ー3ー 憩いのひととき
しばらくして、ロイは厨房にいた。
波に合わせて金属の床がかすかにきしみ、油と潮の匂いが混ざり合っていた。
作業台の上では、さっき釣り上げたばかりのノヴァダイが、こんがりと焼かれていた。
釣りの最中に見回り中のオルフと鉢合わせて、手伝ってもらったが、彼は一言
「勤務中だ。……俺の分、残しておけよ」
そう言い残して、彼はすぐに持ち場へ戻っていった。
「お、いい焼き色じゃん!」
ティオが腕を組んで満足そうにうなずいた。
彼の手際は見事だった。
さっき甲板で魚を捌いていた時も、うろこを落とす動きに一切の無駄がなかった。
まるで職人のようなナイフさばきだ。
ただ――
「ティオさん!火力強すぎます!焦げますよ!」
ロイが慌てて鉄板の温度を下げる。
ティオは頭をかいて笑った。
「悪い悪い。俺は釣ると捌く専門なんだよ。焼くほうはフェルドさんに“魚を炭にするな”って毎回怒られててさ」
「フェルドさん、料理上手なんですね」
「そうそう。あの人は包丁もフライパンも魔法みたいに使ってさ。食に結構うるさいんだよ。
他の人は、焦げてようが味薄かろうが気にせず食べちまうからな。だからフェルドさんがよくブチ切れてる」
「そっ、そうなんですか……」
「でもロイ、けっこうやるじゃん! 手慣れてる感じするぞ。フェルドさんも文句言わねぇと思う!」
「あはは……妹と一緒によくご飯作ってましたから」
鉄板の上で油がぱちぱちとはぜ、香ばしい匂いが立ちこめた。
腹の虫が鳴る音が、船の軋みに混ざって聞こえた。
「よしっ、食べようぜ!」
「はい!」
二人は声をそろえて手を合わせた。
「いただきます!」
「いただきまー」
ティオが勢いよくかぶりつく。
「身がふっくらジューシーで、皮もパリッとしてる!マジでうまい!焼き立て最高だ!」
幸せそうにもぐもぐするその横で、
ロイは――固まっていた。
「……」
ロイの目の前に、ピンク色の毛玉がいた。
ふわふわの体に、ちょこんと羽がついている。
そして、その小さな口で、ロイの焼き魚をむしゃむしゃと食べていた。
「俺の魚ー!!」
ロイが半泣きで叫ぶ。
毛玉をひょいとつまみ上げ、目の前に掲げる。
「なんなんだお前は!」
「ロイ、そいつはー」
その瞬間――毛玉がふいに、ぷくっと膨らんだ。
「ぴゅお!」
――ぼふっ。
小さな火の玉がロイの顔面に命中した。
「ミーオ! ここにいたの?」
淡い緑の髪を揺らしながら、ミネアが厨房に入ってきた。
驚いたミーオはロイの手から抜け出した。床の上にぽすんと落ち、ティオの足元までころころ転がっていく。
「あっ、中尉、お疲れ様でーす!」
ティオが片手を上げて軽く敬礼する。
その横では、真っ黒焦げになったロイが、まだ放心したままだった。
「……あっ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……たぶん……」
ロイが目だけ動かして答える。
ーー
「風よ、癒しの息吹を――《アエリス・サナート》」
ミネアはミーオを片腕に抱いたまま、片方の手をロイにかざした。
淡い緑の光がふわりと広がり、やさしい風がロイの肌をなでた。
熱が引き、じんわりとしていた痛みがスッと消えていく。
「ほらよ。これで顔、拭いとけ」
ティオがタオルを放る。
ロイは受け取りながら、まだぽかんとしたままだった。
「この子が迷惑をかけてしまって、本当にすみません」
「い、いえ……ありがとうございます。
痛みが消えました。それに、コルディアを使っていなかったように見えたんですけど……魔法って、なしでも使えるんですか?」
ミネアは穏やかにうなずいた。
「簡単な魔法なら、詠唱だけでも発動できますよ」
「簡単って言うけどな、中尉がやってるのはけっこう高度だぞ。真似するとボカンっていくから、慣れないうちはやめとけ」
ティオがロイにボソッと耳打ちする。
「あっ、そうですか……やめときます」
(中尉って言うくらいだし、やっぱりすごいんだ……)
ミネアはそっとミーオを撫でると、ふんわりと微笑んだ。
「この子は私がお世話をしているドラゴンの子どもです。半年前に孵ったばかりで、好奇心が旺盛で、お魚の美味しそうな匂いに釣られてしまったみたいです」
「ドラゴンなんて、本当にいるんですね。初めて見ました。」
ミーオはミネアの手のひらに頬をこすりつけ、うれしそうに目を細めた。
「中尉さんのことお母さんだと思っているみたいですね」
「ええ。もう、ミーオ。勝手に出歩いちゃダメって言ったでしょ?」
普段の冷静な軍人の声色が消え、そこには年相応の少女の柔らかい表情があった。
「きゅう……」
「はいはい、ごめんなさいは?」
ミーオがぺこっと頭を下げる。
それを見たティオが頬をゆるませて笑った。
「いやー、中尉がミーオに話してるとこ、尊みが爆発してるし、可愛さも限界突破してるな……あー尊い、癒やしの極み、まじで推せる!」
「?」
ロイが首をかしげる。
すぐ隣でミネアが頬を赤らめて額を押さえる。
「あの、ティオさんは一体何を言っているんですか?」
「推し語りだよ。俺の魂が震えてんだ」
「?……はっ、もしかしてそれも魔法の詠唱、ですか?」
「断じて違います! ウェールグさん、聞かないでください!」
ティオは楽しそうに笑い、ロイはぽかんとしたままだ。
その隣で、ミネアは真っ赤になってミーオをぎゅっと抱きしめ、恥ずかしさに耐えきれず顔をうずめた。
ミーオは「きゅう?」と小さく鳴き、くすぐったそうに尻尾を揺らした。
焼き魚の香ばしい匂いと、波の音と、笑い声が静かに溶け合う。
夜の船はゆるやかに揺れ、温かな時間をそっと運んでいった。




