温め直したその後で
計と喫茶店に行ってから二週間後
本格的に風邪の蔓延する季節が近づいて来たため、俺は休日を使って予防接種の為に大きな病院へ行くことにした。
リビングで上着に袖を通していると、掃除疲れでぐったりとソファーに横たわる母が
「外出るならついでにおつかいお願い」
と雑に買い出しを頼んできた。
メモを取り出し品物を聞くと食パン、牛乳、卵、ベーコンだけだった。
これ、俺の朝食だろ。自分で買えってことか?
自分のだとわかっていてもおつかいはおつかいなので、不備が無いように確認をする。
「スーパーでパンが売り切れてたら商店街のパン屋で買えばいいか?」
「んー」
と母は生返事をした後、
「あ、そうだった」
と言って一つ訂正を入れた。
「食パンはスーパーに無かったら無いから」
「そんな、百均の店員みたいな事を言われてもだな……あそこのパン屋、今日定休日だったか?」
「ちがう違う、店主が腰を悪くして閉めちゃったのよ」
「…そうか」
いつの間に、あそこのおばちゃん優しかったのにもう会えないのか。
そこで話は終わったが、母はソファーの上で
「商店街の色んなお店にパン卸して、町の顔みたいな店だったのに。・・・ほんと勿体ないわよね」
とかブツブツ独り言を言っていた。
それで会話は終わった。
玄関で靴を履くと
「行ってくる」
と残して家を出た。
リビングからは返事は無く、代わりにテレビの音が聞こえた。
病院に着くと、当たり前のように長時間待つので本の合間に買い物メモを挟み、本を読んでいた。
しばらく読み進めていると、隣に座っていた老人が横から声を掛けてきた。
「おい」
低く響くしゃがれ声だった。
振り向くと七十度に曲がった腰を真っ直ぐに立てた杖で辛うじて支えている特徴的な老人がいた。
しわの多い顔からは表情が読み取れない。
怒っているのだろうか?
恐るおそる返事をした。
「はい、なんでしょうか」
「その、本に挟まってるやつ。買い物か」
「はい、そうですが…」
「丁度いい。今息子が店継ぐって修行中でよ、作ったパン押し付けられたんだが量が多くてよ。俺じゃあ食いきれねぇから少し貰ってくれねぇか。市販のよりかはうめぇからよ」
ぶっきらぼうな口調だったが、長々と話す老人の混じり気のない笑顔からは心根の優しさが伝わってきた。
彼の気持ちに感化されてか
「ぜひ、戴きたいです」
と、気づいたら言っていた。
老人は横にあったカバンから袋を取り出し、持っているのが億劫なのか、すぐに俺の腿にその袋を置く。
よく見るとスーパーのとは少し違うラッピングに、切られていない山形のパンが入っていた。
「ありがとうございます」
と礼を言うと老人は おぅよ とだけ返事をし、辛そうな声で立ち上がり歩いて行ってしまった。
その日、特別あったことと言えばそのくらいで、後はおつかいを手早く済ませて家に帰って読書に時間を費やした。
明くる日、貰ったパンをトーストにした。
皿にはベーコンエッグも乗っている。
いつもの朝食だが、食パンがいつもより大きいこともあって豪華に見える。
手を合わせて挨拶をする。
まずパンを掴み、少し焦げてしまった端を囓る。
「うまい」
喫茶店で食べたトーストの味を思い出した。
少しだが、香ばしさや端の硬さが似ている気がする。
・・・今日、混雑時を避けて夕方に食べに行ってみるか。
そう考えていると、あることに気が付いた。
「あ、もしかしてこのパンって喫茶店のか」
商店街で多くのお店に卸してきた、もう閉店した店の最後のパン。
息子さんが作ったもののようだが、特徴はしっかり似ていた。
もう食べられないと思うとただの朝食も途端に名残惜しく感じ、俺は手に残ったパンに繁々と口をつけた。
一噛み一噛み味わっていると、あの日に計と最後まで話しても出なかった謎の答えが分かった。
「トーストをお勧めされたのはこういうことか」
気がついてしまえば簡単な話で、商店街の事情に詳しい大人が二度と味わえない味を勧めていただけだった。
俺は、最後に思いついた変な仮説を計に披露しなくてよかったと、本気で安堵した。
・・・そういえばあの日、計は喫茶店にもう一度行くとメニューを眺めていなかったか。
いやな予感がして携帯を取り出しメッセージアプリを立ち上げると、もう計からメッセージが届いていた。
遅かったか、と思いながら内容を見てみると
『やっほー! この前の喫茶店にまた行ってみたよ。ほら見て見て、コーヒーゼリー がすっごい光ってる 味も最高!』
・・・・・・。
「心配して損した」
俺は返信することなく携帯の電源を切ると、大口でトーストを頬張った。