ー2ー 憧れの人
その後、ようやく身支度を整えて外へ出たロイ。
村の広場はすでに活気づいていた。
木製の屋台を組み立てる音や釘を打ち付ける乾いた音が、朝の空気に溶けていく。紐で吊るされたランタンが柔らかな風に揺れ、朝日を受けてキラリと光った。子どもたちは落ちた花びらを拾いながら、楽しそうに駆け回っている。
ノヴァリスの花が、朝の光を淡く受けて輝いていた。村の周辺でしか咲かない薄紫の花弁は幾重にも重なり、触れると微かに光を帯びる。夜になると花芯から柔らかな白や桃色の光を放ち、広場を幻想的に照らす。
「ロイ、こっちの花飾り、屋台に掛けるの手伝って」
声の主はアンだった。しっかり者で、村人たちからも頼りにされる存在だ。
ロイは屋台の柱にノヴァリスを巻きつける。軽く触れると花弁が微かに震え、朝日に淡く光を反射した。ビットも手伝いながら、その輝きに目を細める。
「やっぱり、朝でも十分きれいだな」
「そうね。でも、夜に光るのが私はもっと好きかな。村だけの、特別な光だし」
アンの言葉にロイがうなずいたそのとき、広場の奥でざわめきが起きた。
淡い青色の衣をまとった女性――イレーネが現れたのだ。
「……わぁ、やっぱり綺麗……」
アンは思わず小声でつぶやいた。尊敬と少しの憧れが混ざった視線が、自然とイレーネに向く。
「イ、イレーネさんだ……!」
ビットも思わず姿勢を正し、耳まで赤くなって小声でつぶやく。
「ビット、どうしたんだ?」
「な、なんでもないっ!」
そっぽを向くビットに、ロイは首をかしげるだけだった。
イレーネは微笑みながら三人の方へ歩み寄った。
「ロイ君、ビット君、アンちゃん。準備は順調?」
「はい。まあ、俺たちができることくらいですけど」
ロイは自然体で答え、ビットは慌てて胸を張った。
「お、俺だって結構役に立ってるんですよ!」
「ふふっ、頼もしいわね」
イレーネの柔らかな笑みが広場の空気を和ませる。
「今日の舞、楽しみにしています」
アンが言葉を添えると、イレーネは一瞬だけ笑みを見せた。だがすぐに、短く息を吐き、視線を地面へ落とす。
「……でも少し不安なの。毎年村の誰かが選ばれるってわかっていても、実際に自分がその役目になると、責任が重いのね」
「イレーネさんなら大丈夫ですよ。舞も上手だし、いつも優しくて綺麗だし」
ロイは無邪気に笑い、素直に言った。
「なっ……!」
横で顔を真っ赤にするビットに、ロイは首をかしげるだけだった。
イレーネは頬をほんのり染め、軽く笑った。
「……ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいわ」
彼女の声は控えめながらも、芯のある強さを帯びていた。
ロイは「そうですか」と穏やかに笑い返す。
一方で、隣のビットは胸の鼓動がうるさくて仕方がなかった。
「……お、俺も! イレーネさんなら絶対大丈夫だと思います!」
声を張り上げると、近くの子どもたちがクスクスと笑った。
「ビット兄ちゃん、顔まっかだー!」
「うるさい!」慌てて追い払おうとする姿に、さらに笑いが広がる。
イレーネはくすっと微笑むと、衣の裾を整えながら言った。
「じゃあ私、稽古の続きに行くわね。三人とも、準備を頑張ってね」
「はい」
ロイは自然体で返し、ビットはしどろもどろで「は、はいっ!」。
アンは静かに「頑張ってくださいね」と微笑んで見送った。
――
彼女が去った後も、ビットの頬は真っ赤なままだった。
「……おまえなぁ、もうちょっと恥ずかしそうにしろよ。あんなに自然に言えるか?」
「え? 何が?」
「な、なんでもねぇよ!」ビットはそっぽを向く。
その様子を見て、アンはふっと笑った。
「ロイは正直なだけだし……ビットの気持ちも、まあわかるよ」
「アンちゃぁん……っ!」ビットはさらに赤くなる。
「え、だから何の話だよ?」とロイが首をかしげる。
「べつに。……ただ、私もイレーネさんみたいに素敵になれたらなって思っただけ」
アンがぽつりとつぶやいた。
「アンも十分素敵だろ。しっかりしてるし、人使いはちょっと荒いけど」
「人使い荒くて悪かったわね!」
アンがすぐに食い気味に遮る。
ロイは小さく笑って続けた。
「でも……優しいんだ。俺、アンのそういうとこ……好きだよ」
次の瞬間、アンもビットも固まった。
「….おまえなぁ……そういうことサラッと言うからダメなんだよ…..」
ビットは腕を組み、呆れたようにロイを見た。
アンは思わず額に手を当てた。
「……あんたねぇ、そんなことばっかり言ってると、いつか女の子泣かすわよ?」
「え、なんで? 本当のこと言っただけなのに」
ロイは本気でわからない、といった顔で首をかしげた。
「だから、それが問題なの!」
吐き捨てるように言いながらも、アンはロイの顔をまともに見られなくて、思わず視線を逸らした。
横で見ていたビットは「ぷっ」と吹き出し、余計にロイは首をかしげるばかりだった。




