憧れの人
村の広場はすでに活気で満ちあふれていた。
中央には大きな舞台が据えられ、木製の屋台を組み立てる小気味良い音が、少し遅い朝の空気に溶けていく。
紐で吊るされたランタンがゆらゆらと揺れ、その下を子どもたちが楽しそうに駆け回っていた。
「遅い!」
薄紫色の花がこんもりと盛られた籠を抱え、アンが鋭い声を上げてきた。
「今日は三十分遅れただけなんだから、大目に見てよ……」
「アンちゃん、俺のおかげでロイが三十分遅れただけで済んだこと、まず褒めるべきだと思うね」
「遅刻は遅刻でしょ! ビット、あんたも遅れたことには変わらないんだからね!」
アンは持っていた籠を、ロイの胸元にぐいっと押し付けた。
「遅れた分、しっかり働いてよね!」
そう言うと踵を返し、屋台の方へ歩いていった。
ロイとビットは顔を見合わせて苦笑いすると、アンの後を追った。
◇
「やっぱり、昼間見ても綺麗だな」
ロイは屋台の柱に、薄紫色のノヴァリスの花を巻き付けながら呟いた。
村の周辺で、この時期にしか咲かない特別な花。
夜になると花芯から柔らかな光を放ち幻想的に光るのだが、こうして陽の光を浴びて淡く輝く姿も十分に綺麗だった。
隣の屋台の飾り付けをしているビットも、その美しさに目を細めていた。
「そうね。でも、夜に光るのが私はもっと好きかな。村だけの、特別な光だし」
アンがロイにノヴァリスを手渡した。すると、横からビットが身を乗り出して熱弁を振るい始める。
「それにさ、今年はあのイレーネさんが舞を踊るんだぜ! ノヴァリスの光に包まれて踊るイレーネさん……絶対綺麗だ! 今から楽しみでしょうがないぜ!」
「あら。そんなに期待を込められたら、失敗できないわね」
三人が振り返ると、そこには淡い青色の衣をまとった女性が、クスクスと微笑んでいた。
「イ、イレーネさんっ!」
ビットは瞬時に背筋をピンと伸ばし、頬を赤くして口をパクパクさせた。
そんなビットを、ロイは不思議そうに見つめた。
「ロイ君、ビット君、アンちゃん。準備は順調?」
「はい。まあ、俺たちができることくらいですけど」
いつもの調子で答えるロイの横で、ビットは慌てて胸を張った。
「お、俺だって結構役に立ってるんですよ!」
「ふふっ、頼もしいわね」
「イレーネさん、今日の舞、すごく楽しみにしています」
アンが少し緊張した様子で言葉を添えた。イレーネは嬉しそうに目を細めたが、すぐに小さくため息をつき、視線を地面へ落とした。
「ありがとう。……でも、実は少し不安なの。毎年村の誰かが務めるって分かっていても、実際に自分がその役目になると、責任の重さを感じてしまって」
アンとビットが何と言っていいかためらっていると、ロイが無邪気に笑い、口を開いた。
「イレーネさんなら大丈夫ですよ。いつも優しくて綺麗で、舞の稽古も真剣にやっていて……みんな、今年の舞は絶対にいいものになるって言っていますよ」
「なっ……!?」
隣でビットが喉を詰まらせたような変な声を上げた。
「ん? ビット、どうした?」
「な、なんでもねーよ!」
そっぽを向くビットに、ロイは首をかしげた。
イレーネは一瞬きょとんとした後、白い頬をほんのり桜色に染めて、クスクスと上品に笑った。
「……ありがとう、ロイ君。そう言ってもらえると、すごく嬉しいわ」
彼女の声音に、いつもの芯のある明るさが戻る。
ロイは「そうですか」と穏やかに笑い返した。
「……お、俺も! イレーネさんなら絶対大丈夫だと思います!」
ビットが慌てて声を張り上げると、近くの子どもたちが大きな声を上げた。
「ビットにーちゃん、顔まっかー!」
「うっ、うるさいっ!」
ビットは耳まで真っ赤にして子どもたちの輪に突っ込んでいった。
キャッキャと逃げる回る子どもたちと、必死になって追いかけ回すビットを眺めながら、イレーネは楽しそうに声を上げて笑った。
「ふふ、賑やかね。よし、本番まであと少し、私は稽古に行くわね。二人とも、お手伝い頑張ってね」
「はい」
「頑張ってください!」
イレーネは軽やかに衣の裾を揺らしながら、去っていった。
◇
しばらくして、息をゼェゼェと切らせながらビットが戻ってきた。
かと思えば、いきなりロイの肩をガシッと掴んで激しく揺さぶり始めた。
「お前なぁっ! もうちょっとこう……恥ずかしそうにしろよ! なんであんな平然と言えるんだよ!」
「うあぁっ、何がぁ? やめろよぉっ」
目を回すロイの姿を見て、アンがぷっと吹き出した。
「ロイは正直なだけだし。イレーネさん……いつ見ても本当に綺麗だよね。まあ、ビットの気持ちも、わかるよ」
「アンちゃぁん……っ!」
ビットは顔から火が出そうなくらい真っ赤になり、情けない声を上げてしゃがみ込んだ。
「だから……何の話?」
ロイはフラフラになりながら聞いた。
「べつに。……ただ、私もいつか、イレーネさんみたいに素敵になれたらなって思っただけ」
アンがぽつりとつぶやいた。
「アンも十分素敵だろ。しっかりしてるし。人使いはちょっと荒いけど」
「人使い荒くて悪かったわねっ!」
すかさず食い気味に怒るアンに、ロイは小さく笑って続けた。
「でも、なんだかんだ優しいだろ。俺、アンのそういうところ、結構……好きだよ」
アンは目を見開いて固まり、ビットはロイを唖然と見上げた。
「えっ? 二人とも……どうしたの?」
「……お前なぁ……」
ビットがのそりと立ち上がり、心底呆れたようにロイを見た。
「そういうことをサラッと言うからダメなんだよ……」
アンは額に手を当て、はぁと大きくため息をついた。
「……あんたねぇ、そんなことばっかり言ってると、いつか絶対に女の子泣かすわよ……」
「え、なんで? 本当のこと言っただけなのに」
ロイは本気でわからない、といった顔で首を傾げた。
「だから、それが一番問題なの!」
吐き捨てるように言いながらも、アンはロイの顔をまともに見られなくて、空になった籠を拾うと広場の奥へ足早に去っていった。
横で見ていたビットはブフッと吹き出し、ロイは遠ざかって行くアンの背中を呆然と見つめていた。
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