逆ハールート狙いの男爵令嬢について婚約者に問いただしたら、意外な答えが返ってきました
憂いた表情も麗しい公爵令嬢クリスティーナ様が、ポツリと仰った。
「殿下にも何かお考えがあられるのです」
東の庭園に設えられたお茶席は、溜息に沈んだ。
「クリスティーナ様、そうおっしゃいますがもはや私は限界です!」
南の辺境伯令嬢ヴァネッサ様は立ち上がりながら声を荒げる。令嬢らしからぬその仕草を伯爵令嬢ルイーズ様が止めようとなさったが、その内容については咎めなかった。
私、侯爵令嬢エレノアは広げた扇に少し俯いた。
秋の気配の深まるこの季節、落ち葉の絨毯が敷き詰められた東の庭園の景観は、趣深いと評判だ。
赤とオレンジ、黄と茶色で織り上げられた自然の絨毯は、普段なら明るく穏やかな歓声の元にあるはずだった。
ただ、今は憂える四人の乙女の元で、カラカラと物悲しい音を奏でている。
本当なら、この体を温めてくれているお茶も、こんなに苦くはなかろうに。
公爵令嬢であるクリスティーナ様は、殿下……王太子ローレンス様の婚約者である。
幼い頃より婚約者候補であった彼女は、殿下と共に学園に入学するにあたって正式な婚約者となった。
共に婚約者候補であった私は、王弟である公爵閣下の嫡男であるエリック様と婚約を結ぶこととなった。クリスティーナ様の伝統あるブライアント公爵家とは違って、王弟閣下が臣下に下るにあたり新設された公爵家である。
ローレンス殿下とエリック様は非常に仲が良く、まるで兄弟のようにお育ちになったそうだ。ローレンス様は妹はおられるものの兄も弟もおられない。その上従兄弟で顔かたちも似ておられる。周囲から見ても兄弟のようであったとは、殿下の乳兄弟の言である。
そんなお二人とクリスティーナ様と私は幼なじみに近い。
前世の感覚で言えば、小学校低学年からのお付き合い、だ。
当然、クリスティーナ様と私も幼なじみということだ。小学校高学年ぐらいになってから、お互い殿下とエリック様が好きだと分かって、それぞれの婚約者になれるよう励んでいた。
学園に入って、やっと念願叶ったのである。
それが……
「しかし、今日もたった一人の男爵令嬢を囲んで愛でていたのですよ! わが四人の婚約者どもは!」
辺境伯令嬢ヴァネッサ様は眦を吊りあげて声を上げた。伯爵令嬢ルイーズ様は泣きそうだ。
これにはクリスティーナ様も扇を傾けつつ目を逸らした。
否定では無い。肯定せざるを得ない状況にである。
殿下とエリック様は学園に入り、学友と共に過ごされることが増えた。
騎士団長の次男であるジェイク様と、クリスティーナ様の兄であるサイモン様である。
学年の違うサイモン様とは学園ではやや距離があるものの、プライベートでは付き合いが長い。婚約者のクリスティーナ様の兄であるのだから、これからも付き合いが長くなるのだ。当然であろう。
ジェイク様は、学園での護衛代わりにということらしかった。乳兄弟で侍従のレイムズもついているが、体格も腕っ節もあるジェイク様がいるのといないのとでは安心感が違う。からりとした性格もお父上である騎士団長によく似ていた。
サイモン様の婚約者がルイーズ様で、ジェイク様の婚約者がヴァネッサ様である。
故に私たち四人も自然と集まることとなった。
ヴァネッサ様は、貴族令嬢としては全く感情を隠されない方で、誰かに嬉しいことがあれば大げさに喜び、悲しいことがあれば共に泣いたり憤ったりされる方である。
繕うことのないこの性格がとても好感度が高く、学園でも人気のご令嬢である。
対してルイーズ様はとても控えめで、小柄な体の物静かな方だ。私たちといてもいつも恥ずかしげに俯いて微笑んでいらっしゃる。所がそれが嫌ということはなく、私たち三人が好き勝手話している傍らでのんびり微笑んでいらっしゃったかと思えば、意見を伺えば、鋭く温かい目線の言説をくださるのである。ありがたい上に癒しと尊さがある。クリスティーナ様はこの方が義姉になるのだといつも自慢していらした。
そう、自慢のご令嬢である。
それを蔑ろにしている男たちがいるのである。
半年前ほどからであろうか、とある男爵令嬢がわが四人の婚約者たちの元に現れたのは。
奔放と言えばヴァネッサ様とてそうなのだが、この男爵令嬢はヴァネッサ様と違い、嫌なタイプの奔放さがあった。
それぞれの立場を慮った親しみを男女問わずに与えるヴァネッサ様と違い、男爵令嬢はあからさまに男女や身分で態度が違った。
身分ある男性に媚び、身分の低いものや女性には冷たい目をくれるのだ。
平等をうたう学園内で〜等言う気もないが、とりあえず私としてはお近付きになりたくないタイプである。
そんな彼女が、私たち四人の婚約者の傍に侍り、キャイキャイと笑っては背を触り腕を絡めるのである。
はじめは距離をとるよう宥めていた婚約者たちも、いつからか困った顔で受けいれるようになっていた。
どうして! と憤ったヴァネッサ様がまず突撃し、怖いと泣いた男爵令嬢を婚約者たちは庇ったのである。
そう。
彼らは男爵令嬢を庇ったのである。
しかも、殿下がクリスティーナ様をお呼びになり、ヴァネッサ様を預けると、その男爵令嬢と共にどこへやらとたち去っていったのだ。
私たちは唖然とするしか無かった。
これがひと月前のこと。
定例のお茶席は、以前なら笑顔に溢れていた。
今は陰鬱な雰囲気に埋もれている。
あの後ヴァネッサ様は何度もジェイク様に仔細を聞きに行き、その度にのらりくらりと避けられ、挙句にいい加減にしろと怒鳴られたのが一昨日のことらしい。
その上で、この四人の中で一番立場が高いクリスティーナ様に殿下にも仔細を伺ってくれとヴァネッサ様が頼まれたのが先程。その返しが、殿下にもお考えがある、というものである。
ヴァネッサ様が声を荒らげるのも当然のことだ。
私も今回に限ってはクリスティーナ様に同意はできない。
と、いうのも……かの男爵令嬢の考えを聞いてしまったからだ。
誰もいないと思っていたのだろう、彼女は人気のない廊下で「よっし、逆ハールート順調♪順調♪」と笑っていた。
私は、動揺した。
と、いうのも周囲に隠しているが、私は転生者。
「逆ハールート」というこちらには無い言葉の意味が分かり、そして男爵令嬢が転生者で、乙女ゲームのヒロインとして私たちの婚約者たちを攻略しているのだということが分かったからである。
それまで私は、これは異世界転生溺愛モノの世界に来てしまったのだと思っていた。
全く知らない登場人物に、全く知らない筋書きだが、殿下に熱愛されるクリスティーナ様を見ているとそうとしか思えなかった。
まさかのクリスティーナ様、悪役令嬢ポジションである。
しかし、もしかしたらこれは悪役令嬢が主人公の物語かもしれない、とも思った。ヒロインは全く貴族らしいことを学ぼうとしていないし、周囲からの評判も悪い。
だとしたらクリスティーナ様のなされるべきは、身の潔白を証明する準備である。
クリスティーナ様には全く転生者らしい素振りは無い。
純粋な、この世界のご令嬢だ。
男爵令嬢の言によれば、攻略は順調であるとの事なので、わが婚約者たちはゲームの強制力とやらが働いて男爵令嬢に心奪われているらしい。
あの、クリスティーナ様を溺愛する殿下が、とは思うが、物語とはそういうものだろう。
だが、だからこそ相手方の方針は早めに知るべきであり、それによってこちらも様々な対応をすべきである。
突然の婚約破棄騒動が起きてはかなわない。
だが、クリスティーナ様は殿下にそれを聞くつもりはないようだ。
この場合、私はどうすればいいだろう……。
そう考え、はっと気がつく。
私が聞けばいいのだ。
「ヴァネッサ様、私がエリック様にお聞きします」
そういった時の三人の様子は見ものだった。
期待を向けるヴァネッサ様。ルイーズ様は動揺し、何かを考え込む様子をみせた。クリスティーナ様はやんわりとやめた方がよいといわれる。
「殿下のお考えを私どもでは正確に窺い知ることはできません。ですが、何が起こっているか知らなければ、間違った対応をしてしまうかもしれないじゃないですか。そのために、まずは私の婚約者の考えを伺ってみます」
それを聞いたクリスティーナ様はハッとして、眉を寄せられた。
そこに声を上げたのはルイーズ様である。
「殿下にお聞きになれないのでしたら、サイモン様にお聞きしましょうクリスティーナ様。いえ、私が聞きますので、隣にいてくださいませんか?」
ルイーズ様の言葉にクリスティーナ様はやや動揺し……そしてそれから頷く。
「わかりましたわ。お兄さまにどういった方針なのかお聞きしましょう。我が家においでくださいますか? ルイーズ様」
「もちろんですわ」
優美な礼をみせるルイーズ様の元、私は扇を少しあげた。
今日の放課後、エリック様とは会う約束である。
エリック様は、男爵令嬢と会ってからも、攻略が順調と男爵令嬢の独り言を聞いた後からも、ずっと変わらぬ態度である。
婚約者である私に便りを書き、都度プレゼントを贈り、婚約者同士のお茶会には欠かさず参加してくださる。
本日は予定していた日に別の用事が入った為に、前倒しで開催したお茶会である。
我が家の庭に現れたエリック様は持っていた花束を私に渡しながらふと微笑んだ。
「あまり学園で構ってやれずに済まないな」
「その事でお伺いしたいことがございます」
ちょうどいいので、そのままストレートに話題にした。急遽の開催で、いつもよりお茶会の時間は短い。
「かの男爵令嬢をお傍に置く理由を知りたいのです」
エリック様はキョトンとして、まずは座ろう、と促した。
「それって、殿下の傍に、ってことかな? なんだか僕の傍にって言い方に聞こえちゃって」
「貴方がたの傍にです」
キッと睨むようにしてみた。
するとエリック様は意外な反応をなさった。
顔に朱をのぼらせたあと、顔を覆い、そして高らかに笑い始めたのだ。
あっけに取られる私に、この婚約者様は宣った。
「エレノア、あの男爵令嬢に嫉妬した?」
今度は私の顔が熱くなった。
「嫉妬というより不快です」
「うんうん、彼女はなんか異様に距離が近いものね。でも違うんだよ」
「違う?」
とは、どういう事だ、と問う前に、エリック様はニヤリと笑う。
そして内緒話をするように、そっと声を潜めて私と距離を縮めた。
「彼女は僕たち四人に、欠片も恋愛感情を持ってない」
だから臆面もなくあんなことが出来るのさ、と。
「そ……それならどうして」
「僕たち五人の元に置くのか? それはね……」
エリック様は私に顔を寄せると、掲げた手の中で囁いた。
「あの子、レイムズが好きなんだよ」
私は目が点になった。
「レイムズ、とはあの殿下の乳兄弟で侍従のレイムズですか?」
「あの、殿下の乳兄弟で侍従のレイムズだよ」
「なぜですか?」
男爵令嬢は「逆ハールート」と言っていた。
それが、モブ狙い? 私は混乱して理由を探した。
「あの子、レイムズにだけ態度が全然違うんだ。他の子爵子息とも違う。変に大人しくて、たまに積極的に二人きりになろうとするんだよ」
私の頭の中は宇宙猫である。
レイムズの家は殿下に仕えるため子爵位を持っている。領地のない貴族である。
長男のために跡継ぎだ。王太子殿下の侍従なので、重要な位置である。そう思うと男爵令嬢としてはアリである。けれど、でも。
「では傍に置くのは……」
「レイムズとくっつけたくてね。彼はストイックだから、出会いが無くて」
早くくっついてくれないかなぁ、とエリック様は笑う。
「エレノアと学園の中でも思いっきりイチャイチャするきっかけにしたいんだよ」
甘い顔でそんなことを言ってくるエリック様。
私は茹でダコの気分を味わうが、必死に冷静になれと言い聞かせた。
「エリック様っ!」
「ん?」
「レイムズ本人の意思は確認しましたか?」
「いや?」
それを聞いて、慌てた。
「是非とも確認してください! 彼も勘違いしてるかも知れませんよ?!」
エリック様はハッとして、明日のうちに確かめると約束してくださった。
その後。
レイムズは、男爵令嬢に対して恋愛感情は湧かないと断言したらしい。
レイムズは二人きりになった男爵令嬢に、殿下たちの誰が一番自分に興味を持っているかとか、プライベートな情報がないかとか、色々聞かれていたらしい。
「あんまり怪しいので、背後を探らせていました」
無表情で答えるレイムズに、申し訳ない気持ちになったそうである。
対し、サイモン様に突撃したルイーズ様は、エリック様と同じくレイムズ様と男爵令嬢をくっつけようとしていた、と言われた上でサイモン様に「愛しているのは君だけだ」とプロポーズされたらしい。
その隣でクリスティーナ様はホッとして、
「てっきりどこかの国の諜報員なのだと思っていましたわ。泳がせてお調べになっている所なのだと」
と仰ったという。
結局、男爵令嬢の背後には何も無く、殿下方は何事も無かったように彼女と距離をとった。
代わりに己の婚約者たちに対して人目もはばからず愛を訴えるようになってしまった。
「私の可愛いクリスティーナ、愛しているよ」
「でっ、殿下! 膝から下ろしてくださいませッ」
「ダメ。クリスティーナ成分が足りない……」
「成分?!」
「ヴァネッサ! 俺の愛を受け止めてくれ!!」
「もう無理ですわ! これ以上、花は持てませんわ!!」
「じゃあ、ヴァネッサの家に送る!」
「うちの花瓶は満杯ですわ〜!!」
「ルイーズ、新刊が出てたんだ。読む?」
「ありがとうございますサイモン様! 貴方様はお読みになったのですか?」
「これからだけど、ルイーズの解説と一緒に読みたいなぁ」
「まぁ! うふふ」
かの三組はこんな感じである。
周りはみんな温かく見守ったり、砂糖を吐いたような顔をしている。
そして
「エレノア、君は触れ合いと花束とプレゼント、どれがいちばん羨ましい?」
「そう言って、抱きつきながら花束とプレゼントを渡してくるの、やめてくださいませ……」
「やだ。僕が全部羨ましいからね。それとも嫌?」
「い、嫌ではありません……」
私たちももちろん負けずにラブラブである。
やっぱりここは、異世界転生溺愛モノの世界なのでは?
そう思いながら、そっと紅茶を口にした。
フェードアウト男爵令嬢「なんでいきなりルート失敗したの!?」
たぶん、これまでの行いのせいで、誰からも相手されなくなります。
お読みいただきありがとうございました♪
楽しんでいただければ嬉しいです(*^^*)
2025/04/24 誤字報告ありがとうございました!修正しました
2025/04/26 誤字報告ありがとうございました!修正しました