第1話 日常の終焉
第1部全16章38,000文字となっています。評価していただければ続き書きます。ダメそうなら新作頑張って作ります!
「どうして、こんなに疲れてるんだろう……」
デスクの上に散らばった書類をぼんやりと眺めながら、私は深いため息をついた。オフィスの蛍光灯の冷たい光が、無機質に私の頭上で点灯している。キーボードを叩く音と、時折響く無感情な電話の声。ここにいる私は、まるで透明人間みたいに誰にも気づかれていない。
「佐藤さん、これ、今日中にお願いね」
書類の束が無造作に机の上に投げ出される。冷たい同僚の声と、振り返る間もなく去っていく後ろ姿が、私の胸に一層の重荷をかける。
仕事は毎日がループのようで、次から次へと押し寄せる業務に追われ、誰も私を見ていない。同僚、上司、全ての人にとって、私はただの歯車でしかない。家に帰っても、誰も待っていない生活が続く日々。私の居場所はどこにもない――そう思い始めたのは、いつからだったんだろう。
――もう、消えてしまいたい。
会社を出た後、歩道橋の上で立ち止まった。目の前には、下を走る車のライトが規則正しく光を放っている。心の中で、何かが囁く。
(飛び降りれば、全部終わる……)
一歩、縁に近づく。風が冷たく吹き抜け、髪が揺れる。足元に広がる景色を見つめながら、私はため息をついた。
「楽になりたい……」
その瞬間――突然、視界が真っ白に染まり、耳鳴りが頭の中で響いた。体が強烈な光に包まれ、全身が浮き上がる感覚に囚われる。
――――――――――
気がつくと、私は見知らぬ場所にいた。木々が生い茂る深い森。柔らかい草の上で横たわっている自分に驚き、恐る恐る身体を起こす。
「ここ……どこ?」
現実離れしたこの風景。風に混じる花の香りと、どこか懐かしいような鳥の囀り。けれど、これは間違いなく今までいた場所じゃない。混乱している中、視界の端で何かが動くのが見えた。
巨大な獣――いや、異形の化け物が現れたのだ。口からは炎のような気配が漏れ、赤い目が私を狙っている。
「なんで⁉」
足がすくみ、恐怖で全身が固まる。私は一瞬、絶望的な未来を感じた。目の前で、あの獣が襲いかかる――そんな未来が一瞬、頭の中に描かれたのだ。次の瞬間、私は無意識に左へと飛び出し、転がり込むように草むらに隠れた。
すると、獣は私を見失ったようだ。
「……未来が、見えた?」
そんなことがあるはずない。でも、確かに次の瞬間を見通していた。そのおかげで、私は生き延びたのだ。
恐怖に震えながら、再び何かが動く音を聞いた。今度は、獣ではなく人間の足音だ。銀色の鎧をまとった男性が、剣を構えて現れた。
「聖女様! こちらへ!」
その言葉に、一瞬耳を疑う。
「聖女……様?」
私のことを呼んでいるのか? 混乱する私に、男性――若く、金色の髪、整った顔立ちの騎士が焦りの表情を浮かべたまま手を差し伸べた。
「貴方が……聖女? その姿、信じられないが……本当に聖女でいいのか……?」
彼の言葉には明らかな疑念と戸惑いが滲んでいた。それもそのはずだ。私の姿は、伝説に語られる聖女とはまるで違っていたのだろう。私自身、突然の転生や「聖女」という言葉に対して戸惑いしか感じていない。そんな不安定な状態の私を目にした彼にとって、まさかこれが聖女だとは信じられないのも無理はない。
何もかもが、予定外だったのだ。
「とにかく、ここから逃げましょう!」
彼の声に、私は必死に彼の手を握り返し、立ち上がった。その手の温かさと強さに、胸が一瞬だけドキリとする。
獣の咆哮が背後で響く中、私たちは全力でその場から逃げ出した。
――――――――――
数日後、私は城の中にいた。
「アイリス・フォン・ルクス――それが貴方の新しい名前です、聖女様」
玉座の前で、厳かにそう告げたのは、召喚儀式を取り仕切っていた高位の神官だった。彼は儀礼的で感情を一切見せずに、私を「アイリス」という新しい存在に仕立て上げようとしていた。
「これより貴方は、アイリス・フォン・ルクスとして、我が王国を救う聖女です。王国の繁栄のため、お力をお貸しください」
聖女としての責務を押し付けられた瞬間だった。彼らは私の過去などどうでもよく、ただ王国を救うための道具として扱おうとしている。私が「佐藤彩花」としての人生を生きてきたことなど、今この場では無意味だと言わんばかりに。
「……わかりました」
私は渋々そう答えた。けれど、心の中で燃えるものがあった。
私はただの道具じゃない。もうあの世界での私のように、誰にも軽んじられたくない。この世界では、自分の力を使って、自分の人生を生きてみせる。
そして、あのとき使った未来視の力――あれを使いこなせば、誰にも負けない存在になれるかもしれない。
「もう負けない……私は、私の人生を取り戻すんだから」
心の中で決意を固めた私は、新たな名「アイリス・フォン・ルクス」として、これからの未来を自分の手で切り開いていくことを誓った。
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