ー4ー 月明かりの約束
夜の空気は、昼間よりも柔らかい。
集会所を後にしたロイは、まだ温もりを残す石畳を踏みしめながら歩いていた。
家々の窓には灯りがぽつぽつと揺れ、村全体が、眠りに落ちる前の焔のように静かだった。
家の前に着くと、木の柵のところに小さな影が立っていた。
ランタンの灯が淡く揺れ、ユームの髪が光を受けて金色に透けている。
「……ユーム?」
「あっ、お兄ちゃん! おかえり」
振り返った顔がぱっと明るくなる。
「さっきまでアンちゃんもいたんだけど、小さい子たちの読書会を手伝いに行っちゃったの。入れ違いになっちゃったね」
「そっか……」
ロイの返事は短く、その目はどこか遠くを見ていた。
ユームは首をかしげる。
「どうしたの? 何かあったの?」
「……ユーム、散歩でも行こうか?」
「え? うん……いいけど?」
ロイは短くうなずくと、歩き出した。
夜風が髪を揺らし、村の家々の灯りが、ひとつ、またひとつ消えていく。
二人はほとんど言葉を交わさなかった。
互いの足音と虫の声、遠くの水音だけが響いていた。
――
やがて村の外れの丘にたどり着く。
そこに――月見台があった。
広い石畳の上、低い欄干が円を描くように並んでいる。
村では昔から、月を見る場所として愛されていた。
今夜は雲が薄く、満ちた月が顔を出している。
白銀の光が石畳を淡く染め、ふたりの影をゆっくりと長く伸ばしていた。
ロイは欄干に手を置き、空を見上げた。
静かな声が夜気に溶ける。
「……集会所で、祭具のことや、他の場所でも魔物が人を襲っているって話を聞いたんだ」
「そんな……」
ロイの手が少し強く欄干を握った。
その指先に銀色の輝きが落ち、白く浮かび上がる。
「それで……その町の中に、“ミュートリア”があった」
ユームの目が見開かれる。
「えっ……それって、私たちの――」
「生まれたところだ」
ロイは小さくうなずいた。
「母さんは俺たちを守って……死んだ。だから――」
「行っちゃ……やだ」
その声は、震えるほど弱かった。
ロイはユームに顔を向けた。
ユームは小さな拳をぎゅっと握っていた。
「やだよ……もし、お母さんと同じように、お兄ちゃんが死ん……死んじゃったら……」
風が吹き、木々の葉が揺れる。
淡い光がその涙をかすかに照らした。
小さな肩は震え、声は絞り出すように微かだった。
ロイはそっとユームを抱きしめた。
「ごめん。ユーム。でも、もし俺が戦うことで、誰かが俺たちと同じような思いをしなくて済むなら……俺は、やりたい」
その言葉は静かに、しかし確かな意志を持って響いた。
ユームは何も言えず、ただ夜風の中で目を閉じた。
――
そのとき、丘の下から明るい声が響いた。
「おーい! 家にいないと思ったら、やっぱりここか!」
ユームが涙をぬぐい、振り返ると、月見台の坂を登ってくる二つの影が見えた。
ビットとレヴィだった。
「まったく……何度も何度も覗きに行こうとして、止める俺の身にもなれよ」
レヴィが心底呆れたように言うと、ビットがにやりと笑った。
「だってよ、集会所の方が面白そうじゃん! 見に行こうとしたら、この堅物が邪魔するんだぜ」
「見つかって、怒られたばかりだっただろう」
「細けぇこと言うなって。――で? ロイ、お前ら抱き合って何してんだ?」
ロイは苦笑した。
「ちょっと話してたんだ」
「へぇ〜、兄妹仲がよろしいこって。妬けるね」
ビットが軽口を叩くと、ユームがむっとして頬をふくらませる。
「からかわないでよ!」
レヴィが肩をすくめる。
――
ロイはふっと息をつき、皆を見渡した。
「俺……軍の人たちについて行こうと思う。魔物から、たくさんの人を守りたい」
風が止んだ。
一瞬、誰も何も言わなかった。
「はぁ!? マジで!? すげぇじゃん! お前、英雄になれんぞ!」
真っ先に声を上げたのはビットだった。
「冒険だな! 魔物退治だぜ!」
レヴィが眉をひそめる。
「おい、本気なのか? 危険だぞ。お前まで……」
「わかってる。不安もある。でも……俺にできることがあるなら、やりたい」
その声は静かで、月見台に反響するように広がった。
遠くでフクロウが鳴き、月の光が揺らめきながらロイの横顔を照らした。
白銀の光が、まるで彼の決意を確かめるように、その瞳に映り込む。
ユームは泣くまいと唇を噛みしめ、ロイの服の裾をつかんだ。
「……絶対、帰ってきてね」
ロイは微笑み、その手をやさしく握り返す。
「約束する」
その時、風がまた吹いた。
欄干の影がゆらぎ、月明かりがその上に溶けた。
――月が、人を見ている。
まるで、この瞬間のすべてを静かに見守っているように。




