、マルクが短く吐き捨てる。
「……おい。悪巧みしてる元気があるなら、とっとと動け」
ティオは片膝を押して立ち上がりながら、楽しげな笑みを口元に浮かべた。
「ほんっと、お前……ツンデレにも程があるんじゃねーの?」
「うるさい」
軽いやり取りの後、ティオはマルクの横をすり抜けて触手へ斬り込んでいった。
ミネアは立ち上がり、風に揺れる髪を押さえながら仲間たちへ視線を向けた。
「……エルドランさんの命令違反は、今は保留とします」
声は凛として、魔力の光を帯びたように澄んでいる。
周囲では、誰もが戦いながら耳を傾けていた。
「目前の敵へ対処することを優先します。
魔導砲を使用し、海底を撃ち、触手群を削ぎ落とします。私は魔法で。
グランディアさん、エルドランさん、ラグナーさんは、魔法攻撃を逃れた触手に対処を。
リュースさんは魔導砲の操作をお願いします。出力は最大で。この際、船の損壊は致し方ありません。
発射のタイミングはリュースさんに一任します」
ミネアの瞳は揺れず、まっすぐ前を見据えていた。
その姿は、仲間の命を預かる指揮官そのものだった。
「ここを切り抜けた後、ウェールグさんを追います。
誰一人欠けることは許しません。……いいですね?」
その言葉に合わせるように海風が強く吹き、帆が大きくはためいた。
「――了解!」
仲間たちの声が重なり、空気が一気に熱を帯びる。
海面が裂け、無数の触手が再び立ち上がった――




