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アルスレア  作者: ゆきつき
第三章 蒼海の試練

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ー12ー言葉の棘と言葉の灯

ミネアたちと別れたあと、薄暗い船内に響くのは、ロイの軽い足音とマルクの規則正しい靴音だけだった。

通路の明かりはところどころ消え、潮の匂いが鼻に刺さる。


「ウェールグ。陸に着くまで魔力は使うな。使えば中尉たちの作戦が全部、無駄になる。……いいな」


マルクは振り返りもせず、抑えた声で告げた。


「……はい」


ロイは腕の中のミーオを抱え直し、その背中を追うように歩幅を合わせた。


やがて、足元で小さく水音が跳ねた。

通路の床を薄く海水が覆い、先ほど船底を貫いた衝撃のせいで水が流れ込んでいるのだと分かる。


水を含んで重くなった船体がわずかに傾き、濡れた板が軋むたびに、ロイの体は反射的にこわばった。


冷たい水が靴底を伝い、嫌な現実をひやりと突きつけてくる。


「止まれ!」


マルクの鋭い声とほぼ同時だった。


頭上の板が裂け、崩れた破片が水面へ落ちて細かな飛沫を散らす。

湿気を吸った埃がふわりと白く漂い、薄闇の中で霞む。


「っ……!」


ロイが思わず身をすくめた。

マルクは裂け落ちた天井を一瞥し、低く唸る。


「……想像以上に損傷が激しいな。突然崩れることもあるだろう。気をつけろ」


「……はい」


ミーオを抱く腕がかすかに震えた。ロイは息を整え、再びマルクの背中を追いかけた。


ほどなくして、救難艇の置かれた区画にたどり着いた。


そこに並ぶのは、半ば潰れた艇、裂けた艇、横倒しになった艇――

どれも人造種の攻撃の痕跡が生々しく残っていた。


本来は卵形の外殻を持つ密閉型の救難艇だが、原形を保っているものは一艇だけだった。


その唯一の艇を見つけると、マルクは素早く扉を開き、内部を一瞥する。


(浸水も破損もない──使える)


救難艇のすぐ横の壁面には、脱出時の最低限の制御を行う簡易パネルが設置されている。

マルクはそのパネルを引き出し、迷いのない手つきで設定を進めていった。


ロイはミーオを抱えたまま、ただその隣で立ち尽くしていた。


「……マルクさん。本当に……これでいいんですか?」

絞り出した声は、海の底に沈むように弱かった。


「いいかどうかで言えば、よくはないな」


視線をパネルから離さないまま、マルクは短く答えた。


「! だったら――」


「だったらなんだ? 今から戻って一緒に戦うってか?」


突き刺すような声音だった。


「今のお前に何ができる。あの人造種の攻撃にまともに反応できていなかっただろ。足手まといだ」


「そっ、それは……」


「勇気と無謀を履き違えるな」


「……っ」


ロイは唇を噛み、視線を落とした。


マルクは横目でちらりとロイを見た。


「……中尉たちのことを想うのなら、お前は黙ってこの船から脱出して、王都に辿り着け。それが今のお前がやるべきことだ」


「……はい」


ロイは俯いたまま、小さく答えた。


その瞬間――


船底を突き上げるような衝撃が走り、船体が悲鳴を上げるように軋みながら大きく揺れた。


「!?」


ロイは思わず顔を上げ、天井や通路の奥へ目を走らせた。


続いて、夜の闇を切り裂く閃光が走り、雷鳴のような轟音が鳴り響いた。


静まり返っていた船内が、一瞬で戦いの気配に呑まれる。


ミネアたちが――予定どおり戦闘を開始したのだ。


マルクは揺れる船体に目を細め、短く息を吐いた。


「……始まったな」


そう呟くと、救難艇に乗り込み、内部のコルディアへ手をかざして魔力を流し込んだ。

コルディアが応えるように光を灯し、救難艇は低く震え始めた。


完全に起動したのを確かめると、マルクは再び外へ出てロイの方を見た。

一瞬、視線が合ったが、ロイはすぐにそれを振り払うように目をそらし、俯いた。


マルクはわずかに眉をひそめたが、何も言わず歩み寄った。


「救難艇は自動操縦にしてある。扉を閉じれば、勝手に陸を目指して動き出す」


「分かりました……」


ロイは俯いたまま、小さく返事をした。


「敵の目的が“お前”か“アルスレア”か分からない以上、余計な戦闘は避けろ。アルスレアも目立たないところにしまっておけ」


「……はい」


「王都に着いたら、軍本部へ行け。ミーオがいれば、中尉の関係者だと分かる」


ロイははっと顔を上げた。


「……えっ? マルクさんは?」


マルクは答えなかった。

その沈黙で、ロイは悟った――マルクは残るつもりなのだ。


「なら! 俺も――」

「お前はダメだ。言っただろ、足手まといだって」

「う……っ」


ロイの顔が悔しさでぐしゃりと歪んだ。

その頭に、マルクの手がそっと置かれた。撫でるように、驚くほど優しい仕草だった。


「お前は弱音は吐くが、根性はあるやつだ。お前なら俺たちがいなくても、王都に辿り着ける」


「マルクさん……」


ロイはミーオを抱えたまま、その言葉を受け止めた。

マルクの手が頭から離れ、ロイの肩を掴んだ。


「じゃあな」


肩を掴んだ手に強く引かれ、身体が前へと傾いた。


「うわっ――!」


ミーオを抱えたまま前のめりになったロイを、マルクはさっと身を引いて躱した。


次の瞬間、背中に確かな衝撃が走った。


押された――そう理解するより早く、

ロイの身体は救難艇の中へと倒れ込んでいた。


床にぶつかった衝撃で、ミーオはロイの腕の中から飛び出した。


「きゅあっ!」


小さな体は反射的に救難艇の奥へと駆け込んで行った。


ロイが体勢を立て直し、手を伸ばすーーその指先が触れるよりも早く、マルクは迷いなく扉を閉めた。


固定装置が外れる音と同時に、船体側面のハッチが開き、暴風と海水が容赦なく吹き込んできた。

外の世界そのものが船内へ殴り込んできた。


救難艇はレールに導かれ、外へ押し出されていった。


「マルクさん! マルクさんっ……! こんな……こんなお別れ……嫌です……!」


ロイは扉を必死に叩いた。だが声は嵐にかき消され、ロイの叫びは救難艇の狭い空間に虚しく残った。


雷の閃光が窓越しに視界を白く引き裂き、腹の底を揺らす轟音が艇全体を震わせた。


暴風が海面を叩きつけ、波が救難艇を乱暴に持ち上げては叩き落とす。


ようやくひとつ大きな揺れが収まった瞬間、救難艇は荒れ狂う海面から逃げるように、ゆっくりと潜航を開始した。


暴風の咆哮は次第に水の重い音へと変わり、マルクの姿は――水越しの闇に溶けるように遠ざかっていった。


そして――


ロイの脳裏に、強烈な映像が閃光のように突き刺さった。


真っ赤に燃える背景。

伸ばされた手。

誰かの叫び。


迫りくる水圧が、それらを押し潰すように形も声も呑み込み、ただ赤い残光だけが闇に散った。


それが“記憶”なのか、“未来の光景”なのか――ロイには分からなかった。


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