後日談 アロン
アロンは夜会に招かれていた。
彼もまた実家の付き合いで顔を出さざるを得ないことがあるのだ。
なんとなく気乗りしない気持ちで、社交場にやってきた。
――この間行ったガーデンパーティーはよかったな。
学院卒業以来顔を合わせていなかった「気になる同級生」に再会できた。
彼女は当時と変わりなく、知的な雰囲気を漂わせていて――どうにもアロンはそういうタイプの女性に弱いのだが、折を見て、食事でも誘えないかと思っている。
先日、彼女から手紙が届いた。監察局に勤める彼を頼って出された手紙で、彼女がとりかかっていた案件に関するものだった。
普段、地方行政に中央の監察局が動くことはないが、とはいえ例外規定もあり、今回の不正の件はそれに該当した。
微力ながら、困っていたコーデリアの助けになれたと思っている。
――今度こそ食事に誘えたらいいなあ。
ただ、彼女は遠方住まいで、ただの同級生でしかない自分が声をかけるのはためらわれる。
ぼんやりとした気持ちを抱えながら会場を歩く。
エミーリアと出くわした。
「ごきげんよう、アロン様」
「先日のガーデンパーティー以来ですね、エミーリア様」
エミーリアも学院時代の同級生だった。コーデリアとは友人関係にある。
彼女に尋ねれば、近況もわかるだろう。
雑談の合間、アロンはコーデリアのことに話を向けると。
エミーリアの頬が強張った。視線が逸らされる。
「ごめんなさい。あれはわたくしが悪かったわ」
「は?」
「あの子のことは忘れてちょうだい……」
「え、え? ちょっと待ってください。どういうことですか」
「直にわかりますわ。……もしかしたら、今晩にでも」
エミーリアの視線が、アロンの背後へ投げられた。
振り返ると、ウォルシンガム宰相が立っていた。
「これは、宰相閣下……!」
「どうも。君は、カーマイル男爵家のアロン、だったね」
「は、はい! 覚えていただいて光栄です」
宰相閣下も、先日のサリー伯爵家のガーデンパーティーに話すことが叶った御仁だ。
軍人上がりの宰相閣下は、夜会服をまとっても背筋がしっかり伸びている。眺めるだけで惚れ惚れする男ぶりだった。
世間では賛否両論あるウォルシンガム宰相であるが、アロンは彼の仕事ぶりに尊敬の念を抱いていた。
「こんばんは、バーガンディ子爵夫人」
「こんばんは。……閣下は最後までお忙しいようですわね。こちらの夜会にもいらっしゃるだなんて」
「最後のご奉公だと思って務めていますよ」
ウォルシンガム宰相は辞任の日にちもすでに公表している。
エミーリアと宰相閣下も既知の間柄らしく、エミーリアともスムーズに会話をしていた。世間の狭さを思っていると、宰相が「そういえば」と思い出したように告げる。
「コーデリアが、あなたとのお茶会はとても楽しかったと喜んでいましたよ。また誘ってやってください」
「まあ、それはよかった! ……あ」
一度は喜んだエミーリアが気の毒そうな眼になる。視線はアロンへ向いた。
アロンはじっくりと聞いていた会話を思い返した。
――今、宰相閣下の口から「コーデリア」という名が出なかったか。
「か、閣下。ぶしつけな質問をお許しください。その、『コーデリア』というのは……」
アロンを見る宰相閣下の眼の色が、一層深まった気がした。
別に、眼光が鋭くなったわけでもないのに、蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかった。
「ああ、君の同級生でもあるコーデリアは、私の恋人だ」
この瞬間、アロンは自らの失恋を悟った。
若くして宰相の地位を務め上げた優秀な男に、勝てるわけがなかった。
さらに己のやらかしにも思い至った。
前回宰相閣下と話した時、彼は、コーデリアと深い仲になりたいのだと……当の恋人に告げていたことになるのだ。
もはや薄ら笑いを浮かべてごまかすしかない状況だった。
きっと、宰相閣下はアロンの発言も覚えている。アロンが同じ立場ならきっとそうだからだ。
「すまないな」
彼はアロンを気遣ってか、やや小声で補足した。
「私は、君よりも早く、コーデリアに出会っていてね。彼女のことは任せてもらいたい」
そういわれて、頷かないという選択肢はなかったのだった。
ウォルシンガム宰相はそのまま挨拶回りに戻っていく。
アロンは強烈な疲れと恥ずかしさを覚え、すぐにでも家に帰りたくなった。
「アロン様……焚きつけたわたくしが悪かったのよ」
エミーリアが、アロンの肩を軽く叩く。
エミーリアの謝罪の意味がわかった今、アロンは返事をするのも億劫だった。
「いや……でもまだ今の段階でよかったよ。完全に好きになってしまう前で、さ……。さっきの閣下は僕に釘を刺しにきたんだな……僕は、半ば無意識に閣下へ恋敵宣言していたらしいから」
どこまでもしょげるアロンに、エミーリアは肩をすくめた。
「それならあれだけで済んでよかったではありませんか。あの方のコーデリアを見つめる目を見たら、本当にもう、別人のようですのよ。声色まで変わりますの。そんな方があれだけで済ませてくれたと思えば、まだよいほうですわ」
「……たしかに」
アロンの気持ちが少し浮上したのを悟ったのか、エミーリアはこんな提案をしてきた。
「アロン様。よろしければ、今度、あなた好みのすてきな女性を紹介してさしあげるわ」
「それはいいですね。よろしくお願いします」
「任されましたわ」
エミーリアに鮮やかな笑みがひらめく。
「恋の話は大好きでしてよ」
お節介な同級生と、同じ官吏の世界で生きる同級生。
卒業後もふたりの素晴らしい同級生から刺激を受けている。そんな自分の人生もそう悪くはないように思えたのだった。