第10話
コーデリアはバーガンディ子爵の邸を出て、王都の街を歩いていた。
家に帰る前に済ませておきたい『用事』があるためだ。
自身で書いたメモを頼りに目的の住所へ向かう。
「ここが……」
王都でも治安が悪いとされる地域に、目指した商会は存在していた。
「パレッラ商会」。コーデリアが担当している案件の、元請けとなっている商会だった。
レンガ造りの建物に入り、受付で案件の担当者を呼びだしてもらう。
奥から出て来たのは、気さくな若者といった風貌の青年だった。
「担当のオリヴァーです。官吏の方がわざわざこちらまでいらっしゃるとは思わず……」
「いえ、たまたま別件で王都に来ていたものですから」
コーデリアは意外に大きな内部や、書類を持ちながらあちこち動き回る商会の従業員を眺めた。
「王都の業者が建設工事の元請けとして受注することが珍しいもので。私自身もお付き合いしたことのない商会さんでしたし、気になっていたんです」
「なるほど。それではぜひ当商会を今後とも御贔屓に。今回は建設工事の元請けでしたが、当商会では貿易品の取り扱いや人材派遣もしております」
青年はにこにこと揉み手をした。
「幅広い商売をなさっているのですね。しかし、不思議だったのですが、入札公告はこの王都までは伝達されないのに、どうやって新庁舎の工事公告を知ることができたのですか?」
受注する業者を決めるための入札を行うことを周知するのが「入札公告」だ。基本的には担当庁舎や他の近隣機関への掲示で足りるとされている。特に建築案件は、利便性といった観点から遠方の業者が参加することはまれだった。
「ふふふ……。我々、商会のモットーは、『人は宝なり』です。当商会は歴史こそ浅いですが、それだけに人脈開拓に力を入れて参りました。今回の案件の公告も、当商会が張り巡らせてきた人脈によって知りえたものです」
――行政の案件をこなすことで「実績」を積みたい意欲的な業者ということかしら。
実際に、新興の商会ならありえない話ではない。「実績」を積んだだけ、取引先からの信用を得られやすくなる。
「あ、もちろんですが! 得た情報というのは、公告が出ていることだけで、なんらやましいことはありませんよ! ええ、ええ、そうですとも」
「ええ、もちろん、そうだと思います」
コーデリアは顎を引く。
彼女の目に留まったのは、オリヴァーの胸元を飾るカメオだった。漆黒のジェットに女性の横顔が彫り込まれている。見事な逸品だ。
「そのカメオは……素敵ですね」
「えへへ。そうでしょう? お客様の中でも目の肥えた方がいらっしゃるので、こうして声をかけていただくことも多くて。当商会から贈らせていただくこともございます」
「そうなのですね」
「コーデリアさまもご入用でしょうか?」
「いえ、結構です」
多少の世間話をした後、コーデリアはパレッラ商会を出た。
通りには人影が閑散とし、紙くずが風に吹かれてからからと無意味に転がっていく。
――何をやっているのだろう、私は。
職場を飛び出した時は「クローヴィスに会わなければ」。たしかにそう思っていた。
一方で、冷静なコーデリアは、頭の中で「王都へ行く別の用事」も思いついていた。思いつくだけではなくて、実際に自分の書いたメモと図面の紙を持ち出していた。
こういうところがかわいくないのかもしれない。だからクローヴィスは……。
コーデリアは、意識して目をしばたたかせた。
空は曇っていた。雨が降りそうだ。
その前に飛竜便に乗って、家に帰ろうと思った。
たとえあの家に帰る理由がもうないとしても、やるべきことはあった。
――パレッラ商会……。あそこはたぶん、「黒」。
確証は得た。証拠を固めなければならない。
メモに先ほどの日時を記入し、会話の記録を取る。
その後は足早に飛竜のいる駅亭へ向かった。
飛竜便は、人だけでなく郵便をも迅速に運ぶ。時には、「人」よりも早く届く。
ダンカン長官は、パレッラ商会のオリヴァーからの速達を自宅で受け取った。本来なら出勤日に当たるのだが、彼が遅刻しようが、出勤しまいが、とやかく言う者は誰もいない。家族は王都から離れるのを嫌がったため、彼ひとりで住む家だ。
パレッラ商会とは、王都にいたころから付き合いがあった。
『例の件について、コーデリアという女が訪ねてきました。官吏のようです』
『ばれたのではないでしょうか?』
『至急、確認を願います』
手紙の概要はおおよそそのような文面であった。
――コーデリア?
聞いてすぐには思い出せなかったが、『例の件』の支払審査を行っている担当の名だったと思い当たる。地味でかわいげのなさそうな女であった。
手紙の筆跡からはやや取り乱している様子も見受けられたが、どうしたものか。
彼はためいきをつきながら返信をしたためた。
『訪ねてきたから何だ。地方の官吏は馬鹿ばかりだよ。その女が気づくわけがない』
『おおかた、王都の業者が珍しくて物見遊山に行ったんじゃないか? 適当にあしらっておけばよい』
『それよりも早く今月分の送金をしてくれ。金が足りない』
手紙はふたたび飛竜便に託された。
どちらにしろ、金の催促をするつもりだったからちょうどよいとダンカンは考えた。
今や人生で唯一残った楽しみは、大金を賭けた遊戯であった。王都での出世レースに敗れたことも忘れられる。
飛び立つ飛竜を見上げる彼の胸元には、女の横顔が彫られた黒いカメオが輝いていた。
手紙の書きだしは「拝啓 クローヴィス様」となっていた。
『今、どのような気持ちで筆をとっていいものか、迷っています。しかし、私のほうから申し上げられるとするならば、これまでのご厚意への感謝と、「おめでとうございます」というお祝いの言葉になります。
思えば、私たちの縁はコンラッドの死からでした。葬儀に現れた貴方様に『コンラッドが死んだのはあなたのせいだ』と私が怒り、弔いの花を投げつけたのがはじまりだったのです。当時の私はまだ幼く、世間も知りませんでした。貴方様が抱えていた背景にも察することもできず、心のままに貴方様を責め立ててしまった。本当にごめんなさい。
貴方様も内心では思うところがあったでしょうが、それでも私への援助を惜しまず行ってくださいました。だからこそ、私は学院を卒業でき、今の生活を得られたのです。
さらに月に一度、貴方様はコンラッドの墓を訪れてくださいました。大事な友だった、とコンラッドとの思い出話をしてくださった。その時間にどれだけ慰められていたことか。
コンラッドと私は同じ両親の元で生まれても、年齢が離れているため、一緒に過ごした時間も短かったのです。私の知らないコンラッドを語ってくれるのが何よりの楽しみでした。
もう十分、貴方様はコンラッドの上司としての責任を果たしてくださいました。私ももう、独り立ちしておりますし、学費もすべてお返しできております。
クローヴィス様の思う幸せを掴んでください。
毎月、コンラッドの墓参りに来る必要もなく、私をお訪ねになる必要もございません。
どうか末永くお元気でいてください。遠くから貴方様の幸せを心より願っています。
さようなら」
手紙の末尾には「敬具 コーデリア」と書いてある。
自室の机ですべて読み終えたクローヴィスは、「どうしてだ」と声の震えを押さえられないまま、正面に立つ男に尋ねた。
「どうして、この手紙が、私に必要のないものだと思った? これはたしかに私宛と書いてあっただろう。ならば、私へ渡すのが筋ではないか?」
「ジョン、旦那様からの質問だ、答えなさい」
クローヴィスの斜め後ろに立つ執事も、厳しい顔つきで促した。
「そ、それはっ……」
主人と執事のふたりに見据えられたジョンは視線を彷徨わせた。
冷血宰相として知られる男と、彼を長年支えて来た男である。ジョンは蛇に睨まれた蛙であった。
「ガプル公爵令嬢のためです。あの手紙を見たらご令嬢は悲しむでしょう。すべてはウォルシンガム家のためでした」
「ほう。ガプル公爵令嬢とウォルシンガム家双方のためと」
「は、はい……!」
「『すべてはウォルシンガム家』と言いつつ、『ガプル公爵令嬢のため』とも言う。……矛盾しているな?」
ジョンは慌てて言いなおした。
「どちらのためでもありました!」
「そうか。……それは忠義なことだな?」
「はい……!」
「ならば忠義な使用人にひとつ問おう。私の好きな食べ物は?」
「は?」
「答えなさい」
執事が口を挟む。
「自らが旦那様に代わって判断するのならばこれぐらいできて当然だ」
「ス、ステーキでしょうか」
「違うな、牛肉を煮込んだスープだ」
クローヴィスはすぐさま否定した。
「ジョン、私の好きな色、好きな趣味、交際関係や、懸案事項……すべてよどみなく答えられるか?」
その場に立ち尽くしたジョンはやがて「……いいえ」と力なく答えた。
沈黙していた執事が、口を開く。
「長くお仕えしている私でさえ、だれかのすべてを知った気にならないように戒めている。そのおごりが、時として取り返しのつかないことになると知っているからだ」
「ですが、私はよかれと……!」
「よかれと思って、か?」
クローヴィスの口元が歪む。
「あなたのためだ」と手前勝手に言い出す連中を山のように見て来た彼にとって、それは聞き捨てならないものだった。
「この期に及んで、まだ察せられないのか、ジョン。おまえのしたことは、主の意に反している」
ジョンの目が見開かれ、執事を一瞥した。年老いた執事は視線を伏せている。
「私が手紙の存在を知らなければ、この手紙はだれにも読まれることもなく捨てられていた。手紙が燃やされる前に、たまたまそこにいるカーソンの目に留まったからよかったものの、この手紙を知らないままだったら、私は一生涯後悔しただろう。それほど大事なものを、おまえはだれにも相談せず、勝手な判断で捨てようとしたのだ」
「それだけではない」
執事は静かに付け加えた。
「おまえは一昨日、コーデリアと名乗る女性を追い返したそうだな。あの時は記者もたむろしていたから、誤って追い返すのは百歩譲って理解したとしても、手荒い真似をする必要はどこにあった? ガプル公爵令嬢にかっこつけたかったのか?」
ジョンは真っ赤な顔をして黙り込む。
「旦那様はお優しいからまだこうした詰問で済んでいる。おまえは旦那様を愚弄し、悲しませた。私個人としてはおまえが憎くてしかたがない……」
「そんな……そんな、大した女には思えませんがね!」
唐突に、ジョンは叫んだ。
「あんなみじめな風体をした女、旦那様にはふさわしくありません!」
はっ、とした顔をした執事は主人の顔色を伺った。
クローヴィスの顔はあくまで落ち着いていた。うっすらと笑みすら湛えているように見えた者もいただろう。
「みじめだと? どこがだ? あの子は、早くに両親や兄を亡くして天涯孤独になりながらも、必死に勉学に励み、学院を首席で卒業した上で、難関の試験を突破し、官吏になった。仕事の成績も極めて優秀と言える。さらに昨年の魔獣騒動の件でも管轄外でありながら人命救助や避難誘導に尽力したとして、国王から金冠勲章も授与されている」
金冠勲章は、毎年十人程度しか授与されない極めて大きな功績を残した者に国王から贈られる勲章だ。非常に名誉なことは間違いない。
「私はコーデリアをずっと見守ってきた。あの子は強く、優しく、かわいらしい。愛すべき人だ。決して、おまえに軽んじられるような女性ではない!」
「ひいっ!」
クローヴィスに睨まれたジョンは頭を抱えてがたがたと震える。
「……旦那様」
「わかった」
クローヴィスが頷けば、執事は部屋からジョンを追い出した。
ジョンの処分は後日、また考えなくてはならないだろう。
自室の窓から下を見下ろせば、囲われた柵の中から翠玉が彼を見上げていた。宝石のような緑がきらめいた。
翠玉も、今日は少し落ち着きを取り戻している様子だった。
――翠玉が騒ぎ出した時刻と、コーデリアが尋ねてきた時刻は一致していた。
コンラッドの相棒でもあった飛竜は、妹のコーデリアにもよく懐いていた。毎月、彼女を訪ねる時に使っているのも、この翠玉である。
「彼女」もまた、コーデリアの訪問を必死になって訴えていたのだった。