第15話
重厚な作りの扉の前で、コーデリアは胸に手を当てた。
深呼吸。扉をコンコン、と叩く。
「はい」
シンプルなブラウンドレスを着た女性が扉を開けて出迎えた。
「御用でしょうか」
「はい。役所から参りました。コーデリアと申します。明日の復興式のご説明のため参上しました」
「伺っております。どうぞ」
官吏の身分証も見せていたとはいえ、あっけないほど簡単に通された。
コーデリアがいたのは市街地にほど近い迎賓館だった。元は貴族の城館だったところで、今は賓客を迎えるために使用される建物だ。
国王は日程の都合で明日の早朝に現地入りする予定だが、ガプル公爵令嬢と宰相閣下……クローヴィスはすでに館に到着している。
――あの人にすぐ会えるとは思わない。
国の重要人物であり、警護が厳重になるのも当然のこと。彼の部下はコーデリアのことを知らないはずだ。
たとえ同じ建物にいてもクローヴィスとの距離はあまりにも遠かった。
それならば……別の人物を頼るほかない。幸いにも、突然の訪問が決まったことにより、接待係は人員不足だ。コーデリアが潜り込める余地はあった。
「どなた?」
部屋の奥から女性らしい優美な声がかけられた。
侍女に連れられたコーデリアは夜の窓辺で明かりに照らされている女性と対面した。
彼女はカウチに優雅に腰かけて。
胸元には妖しく光るガーネットの首飾り。ドレスは清楚な白のエンパイアドレス。
魅惑的なゼニスブルーの瞳は、猫のように細められていた。
「明日の復興式の件で、連絡事項をお話に来られた官吏の方です」
「コーデリアと申します」
侍女の促しを受け、コーデリアは自己紹介をした。
――私のことを覚えていらっしゃるかしら。
あの時のコーデリアは、クローヴィスに会いに行くも使用人に追い返されて途方に暮れていた。
「彼女」はそこへ通りがかったのだ。彼女にとってのコーデリアは、一瞬こそ好奇心を疼かせたものの、ただそれだけの路傍の石だった。
しかし、今またコーデリアは、彼女の前に姿を現わしている。もし、わずかに記憶が残っていたのなら、何かしらの反応を示すだろう。
そうしたら、クローヴィスに直接、例の件を話せる絶好の機会となる。
一礼をし、コーデリアはあえてガプル公爵令嬢と視線を合わせた。
ゼニスブルーの瞳は揺らがなかった。
「はじめまして」
ガプル公爵令嬢は微笑んだ。
「女性の官吏の方がいらっしゃると心強いわね。こちらに来てから男性官吏の方ばかり見かけていたものだから、気疲れしていたところですわ」
「そう言っていただけると、こちらも気が楽になります」
コーデリアのわずかな期待がすぐさま落胆に代わる。
「はじめまして」。これが答えだ。彼女はコーデリアのことを覚えていない。
――どうする? ……どうする。
彼女は考えを巡らせつつ、明日の行程の説明や式典の段取りを説明していく。
終わった時、コーデリアの作ったメモ書きに目を落としていたガプル公爵令嬢の顔が上がる。
「あなた、もう一度お名前を教えてくださる?」
「コーデリアです」
彼女はコーデリアを頭からつま先まで眺めてから、ふと。
「あなたの説明、わかりやすかったわ。それに所作もきれい。わたくしの侍女にも欲しいくらいよ。ありがとう」
「は……」
思いも寄らない話の展開に言葉を失う。だれが、だれの。
その場に同席していたはずの侍女は表情を消して、ただ俯いている。
「こんな地方にいるなんてもったいないわ。王都に出てくる気はないの。もう少ししたら結婚するけれど、雇用は保証するわ」
「いえ、私は」
目の前が真っ赤になる。
――この方にとって、私は。
ガプル公爵令嬢にとって賛辞のつもりで口にした言葉も、今のコーデリアには傷口に手を入れられてかき混ぜられたようなものだった。
彼女にとっては「こんな地方」でも、コーデリアには故郷で。
「所作がきれい」なのは、クローヴィスに少しでも釣り合いが取りたくて。
愛しい人の妻に仕えるためのものではなかった。
「できません、それは。絶対にできないことです」
予想以上の硬い拒絶だったのだろう、ガプル公爵令嬢は目を瞠る。
我に返ったコーデリアは神妙な顔になる。
「ご無礼を申し上げました。お許しください」
「許すわ」
ガプル公爵令嬢は顎を引く。彼女の視線はそのまま外に投げられた。
黙っていた侍女がコーデリアに歩み寄る。
「また詳しいことは明日の朝にでも私にお伝えくださいませ」
言葉の意図は「ガプル公爵令嬢はあなたともう話す気はない」ということだ。
コーデリアは唇を噛んだ。
――いつもならもう少し冷静に対処できたはずなのに。
伝えなければならないことはまだ残っている。
コーデリアが口を開きかけた時、ガプル公爵令嬢が「あら……」と小さく声を上げた。
「何かが啼いているわ。あれはなに?」
「声の主はこちらに連れて来た飛竜でございましょう」
耳を澄ませば、たしかに、キュン……キュン……とか細い鳴き声がした。
――コンラッド……。
コーデリアの兄、コンラッドは飛竜に乗る騎兵だった。相棒の飛竜は「翠玉」。
もしかしたら今の飛竜の鳴き声も彼女のものかもしれない。
コンラッドの墓前で、亡き主人を恋しがって啼いていたことを思い出す。
――もう、あんな思いはしたくない。
「個人的な話になりますが、私には兄がおりました。コンラッドと申しまして、騎兵でしたが、紛争中、仲間を逃がすために自ら犠牲となりました」
コーデリアはゆっくりとガプル公爵令嬢に歩み寄り、両膝をついて、ゼニスブルーの瞳を見上げた。
「当時、コンラッドの上司として隊を率いていたのは、クローヴィス……ウォルシンガム宰相閣下です。私の兄と閣下は、友人同士でもありました」
「それで……?」
「私自身も、宰相閣下とは個人的な交友がございます」
「なんですって……?」
ガプル公爵令嬢は、まじまじとコーデリアを見る。彼女の胸中にはさまざまな可能性が巡っているに違いなかった。
「ラヴィニア様」
コーデリアはガプル公爵令嬢の名前を呼ぶ。
「私は以前から宰相閣下と関わる者として、その幸せを心から願っております。これは、本心からのことです。ですので、ラヴィニア様の邪魔になろうなどということは思いません。ただ、私はすでに宰相閣下と直に会えない身です。邸に行ったところ、使用人に追い払われてしまいました」
「あなた……」
ガプル公爵令嬢の目が変わる。はじめて目の前のコーデリアと、かすかに残るコーデリアの記憶と一致したのだろう。
「私は、ある仕事を追っているうちに、明日の復興式にまつわる重大なことを知りました。国王陛下に関わり、あなた様や宰相閣下も無縁ではありません。そのことを、宰相閣下に報告させていただきたいのです。……お取次ぎ願えませんでしょうか」
「失礼な方ですね」
ガプル公爵令嬢の代わりに声をあげたのは、侍女の女性だった。
膝をつくコーデリアを早く追い出したいばかりに彼女の肩を乱暴に掴もうとする。
しかし、コーデリアも引けない。動かない。
ラヴィニアの目を懸命に見つめ、彼女からどんな言葉が伝えられるのか、ただ待っていた。
ゼニスブルーの瞳はうろうろと迷う。
「お嬢様」
「いいのよ」
ラヴィニアは侍女の動きを止めさせた。ため息をつき、傍らにあった飲みかけのグラスを流し込む。
「あなたは下がってちょうだい」
ラヴィニアは侍女に向かって指示した。
「わたくしも、国王陛下の臣民よ。陛下が関わる重大事項があるなら、聞き流せない。……話は聞くわ」
後半の言葉はコーデリアに向けられたものだった。ラヴィニアの表情には笑みはなかった。
「勘違いなさらないでね。お話を聞くだけよ。あなたの要求通りになるかは、話の内容次第。それでもよろしくて?」
「構いません。……感謝いたします、ラヴィニア様」
「感謝される筋合いはなくてよ」
ラヴィニアは、わずかに顔を歪めた。
「思いあがらないで」