第11話
コーデリアはふたたび飛竜に乗って、王都から地元へ戻った。
飛竜便の駅亭から出ると、辻馬車を捕まえた。旅行用のトランクを家に置くより先に確かめなければならないことがあった。
辻馬車は下町でとまり、コーデリアは早くから営業している酒場に顔を出した。
地元民に愛される酒場には、すでに酒飲みが集結しつつあった。きっちりとした服装をしたコーデリアはやや目立っている。
客の男たちを見回したコーデリアは、すでにジョッキを何本も空けている様子の中年男に声をかけた。
「こんにちは、ミュラーさん」
「げっ、何しにきた女官吏!」
あからさまに相手は嫌そうにしながら、テーブルにジョッキを置く。派手な音がした。
「また文句つけにきたのかよ! 俺ァ、今回は何もしてねえよっ!」
「話を聞きに来ただけですよ」
コーデリアはミュラー氏の向かい側に座る。
ミュラー氏とは仕事上、何度か付き合いのあった仲である。彼は大工の棟梁をしているのだ。そして記録上、例の庁舎の工事では、元請けとなるパレッラ商会の下請けをしていた。
「それとも『前回』に痛い目をみたにも関わらず、また何かをされているのでしょうか?」
「していないわっ!」
ミュラー親方が泡を食って否定したのは、コーデリアの指摘した『前回』が利いているからだろう。
彼は一度、請け負った工事に不備があったにも関わらず、工事が完了したと言い張り、ごねにごねたことがある。審査を担当したコーデリアは証拠を突きつけた上で、一定期間に行政との契約を結べなくなるという罰則を科した。これを知ったミュラー親方はコーデリアの元へ怒鳴りこみ、ひと悶着を起こしたのだ。
「もちろん、そうでしょう。真面目に仕事をしていくのが一番です。嘘はいけません」
コーデリアは意図的ににっこりとした笑顔を作る。
「実は、妙な案件がありまして。新庁舎の工事の件です。経験豊富な親方なら、現場の違和感に気付かれたのではないかと推察した次第です」
「……なんだよ。知らねえなあ」
急に中年男は遠くを見ながら鼻をほじりだした。
「なんでそう思ったよ、お嬢ちゃん」
「話したら、教えてくれますか?」
「いや?」
男は肩をすくめた後、店員のいる方向へ顎をしゃくる。
「素面で話せるものじゃねえだろ? 俺ァと話したいなら飲め。そうしたらうっかり口を滑らすかもしれねえな?」
ま、お堅い官吏さまは、庶民と飲むなんてできねえだろ――。
中年男はそう言って、うはは、と笑う。近くの席にいた赤ら顔の男たちも、何が何だかわからないものの、つられて笑う。
コーデリアは真顔になった。
「わかりました。そこの店員さん、私にもエールを一杯」
「は、はい!」
「それと、今晩、私の呑んだ分はすべて私自身の財布から払います。もし酔っ払って前後不覚になったら、あなたが責任をもって、二階の部屋に休ませてください。だれも入れてはいけません。前金だけ渡しておきます」
若い店員は戸惑いながらも頷く。店主も見やる。彼もまた察したように頷いた。
「では、ミュラーさん、飲みましょうか」
「……はん! なら飲み比べでもしてやろうかっ! お嬢ちゃんが勝ったら何でも教えてやる!」
「言いましたね……?」
コーデリアの目が光った。
「ミュラーさん、実は私……これまでの人生、酔い潰れるほど飲んだことがないんです」
「ほう! じゃ、酒に慣れていないお嬢ちゃんをこれから酔い潰しちゃうわけだな、いやあ、悪いなあ!」
ミュラー氏は、高らかに笑う。
そして、コーデリアに言われるがまま、約束をしたためた覚書を書いてみせた。店主がその証人になった。
看板娘がコーデリアのジョッキを持ってきた。
コーデリアとミュラー氏のジョッキが乾杯の声とともにコン、と音を立てる。
飲み比べがはじまった。
「酔いつぶれるほど飲んだことがない」。コーデリアの言葉は嘘ではない。
ただ、受け取り方が違っただけだった。
ミュラー氏は、コーデリアがこれまでほとんど酒を飲んでいないと解釈した。
しかし、コーデリアはそのつもりで言っていなかった。
不幸なすれ違いは、すぐさまあらわになった。
「おい、うそだろうそだろ、おい……!」
酒が抜けたように真っ青になったミュラー氏がコーデリアを指さした。
コーデリアはぐびぐびとジョッキの中身を呑みほして、「次ください」と店員に声をかけた。涼しい顔をしていた。
コーデリアの傍らには、ミュラー氏よりはるかに多くのジョッキが並べてある。
「嘘ではありません。本当に酔いつぶれたことがないんです。父も母も兄も酒豪だったようですし、そういう体質なのでしょう」
ただそれでも念のため、酒場へ自分が酔いつぶれた時の介抱を依頼しただけである。
男は口をあんぐり開けたまま動かなくなった。彼のジョッキは随分前から中身が減らなくなっていた。
「でもお酒をたくさん飲める身体でよかったです」
彼女はしみじみと言った。
「あなたがた職人は、お酒を飲みながら円滑な人間関係を築こうとするでしょう? 私のような立場の者が懐に飛び込んで話を聞くにはちょうどよい特技だと思っています」
コーデリアは空になったジョッキを置き、ハンカチで口元を拭った。
「お酒で身体を壊すこともありますし、そもそも飲めない人もいます。少なくとも飲みすぎは褒められたものではありませんが、今回は両親に感謝しなければいけませんね」
お腹が空いてきたので、店員に料理を注文する。
相手はすでに諦めた目で嘆息を繰り返していた。
「ああ、もう!」
やがてミュラー氏は白旗を上げた。
「店員、水をくれ! たっぷりとな!」
中年男は酔いで赤くなった目でコーデリアを睨んだ。
「……で、何が知りたいんだよ……コーデリアさんよ」
彼ははじめてコーデリアを名前で呼んだのだった。