第6話
サリー伯爵家のガーデンパーティーは夕方からだが、午前中から入浴やマッサージ、ドレス選びで、コーデリアは疲弊することになった。
エミーリアはほとんどコーデリアに付きっ切りで、メイドたちにあれこれと指示を飛ばし、さながら子爵家総動員の様相を呈している。エミーリアは終始ご機嫌そうなので、コーデリアはいろいろと諦めた。
「今回のパーティーの出席者は貴族だけではないのよ。事業家や政治家、中央官吏の方も参加しているし、サリー伯爵夫妻も良い方たちなの。気後れする必要もないわ」
サリー伯爵家に向かう道中、ふたりで馬車に揺られつつ、エミーリアはパーティーについてそう説明した。
政治家、という言葉にコーデリアは内心どきりとする。
――さすがにクローヴィスが参加しないわよね……?
そんな偶然はあるはずもない。
エミーリアはコーデリアの動揺に気付いた様子もなく話を続けた。
「本当に、コーデリアさんと一緒に行けてよかったわ。ひとりだと心細いところだったのよ」
しみじみとした口調だった。
「あの人は社交が苦手で、ああいう場は好まないの。そもそも仕事で家を空けることも多いし……昨晩も帰ってこなかったわ。さすがに今晩は帰ってくると思うけれど……」
エミーリアはため息をついて、手に持つ扇子をぐっと握りしめた。
「ほんとうに……っ、本当に、あの人は毎日毎日、建築のことしか考えていない、建築馬鹿なのよ……!」
「……建築馬鹿」
「ええ、馬鹿なの。仕事という以上にのめり込んでいるわ」
エミーリアは真剣な面持ちで肯定する。
エミーリアの夫は、建築士をしているのだという。
――それなら。
コーデリアの中にあるアイデアがひらめいた。
「エミーリア様、実はひとつ、お願いが」
「あら、なんでもおっしゃって?」
「ありがとうございます。実は子爵様にお伺いしたいことが……」
その時。馬車が止まった。目的地についたのだ。
エミーリアは先に腰を浮かせかけ、コーデリアに笑いかけた。
「その話は後でじっくり聞くわ。今は……せっかくのあなたの晴れ姿をお披露目しなくては!」
ぱちり、とエミーリアはウインクをしてみせたのだった。
幾何学模様に配置された花壇と、涼やかな水音を響かせる噴水。小さな池に配置されたガゼポ。蔦でできた緑のトンネル。
青々とした芝生に置かれた白いテーブルにはグラスや料理が並ぶ。その傍らには思い思いに談笑する紳士淑女がいる。
サリー伯爵家の庭園は、パーティー会場にふさわしく見事な作りをしていた。
「バーガンディ子爵夫人と、コーデリア嬢がお越しです」
サリー伯爵家の使用人がエミーリアとコーデリアの到着を告げた。
紳士淑女の視線が彼女たちに注がれる。特に、見慣れぬコーデリアに。
「ふふふ、みんなコーデリアさんに見惚れているわ」
「そうではないと思うのですが……」
だが、ここでエミーリアに恥をかかせるわけにはいかない。コーデリアはがんばって表情筋を使って微笑む。
「でも、本当に素敵に仕上がっているのよ? それにわたくしのエスコートを受けているのですから自信をお持ちになって?」
エミーリアの視線がコーデリアに向かう。
普段はブラウスと長いスカートを履いている彼女も今は肩を出したドレスを纏っていた。
野イチゴの花とアネモネ、細竹が散りばめられた柄が華やかでかわいらしい。
エミーリアがコーデリアの身体に様々なドレスを当てる中、即決で決めた逸品だった。
髪もメイドの手で複雑に結い上げられ、首には小さな宝石をあしらったネックレスをつけている。さらにレースがあしらわれた白い手袋をはめて、鏡に映ればコーデリアの目にもひとかどの淑女に見えた。たしかに心ときめいたのだ。
「エミーリア様……」
「さ、一緒にご挨拶回りに行きましょう」
コーデリアはエミーリアに促されるがままに、エミーリアの知人たちと挨拶を交わしていく。
幸いなことに、彼らはおおむねコーデリアに好意的だった。エミーリアが「王都に遊びにきた大事なお友達」として紹介してくれたからでもある。
今来ている客人たちとひととおり挨拶を済ませた後、エミーリアは新しいグラスをコーデリアに渡した。コーデリアはやっと緊張から解放された気持ちでグラスに口をつけた。
「エミーリア様。私、きちんとご挨拶できていたでしょうか」
「ええ、もちろん。言ったでしょう? コーデリアさんなら大丈夫って」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「ふふ、本心から言っているのよ」
エミーリアはグラスを傾けて、ワインを口に含む。
辺りは黄昏時になっていた。テーブルには蝋燭の火がつけられていく。
「コーデリアさんはわたくしをもっと利用なさっていいのよ?」
「エミーリア様。それはどういう意味でしょうか」
エミーリアは周囲にいる紳士淑女たちを眺めていた。
「わたくしは、この場であなたを紹介したわ。ささいなことでもその縁は、いずれどこかで実を結ぶかもしれないでしょう?」
コーデリアは、彼女の言わんとしていることがわかった。
「……私は、ただの地方官吏ですよ。このようなきらびやかな世界とは無縁です。しばしの夢を見せてもらっていると思って、この場に来ているだけで」
コーデリアはグラスの中でゆらめくワインを見つめていた。
「わたくしはコーデリアさんのそういうところが好きよ。少しもどかしいところもあるけれど。……あら、やっといらっしゃったわ」
エミーリアはだれかに向かって片手を挙げた。
彼女の視線の先を追いかけると、ひとりの男性がふたりの前にやってきた。
「これはこれは、バーガンディ子爵夫人に……あれ、もしかして……コーデリア?」
コーデリアにも、同世代と思われる男性に、見覚えがあった。
「実はね、コーデリア。どうせここに来るなら、この人にも会わせようと思ったの。覚えているかしら。わたくしたちと同級生だったアロンよ。たまに社交界でも会うの。……そういえばどちらにお勤めだったかしら?」
「何度か申し上げましたよ」
やや呆れ顔を作りながらアロンは答えた。
薄茶の髪に柔和な顔立ち。学院在学時の記憶のままだ。
「国の監査局です。やあ、コーデリア。久しぶりだね。地元の官庁に行ったと聞いていたけれど、元気だった?」
「ええ、元気です。今もそこで働いていて」
「王都には旅行で?」
「そうです」
アロンは男爵家の三男で、身分問わず友人が多かった。
コーデリアにも、学院で食事を取る時など、たまに声をかけられることがあったのだ。
「そうなんだ。懐かしいな」
「アロン。たしかあなたは、まだ結婚していなかったわよね?」
「え、うん。そうだけど? 別に三男だから好きにしろと言われているし。恋人もいない、わびしい独り身だよ」
コーデリアは嫌な予感がしたので、エミーリアの袖を引っ張ったのだが、遅かった。
「アロン。しばらくコーデリアをお預けしてもよろしいかしら」
「は?」
「もちろん、不埒な真似を許さなくってよ。実は先ほどから靴擦れを起こしているようだから、軽い手当をしにいってきますわ」
「エミーリア様、それなら私も同行したほうが」
「いいえ、それには及ばないわ」
エミーリアはきっぱりと首を振り、立ち上がった。
彼女は颯爽と歩いていく。近くの給仕に声をかけると、邸内に案内されていった。
コーデリアはアロンとふたりで残された。