ー14ー心に光が灯る
視界が一瞬だけ白く弾けた直後――
甲板には、ぬめりを帯びた肉が断たれる重い衝撃が連鎖するように走った。
触手の群れは何かに弾かれたかのように大きく揺れ、切断された肉片が宙へ散る。
空気そのものが震え、ついさっきまでティオに覆いかぶさっていた圧迫感が、嘘のように消えていた。
濁った紫光をまとって殺到したその群れは――
走り抜けた眩い光の軌跡に、すべて呑み込まれたのだ。
次の瞬間、斬り払われた断片が雨のように甲板へ降り注いだ。
その鮮烈な光景に、ミネア、オルフ、フェルドが一斉に目を見開く。
「!?」
舞い散る触手の向こうから、ひとりの影――
マルクが現れた。
ティオは、荒い息を吐きながらその姿を見上げた。
「……なんで、お前が……ここにいるんだよ……」
かすれた声には、驚きと混乱がそのまま滲んでいる。
光を纏う剣を肩に担いだマルクは、息ひとつ乱さず答えた。
「毒喰らって死にかけのやつに任せられないからな」
その一言で、ティオの胸の奥の緊張がふっとほどけた。
自分は助かった――その事実をようやく自覚する。
「……うっせぇ……」
弱々しくそう返し、わずかに顔をそむけた。
悔しいが……やっぱりこいつは頼りになる。
そんな思いが、息と一緒にこぼれた。
だが、その余韻を待たずに触手が甲板を薙ぎ払うように襲いかかる。
ミネアは即座に風刃を放ち、迫る触手を切り払った。
そのわずかな隙にティオの側へ滑り込み、膝をついて掌に治癒の光を灯す。
「風よ、癒しの息吹を――《アエリス・サナート》」
治癒が展開される一方、マルクは二人の前に立ちふさがり、迫る触手を次々と斬り裂いていく。
斬り落とされた欠片が粘着質な音を立てながら甲板に散った。
斬撃と衝撃が入り混じる混戦のさなかでも、会話は途切れなかった。
ミネアは治癒を続けながら、鋭い視線をマルクへ向ける。
「エルドランさん! 任務を優先するよう、確かに伝えたはずです!」
マルクは迫る触手を弾き飛ばしつつ、落ち着いた声で返した。
「ウェールグならすでにこの船を離れました。今頃は暗い海を陸に向かって進んでますよ」
フェルドが眉を寄せ、低い声で言う。
「この船からの脱出だけでなく、王都までの護送がお前の任務だろう」
静かに怒りをにじませた声音で、オルフが続く。
「これは重大な命令違反だぞ、エルドラン」
マルクは一瞬だけ目を伏せ、すぐに真っ直ぐな声で言った。
「命令違反は承知の上です。……ここを切り抜けてから、どんな罰でも受けますよ」
その言葉が、重苦しい空気をわずかに揺らした。
息が詰まるような緊張がほんの少し――和らぐ。
その場の誰もが、一瞬だけ胸の奥で希望の光を感じた。
……ここを切り抜けてから。
自然にそう口にされたその“未来”が、胸に沈んでいた諦めをそっとほどいていく。
マルクはさらに続けた。
「それに、ウェールグは俺らの助けなんて必要ないですよ。足りないのは経験だけ。基礎は十分です」
マルクはわざとらしく肩をすくめ、挑発を含んだ口調で言い放った。
「――それとも、あいつが独り立ちできないような生ぬるい訓練でもしてたんですか?」
不敵な笑みを浮かべるその言い草に、フェルドが思わず小さく笑った。
「……これは一本取られたな」
「ははは! 生意気なこと言うようになったじゃねぇか!」
オルフの豪快な笑い声が、荒れた戦場に再び生気を戻す。
ティオが呆れ顔で眉をひそめた。
「お前……あんだけ厳しいこと言ってたくせに……ロイのこと、めっちゃ信用してんじゃん……」
「……お前は無駄口叩いてないで、回復に専念しろ。死ぬぞ」
「……助かったよ。ありがとな」
短いが確かな感謝が漏れる。
マルクはその声に何も返さず、触手を斬り伏せつつ問いかけた。
「この後の作戦はどうなっていますか?ここで触手の相手をしていても、キリがないですよね?」
フェルドは魔力を纏わせた槍を振り払いながら答える。
「千メートル以深に潜む人造種を狙い、魔導砲を使用する。本体への直接攻撃は難しくとも、触手群の制圧が目的だ」
「船体の損傷が激しいので、魔導砲の衝撃に耐えられない可能性があります」
マルクの冷静な分析が静かに示される。
その言葉に、オルフは大盾で触手を押し返しつつ明るく言い放った。
「船が全壊しても、泳いでいけばなんとかなるだろう!」
「阿呆か。陸までどれだけあると思っているんだ」
フェルドが即座に切り捨てる。
「ははは! そうだな!」
オルフがさらに豪快に笑った。
そのやり取りは、激しい戦闘のただ中にあっても、仲間たちにいつもの連帯感をじわりと取り戻させていく。
マルクが参戦したことで、戦況は確かに“希望のある戦い”へと傾いていた。
死を覚悟していた戦いは、生き延びるための戦いへと変わりつつある――
だが――
ミネアだけは、まだ納得できずにいた。
マルクが命令を無視して戻ってきたという事実が、胸の奥で重く沈んでいる。
その重さは、触手が甲板に落とす暗い影のように、容易には払えなかった。




