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前日譚 家

 その日は十六日だった。

 退勤したコーデリアは乗ってきた乗合馬車を慌ただしく降りた。

 家に繋がる緩やかな坂を駆け足気味に上っていく。

 その日は「いつもの十六日」よりわずかに職場を出る時間が遅れたからだ。


 ――今日はあの人が来る日……!


 息を切らせながら歩くうち、風に乗って、かすかに「キュン……」と高い啼き声が聞こえてきた。

 長い首を伸ばして、コーデリアを見つめる鮮やかな緑色があった。

 今度こそ、コーデリアは「彼女」へ駆け寄った。


「翠玉……! もう来ていたのね……!」


 飛竜の翠玉は甘えるように頭をコーデリアの胸に擦り付けた。

 コーデリアも抱えるようにして翠玉に応えた。


 ――翠玉が来ているなら、あの人も。


 彼が家を訪れる時はいつも翠玉に乗ってくる。

 コーデリアが視線を上げると、ちょうど家の扉が開くところだった。

 ベストに、シャツの袖口を捲り上げた姿のクローヴィスが出てきて、言った。


「おかえり、コーデリア」

「……ただいま」


 最近は彼の方が先に家に来ることが多くなり、このやりとりも増えた。彼にとっては自分の方が早く家にいたから発した言葉だろうが、コーデリアはとてもくすぐったい気持ちになる。

 クローヴィスはコーデリアの目の前に来た。


「適当に夕食を作ったのだが、食べられるか?」

「……えぇ、いただきます」


 軍出身のクローヴィスは、身の回りのことも自らできる。料理すらできる。コーデリアよりもよほどこだわるぐらいだ。

 以前はコーデリアが作ることが多かったのに、今では彼の方が積極的に作るようになっていた。普段はよほど忙しいはずなのに。


「コンラッドの墓参りはもう済ませたよ。あと、今日は良い茶葉を持ってきたから食後に飲もう」

「……そうね」


 名残惜しげな翠玉に別れを告げて、家に入る。

 クローヴィスの作った料理に囲まれながら二人は食事を取った。

 互いに仕事の話はあまりしない。どちらも外では違う顔をしているからだろう。

 家の中だけではただのコーデリアとただのクローヴィス。コーデリアにとってはそれでよかった。

 食後に紅茶を飲みながら、たわいのない話をぽつりぽつりと話し、互いに別々のベッドで眠る。

 早朝、コーデリアに見送られながら、翠玉に乗ったクローヴィスは王都へ帰っていくのだ。

 昔はこれに、コーデリアの毎月の学費の返済も加わっていた。彼は返さなくてもよいと言ったが、コーデリアは譲らなかった。利子代わりにコーデリアの家に泊まってくつろいでもらう。初めこそはそんな約束だったはずなのに、学費の返済がとうに終わった今でも、どちらからともなく言い出せずに毎月の逢瀬をずるずると続けている。

 本来のコーデリアなら、恋人でもない男性を一人暮らしの家に泊めることなど決してしない。クローヴィスだけが、特別だった。


 ――本当なら終わらせなくちゃいけない。


 これまでも何度も口を開きかけてきた。

 しかし、クローヴィスが帰り際に「また来る」と言えば、こくりと頷いてしまうのだ。


 ――あの人は今でもコンラッドの代わりをしているつもりだから……。


 クローヴィスからの好意はあってもそれは男女のものではなく、あくまで家族愛のようなものだ。彼もまた、身内の縁が薄い人だから、コーデリアとの関係に安らぎを得ているのだろう。


 ――でも、本当はずっと私は……。


 クローヴィスを追いかけ続けてきた。

 今もクローヴィスは近くに来てくれるけれど、心までは手に入らない。

 昔はがんばって告白したこともあるが、相手にもされなかった。彼とコーデリアは立場も違えば、年齢も離れている。コーデリアは恋愛対象になり得なかった。

 どうしたら。そんな問いに考え続けるのも疲れてしまった。いい加減、彼に執着するのはやめにしたほうがきっといい。 


「いってらっしゃい」

「いってくる……また十六日に来る」


 その日もコーデリアは切ない気持ちを抱えながらクローヴィスを見送った。

 上昇する翠玉の飛影はみるみるうちに小さくなっていく。

 コーデリアはため息をひとつつき、出勤の支度をし始めたのだった。




 翠玉がぐん、と上昇し、見送るコーデリアの姿が遠く、小さくなっていく。

 ……クローヴィスにも、このままではよくないという認識はあった。

 若い独身女性の家に毎月泊まるのだ。噂でも広がれば世間で彼女はなんと言われるか。

 亡くなったコンラッドの代わりに彼女を見守り続ける。その誓いはクローヴィスがみすみす大事な友人を死なせてしまった贖罪からはじめたはずだった。

 しかし、心だけはいつもままならない。


 ――愛している、と伝えたら彼女はどう思うだろうか。


 兄のように慕っていた男からそんな言葉は聞かされたくないに違いない。

 彼女からの好意は感じていても、それは家族愛のようなものだろう。

 しかし、出会った頃と比べてすっかり大人になった彼女に対し、押さえつけてきた気持ちが首をもたげることが多々あった。

 だが、悟られてはならないと思う。今のクローヴィスは重い責務を抱えている。何かあれば、クローヴィスは彼女よりも国家を優先しなければならない。

 今手掛けている大きな案件を片付けたら、という多少の見込みがあっても、確実ではなかった。


 ――また、十六日に。


 コーデリアは知らないだろう。

 クローヴィスがどれだけ「十六日」に焦がれているか。


 ――知らなくてもいい。


 彼女を見守るのは自分だ。焦がれているのも、自分だけでいい。




 


 ――"冷血宰相"の結婚報道記事が出るまで、あと少し。

 


 

 

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