ー5ー 少年の旅立ち
朝の光が、ゆっくりと集会所の窓から差し込んでいた。
夜明けの霧はすでに晴れ、外からは鳥のさえずりが小さく聞こえる。
静かな空気の中、ロイは寝癖のついた髪を手で押さえながら、まっすぐ前を見つめていた。
そこには村長、カイラン、ミネア、そしてフェルド。
室内にはわずかな緊張が漂い、誰もが次の言葉を待っていた。
ロイは小さく息を吸い込み、胸の奥にある迷いを押し込めて言った。
「……俺、行きます」
その短い言葉は、静かな空間にしっかりと響いた。
ミネアはわずかに目を伏せ、それから穏やかに微笑む。
「前向きな決断、ありがとうございます」
村長とカイランが、ふと目を合わせる。
言葉にせずとも、二人の間に同じ思いが通う。
そして視線は、静かにロイへ向けられた。
二人は、幼さの奥に灯った確かな意志を静かに見守る。
ロイは拳を強く握りしめる。
「でも、一つだけお願いがあります」
「なんでしょう?」
ロイはミネアをまっすぐ見つめた。
「村のみんなは、まだ魔物の恐怖に怯えています。
だから……どうかこの村を、守ってやってください」
その言葉に、カイランの表情がやわらぐ。
少年の中に育った優しさと責任感を感じ取り、村長も静かに頷いた。
ミネアは短く息をつき、真剣な声で答える。
「……わかりました。上に確認をとります。許可が下り次第、出発としましょう」
ロイは深く頭を下げ、家へ戻った。
使い慣れた鞄を手に取り、棚の上の写真立てに目をやる。
そこには家族、友達、村のみんな――そして、亡き母の穏やかな笑顔があった。
「母さん、行ってきます」
静かに呟き、扉を閉める。
そのころ、ミネアは通信装置の前で報告書を整えていた。
中尉である彼女が直接、本部に連絡を入れる。
短い応答音が響き、やがて静寂が戻った。
――
昼前の陽光が、広場にやわらかく降り注いでいた。
旅支度を整えたロイがやってくると、明るい声が飛ぶ。
「ロイ! あんたにプレゼント!」
アンが手招きしている。
その後ろにはユーム、ビット、レヴィ、そして小さな子どもたち。
子どもたちが両手で抱えているのは、ノヴァリスの花で編まれた花冠である。
「ロイ兄ちゃん! これ、みんなで作ったんだ!」
「わあ……すごいな」
「しゃがんで! しゃがんで!」
ロイがしゃがむと、子どもたちは次々と花冠を頭に乗せていく。
花弁が光を受けて、ほのかに青白く揺れた。
ユームが笑いながら言う。
「アンちゃんが言い出したんだよ。“お兄ちゃんに花冠を渡そう”ってね」
「……アンが?」
ロイが目を丸くする。
アンはそっぽを向き、頬をかきながら呟いた。
「べ、別に深い意味はないけど……旅に出るなら、ちょっとくらい飾りがあってもいいかなって」
その隣でレヴィがふっと笑う。
「最初は“子どもたちと遊びたいだけ”って言ってたくせに。結局いちばん夢中で作ってたのは、アンだったな」
「レヴィ! 言わないでよ!」
アンが真っ赤になってレヴィを小突く。
ビットがすかさずニヤリと笑った。
「ははっ、ロイ、アンちゃんの愛情たっぷりだな。うらやましいー!」
「う、うるさい!」
アンがさらに真っ赤になって、ビットに肘鉄を食らわせる。
「ぐへぁっ!」
その光景にロイは思わず吹き出した。
子どもたちもつられて笑い、広場にはあたたかな笑い声が広がった。
春の陽だまりのような空気が、村全体をやさしく包みこんでいた。
――
やがて、昼下がり。
広場には村人たちが次々と集まってきた。
ミネアは数名の部下を伴い、広場の中央に立つ。
「上の命により、私の隊から数名を駐屯させることになりました」
その言葉に、村人たちの表情が一斉に明るくなる。
安心と感謝の声があがり、ほっとした空気が村を満たした。
ロイは深く頭を下げる。
「本当に……ありがとうございます」
ミネアは口元をやわらかく緩めた。
「これで、安心して王都へ向かえますね」
イレーネが一歩前に出て、優しく微笑んだ。
「あの時は本当にありがとう。ロイ君の勇気に助けられたわ。無事を祈っている」
ロイは真っすぐイレーネを見つめ、目を細めて小さく会釈した。
マリオンは豪快に笑った。
「ガハハ! 寝坊だけはすんなよ! 王都の連中に笑われちまうぞ!」
「……あはは。頑張るよ」
カイランが静かに言った。
「君が選んだ道だ。誇りを持って行くといい」
ロイは真っすぐその言葉を受け止め、しっかりと頷いた。
村長も穏やかに微笑む。
「わしらのことまで考えてくれてありがとう。武運を祈るよ」
「……はい!」
村人たちが一斉に拍手を送った。
ロイは胸の奥が熱くなり、思わず笑みをこぼす。
握手を交わす手の温もり、背中を叩く感触――
それらすべてが、ロイの胸に焼きついていく。
「行ってきます!」
ロイは大声で言い、王都へ向かうミネアたちとともに歩き出した。
――
村の門で、ロイはふと足を止めた。
振り返れば、見送る人々の姿が小さく揺れている。
その背後には、煙を上げる家々、そして温かな笑い声。
ロイはもう一度だけ大きく手を振り、深く息を吸って前を見据えた。
「……行こう」
王都への道は、遠く、長い。
けれどその胸の奥には、確かな灯が燃えていた。
――そのとき。
東の空を覆っていた雲が、ゆっくりと割れていく。
午後の陽を受け、霊峰アルザナの頂が姿を現す。
その山頂は、一瞬、青白く閃くように輝いた。
まるで天が、旅立ちを見つめているかのように。
――吉兆か、それとも、不吉の兆しか。
答えを知る者は、まだいない。
ただ一つ確かなのは、
その光の下で、ひとりの少年が新たな運命へと歩き始めたということだった。




