第8話
「ごめんなさいね」
合流したエミーリアはコーデリアに謝罪した。
サリー伯爵家からの帰路である。
ふたりは馬車の中で差し向かいに座っていた。
コーデリアの顔色を見るや、エミーリアはすぐに帰ることを選択したのだ。アロンともその場で別れたのである。
「同じパーティーにアロン様が出席すると聞いていたから。私たち三人とも同級生だし、話が弾むと思っていたの。彼はいい人だし、もしかしたらうまくいくかもって」
彼女は良かれと思ってコーデリアとアロンをふたりきりにしたのだと認めた。
コーデリアの両手をエミーリアが握る。
「あなたにそんな顔をさせたかったわけではないの」
「エミーリア様……違いますよ。アロン様は以前と変わらず、よくしてくれました。ちょっと、気分が悪くなってしまっただけで」
クローヴィスとガプル公爵令嬢を見たせいとは言えず、コーデリアは誤魔化すしかなかった。
事情を言えたらいいのに、と思う。しかし自分の発言がクローヴィスの迷惑になることは避けたいし、そもそもがすでに「終わったこと」なのだ。みだりに口にすべきではない。
「普段は着られないドレスを着せていただけました。気分転換になりました。エミーリア様は十分、私に親切にしてくださっています」
「そう……」
エミーリアは手を離して、おそるおそるといった様子で口を開く。
「屋敷に帰ったら、ゆっくり休んでいらして。明日はご用事があるのよね? 近くまで馬車を出させるから」
「ありがとうございます、エミーリア様」
バーガンディ子爵邸に戻ると、すでに一台の馬車が玄関のポーチに入っていた。
コーデリアは見知らぬ男性が自分たちの馬車へ歩いてくるのを見た。使用人というにはきっちりとした服装をしている。鼻の下に小さなひげを蓄えていて、エミーリアよりも年かさのふっくらとした男だった。
「夫よ。……今日は帰ってきたのね」
やや不機嫌そうなエミーリアが説明した。
バーガンディ子爵は自らの手で扉を開け、妻と、その友人であるコーデリアを目で確認した。
「出かけていたのだね、エミーリア。……コーデリア嬢、はじめまして」
「あらかじめ、予定を伝えてありましてよ」
「知っている」
エミーリアはコーデリアのこともすでに夫に伝えていた。
コーデリアが「はじめまして」と返した横で、エミーリアはけんもほろろな言い方をしつつ、彼の手を取って馬車から降りた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「うむ」
エミーリアの口調は冷ややかなものだったが、子爵は気にした様子もなく頷いた。
子爵は次にコーデリアが馬車から降りるのを手伝った。
「妻が学院時代の友人を滞在させるのは初めてのことだ。今後も妻と仲良くしてくれるとうれしい」
「いえ……。こちらも突然の訪問となってしまったにも関わらず、こころよく受け入れてくださってありがとうございます」
仕事に夢中で帰ってこない話を聞いていたものの、彼の優しげな口調からは、妻を心から愛していることが伝わってきた。
「妻はよく君の話をしているのだ。ただ、あまりに手紙の返事が少ないと嘆いていたから、頻度をあげてもらえると妻が喜ぶと思う」
「旦那様っ!」
やや頬を赤くしたエミーリアが夫の袖を引いた。
「コーデリアさんにはお仕事があるのですよ。それよりもあなたはご自分を顧みてくださいな。いつも現地視察や出張で出かけてばかりで、家にいても建築図面をにやにやしながら眺めていらっしゃる頻度を下げるべきですわ!」
「しかしなあ、こればかりはやめられないのだ。君を愛するのと同じように」
コーデリアはどうやってこの場を離れようか考え始めた。
かわいらしい夫婦の戯れに同席しつづけるのもいたたまれないものがある。
「そういえばコーデリアさん、夫に何か尋ねたいことがあったのでしたわね。この人、またすぐに仕事に出かけてしまうだろうし、今、お話しなさってはどう?」
行きの馬車での話を思い出したようで、エミーリアはコーデリアへ水を向けた。
「旦那様、コーデリアさんが旦那様に聞きたいことがあるようなの。聞いてくださる?」
「それは構わないが……どのようなことかね?」
バーガンディ子爵は不思議そうにする。
――ここはお言葉に甘えさせていただこう。
夫婦ふたりの視線が注がれたコーデリアは、自分の「仕事」へ頭を切り替えた。
「実はエミーリア様から、子爵が建築に造詣が深いと伺いました。ぜひ、ご意見を賜りたい案件があります」
「わかったよ」
バーガンディ子爵は妻の腰に腕を回しつつ、空いた手で邸内へ促した。
「私で役立てることがあるのなら応じるよ。妻もそう望んでいるからね」
エミーリアはふん、と鼻を鳴らし、夫の鼻をつまんだ。ふが、と子爵の鼻も鳴るが、本人はうれしそうだった。
――友人が幸せそうならなによりね。
悩みは尽きないとしても、このふたりなら円満にやっていけるだろうとコーデリアは思った。
友人の夫婦関係に安堵しつつ、コーデリアは「あること」について確認作業を進めることにしたのだった。
クローヴィスはガプル公爵令嬢を邸まで送り届けた後、自邸に戻った。
湯あみと着替えを済ませ、書斎へと向かう。
……キュン……キュン。
庭に面した廊下から、悲しげな鳴き声が今夜も聞こえてきた。
――また翠玉が鳴いているのか。
残務を片付ける前に、庭に下りることにした。
庭の一角は翠玉のために解放してあった。
ランタンを持って近づくと、翠玉のふたつの目がきらりと光った。鮮やかな緑。名前の由来となった宝石と同じだった。翠玉は鳴くのをやめ、こちらへ首を伸ばしてきた。
濃い灰色をしたうろこの流れにそって首を撫でてやると、甘えたような鳴き声を出す。
翠玉は、ウォルシンガム宰相家で飼育する飛竜だ。元は軍人を乗せるための騎竜として用いられていたが、乗り手を亡くして騎竜を引退した。今は主にクローヴィスを乗せることが役目になった。
普段、翠玉はおとなしく、滅多に鳴かない。しかし、昨日からずっとそわそわと落ち着かない様子を見せ、昨日は昼間も夜も特に頻繁に鳴いていたという。しかし、邸のだれも原因に思い当たらなかった。
「翠玉もわかっているのか」
飛竜は賢い生き物だ。人の言葉こそわからないが、一説では十歳の子ども程度の知能があるという。
彼女もまた、大好きなコーデリアと会えなくなったことを察して悲しんでいるのかもしれない。翠玉は、遠くからも匂いでわかるほどコーデリアに懐いていたから。
――コーデリア。どうしてあんなところに。
ガプル公爵令嬢の前もあって、追いかけることは叶わなかったものの、クローヴィスはあの場にいたのがコーデリアだという確証を得ていた。
ガプル公爵令嬢がポーカーに興じている間、とある人物から話を聞けたからだ。
『彼女は僕の友人でして……ただ、僕としてはもっと親密な関係になりたいなとは思っています』
コーデリアとともにパーティーを抜けたのは、カーマイル男爵家の三男だった。学院時代の同級生だという。彼はコーデリアに好意を寄せている様子だった。
彼の話によって、コーデリアはバーガンディ子爵夫人とともに来たことがわかった。明日の朝にでも子爵家には面会の約束を取り付けるつもりだった。
「もどかしいな」
コーデリアに会わなければと気が急いていることもそうだが、何よりも彼女を好いているらしい男の登場に衝撃を受けた。
学院での同級生。年の頃もちょうどよい。世間の評判も悪くない。コーデリアの相手にはもってこいだ。
――コンラッド。おまえなら素直に祝福していただろうな。……私は、『兄』代わりをしても、本当の『兄』にはなれなかった。
アロンという男にコーデリアには近づくなと叫んでやりたかった。
おまえよりも私のほうがずっと長くコーデリアを。
だが、クローヴィスにはアロンを止める権利がなく、それどころか、今はしがらみに囚われている。
翠玉は、また悲しげに鳴きはじめた。クローヴィスの心を代弁するかのようだった。