ー10ー海底からの殺意
日が沈み、夜の帳が降りた。
月と星が輝く夜空の下、甲板では絶叫と笑い声の入り混じる地獄の鬼ごっこが続いている。
その時、ミネアが魔力の流れに異変を感じ取った。
「――皆さん! 海底より何か接近しています!
警戒してください!」
ティオに捕まりかけた瞬間、ロイの足元がわずかに盛り上がる。
「!?」
ティオがそれに気づき、ロイの背中を力いっぱい押し飛ばした。
その瞬間、黒光りする何かが甲板を突き破り、ティオの腹部を貫通した。
「があっ!」
「チッ!」
マルクが即座にその“何か”を斬り払う。
切り落とされたそれは、太さ十五センチほどもある黒い触手で、毒々しい濁った紫光を放ちながら、甲板の上でヌルリと蠢いた。
ティオに突き飛ばされ、甲板に顔からぶつかったロイが痛みに呻きながら身を起こす。
「いたた……いきなり突き飛ばすなんて、ひど――」
言葉が止まる。
そこには腹部から血を流して倒れ込むティオの姿があった。
「!? ティオさん!」
「――ウェールグ! こっちへ飛べ!」
マルクが叫ぶ。
反射的にロイが甲板を蹴った直後、さっきまで彼がいた場所から再び触手が突き出した。
「狙いは坊主か!」
オルフが唸る。
「ウェールグ! アルスレアの発動を解け! お前の魔力に反応して攻撃している!」
フェルドの声が飛んだ。
「は、はいっ!」ロイは慌ててアルスレアの発動を解除する。
ミネアはすぐにティオの傍へ駆け寄り、治癒魔法を施した。
「……すみません、中尉……」
「いえ、よく彼を守ってくれました。見事な判断です」
「へへへ……ゴフッ!」
ティオの口から血が零れる。
(治癒魔法の効きが悪い……毒? それにあの太い触手――まさか、メデュラーゲ!?)
ミネアが顔を上げる。
「皆さん! 敵はメデュラーゲの“人造種”と思われます! 毒に気をつけてください!」
その声と同時に、海面から無数の触手が現れ、船を取り囲んだ。
空高く伸びた触手群が、一斉に船へと降りかかった。
「全員! グランディアさんの後ろに退避!」
ミネアが指示を飛ばす。
オルフが黄色の光をまとい、大型の盾を上空に展開した。
マルクはロイを脇に抱え、その下へ滑り込む。
凄まじい衝撃音。
「うおおおおおお!」
オルフが雄叫びを上げながら、盾で攻撃を受け止めた。
轟音とともに、甲板が悲鳴を上げるように裂けた。
一瞬、重力が消えたかのような浮遊感――
次の瞬間、全員の体が木片とともに甲板下へ叩きつけられた。
「はぁ……はぁ……全員、無事か!?」
オルフの声が闇の中に響く。
割れた甲板の隙間から月明かりが差し込み、ほの白い光が舞う埃を照らしていた。
ランタンの灯りは落下の衝撃で壁にぶつかり、ぶら下がったままゆらゆらと揺れている。
炎が明滅し、狭い船室に不気味な影を作り出した。
「全員……無事です。……ウェールグ、大丈夫か?」
マルクが荒い息を吐きながら、顔面蒼白のロイに声をかける。
「は、はい……」
震える声。
灯りが一瞬消え、真っ暗になる。
その刹那、“ズズズ……”と、すぐ近くの壁の向こうで何かが這う音がした。
「敵は標的を見失ったせいで、無差別攻撃に移ったな」
フェルドが低く呟く。
誰もが息を殺していた。
全員、手にしていたコルディアの光を静かに解き、武器化を解除する。
ミネアが壁にもたれ、損傷したランタンを拾い上げた。
淡い光がゆらめき、仲間たちの顔をぼんやりと照らす。その光の中、ティオの顔は汗と血で濡れていた。
ミネアが静かに注射器を取り出し、彼の腕に針を刺す。
ミネアは険しい顔で呟く。
「あの触手、私の感知範囲外から来ています……本体は相当離れていますね」
「だとすると本体は海底か。こちらの攻撃がまったく届かんな……」
オルフが囁くように言った。
「あいつが報告で上がっていた、最近軍船を何隻も沈めている魔物で間違いなさそうですね」
マルクも低く、小さな声で言う。
フェルドは眉をひそめ、わずかに息を吐いた。
「人造種か……厄介なものに出会ってしまったな」
「……じんぞうしゅ……?」
ロイの声には、まだわずかに震えがあった。
「以前、人工的に“七属性持ち”を作り出そうとする者たちがいるとお話ししたと思います」
ミネアが静かに続けた。
「彼らは人だけでなく、魔物までも素材にして実験を繰り返しているのです」
「人が元の場合は精神の崩壊や肉体の変化、魔物が元の場合は特性の暴走や巨大化が起こることが多い」
フェルドが腕を組み、低く唸った。
「今回のやつはメデュラーゲを基にしているが――
大きさが桁違いだな。毒にも、何か特殊な効果があるやもしれん」
その言葉に、場の空気がぴんと張り詰めた。
誰からともなく、視線がティオへ向かう。
ティオは床に横たわり、浅い呼吸を繰り返していた。
傷は塞がっているはずなのに、血の気は戻らない。
青ざめた肌に、解毒薬の効果はまだ見えない。
フェルドの言葉に、重い沈黙が降りた。
闇の中で、かすかに赤い光が閃いた。
その瞬間、全員の身体が反射的に構える。
しかし、
次に聞こえたのは――小さな羽音だった。
「……ミーオ?」
「ぴゅおっ!」
暗がりの中から、ふわふわの毛玉のような影が飛び出してきた。
淡いピンクの体毛が、灯りを受けてほのかにきらめく。
ミーオは嬉しそうにミネアの胸元へ飛び込み、
ミネアはその小さな体をそっと抱きしめた。
「よかった……無事だったのね……」
「……人造種の攻撃が止まりましたね」
マルクが、甲板の裂け目から覗く夜空を見上げる。
雲間に顔を出した月光が、裂け目から差し込み、静まり返った船内を淡く照らしていた。
「……様子を窺っているのだろう。
魔力を使った瞬間、また来る」
オルフの声が、低く、闇に溶けた。
――船体の外では、まだ海が鳴っていた。
うねる波音の奥に、何か巨大なものが息をしているような音が混じっていた。
その気配は、静寂の下でなお、確かに生きていた。




