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沙羅の木坂の家  作者: 美祢林太郎
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7 ヤングケアラー

7 ヤングケアラー


 おばあちゃんは認知症になっても足が不自由なので、一人で外に出歩くことがないので、正直ぼくは助かっている。もしおばあちゃんが徘徊するくらい元気だったら、ぼくはおばあちゃんに一日中つきっきりになり、大学に通うことなどできなかっただろうからだ。おばあちゃんが徘徊してどこかに消えてしまうようだったら、ぼくは一日中家にいて、おばあちゃんから目から離すことができなかった。大学どころではなくなっていたのだ。

 バイトに出ることもできないので、食っていく手段がなくなってしまう。そうすると、ぼくたち二人は、餓死するしかなかったのではなかろうか。発見された時には、蠅がたかり蛆が蠢いているだろうか? それともミイラのように骨と皮だけになっているだろうか? 二人が亡くなる時は、傍に並んで死ぬことにしよう。あの世でもおばあちゃんが寂しくないようにだ。こんな二人の死の姿を想像すると、ぼくの顔がにやけてくるのがわかる。ぼくは死が怖くないし、それを妄想することを楽しんいる気味がある。ぼくは相当な変態であり楽天家なのだろうか?

 ぼくたちの汚らしい遺体を最初に見つけてくれるのは美由だろうか? その時の彼女の怯えた表情を頭に浮かべると、彼女が少し哀れになってくる。だけど、彼女は見た目よりもずっと気丈だ。警察に連絡するなど、てきぱきと死後の処理をして、葬式の準備をしてくれることだろう。

 沙羅の木の花が落ちる気配を感じて、ぼくは現実に戻った。

 おばあちゃんの足が不自由なので、ぼくは大学にもバイトにも自由に出かけることができる。ぼくがいない間、おばあちゃんがガスコンロを回して火事になるおそれもないし、水道の蛇口を締め忘れて家中水浸しになることもない。もし、認知症のおばあちゃんの足が徘徊できるほど丈夫だったら、ぼくがこの家でおばあちゃんの面倒を一生みるなんて、ケアマネジャーに大見えを切ることもできなかったかもしれない。そう考えると、ぼくは中途半端な偽善者のようで、少し胸が痛くなった。現実は妄想の世界よりもずっと息苦しい。

 それでも、日曜日にはおばあちゃんに外の空気を吸ってもらうために、車椅子で出かけることにしている。気のよさそうな近所の人がぼくに声をかけ、おばあちゃんのところまで寄って来て、「素敵なお孫さんに面倒をみてもらって幸せですね」と声をかけてくる。そんな時、おばあちゃんは本当に幸せそうににっこりとほほ笑む。もしぼくが持っている車椅子の手をふいに離したら、車椅子はおばあちゃんを乗せたまま、沙羅の木坂を加速度をつけて落ちていくことだろう。この坂の下にはいったい何があったんだっけ。昨夜の雨が止んで、沙羅の花は満開だ。

 ぼくは家のなかの掃除が終わったら、大学に出かける。卒業するのに最低限の授業しか履修していないし、軽音研の先輩から話を聞いて、出席しなくても簡単に単位の取れる授業ばかりを選んでいる。授業の数を絞って、それらの全部で優秀な成績をとれば、授業料免除になることだってできる。

 最近マスコミは、ぼくのような寝たきりの家族の人の介護をする若者を、ヤングケアラーと名付けたらしい。ヤングケアラーと命名されたことで、ぼくは自分の置かれている状況を他人に説明しやすくなったし、他人もその言葉を聞いて、なんとなくほっとしてしまうようだ。言葉の威力は凄まじい。ヤングケアラーという言葉を知らない人に対しては、ぼくの現状を説明するのに相当な時間がかかる。説明したからといって、何の解決にもならないし、相手もぼくの不幸を確認し、同情心を沸き立てるだけだ。

 ヤングケアラーという言葉ができたくらいだから、世の中には寝たきりの親や祖父母、兄弟の面倒をみている若者はたくさんいるのだろう。少子高齢化のひずみなのだろうか? ヤングケアラーという言葉ができたことによって、ぼくのような若者が社会に認知されるようになったが、それでこの問題は少しでも解決されたのだろうか? 何も解決されたわけではないだろう。ただ解決の入口に立っただけだ。ただの同情で終わって欲しくはない。

 ぼく以上に悲惨な若者はたくさんいるはずだ。たとえば、認知症に徘徊が重なった老人の介護をしている若者だ。そうした人たちは、早急に救済されなければならない。

 おばあちゃんが寝た切りで動くことができなかったおかげで、ぼくの日中は普通の大学生とさほど変わったところがない。外で会うほとんどの知り合いは、ぼくがヤングケアラーだということを知らない。ぼくの方としても、このことを自ら積極的に喧伝してはいない。就職の面接でもこのことに触れることはないだろう。仕事の最中に祖母の面倒をみるために仕事を抜け出して家に帰る奴だ、と思われたくないからだ。こんな新入社員はどこの会社もいらないだろう。同情されたとしても、決してかれらの同僚に迎えてくれることはないだろう。

 ぼくがヤングケアラーであることと同じくらい、複雑な事情を抱えている人たちはたくさんいるはずだ。そうした人たちはヤングケアラーのような単語を持たないために、説明に窮していることだってあるだろう。自分の不幸を売り物にできるほど、ぼくは悲惨なわけではないし、ましてや卑屈であったりもしない。

 大変申し訳ないけれど、おばあちゃんには昼ご飯は食べさせずに、我慢してもらっている。ぼくが大学に通うために、おばあちゃんには一日二食にしてもらっている。二食になることをおばあちゃんに説明したのだけれど、それを本人がわかっているかどうか、はなはだ当てにはならない。ぼくはおばあちゃんだけが昼食抜きなのは不公平だと思い、ぼくも昼食を抜いている。高校生までだったら、昼飯抜きだと周りから不憫に思われるかもしれないが、大学生になると昼食を食べなくても、それほど不思議なことではない。ダイエットのためか、主義主張のためか、金欠なのか、そのうちのどれかだと思ってもらえるからだ。金欠は大学生につきものである。

 ぼくは、友だちが昼食を食べている間、談笑しながら野菜ジュースを飲むことくらいはある。野菜ジュースを飲んでいると、友だちはぼくが健康志向の強い若者のように思うだろうが、子供の頃からおばあちゃんにどうせ自動販売機で買ってジュースを飲むなら、栄養のある牛乳かビタミンのある野菜ジュースを飲むように、と言われて育ってきた。甘いジュースは、何の体の足しにもならないし、却って体に悪いと教えられてきた。これは貧乏人の知恵なのだろうか? おばあちゃんも子供の頃貧しく育ったのだろうか? それともただ単にそういう時代だったのだろうか? たとえそういう時代だったとしても、その時代に育った人が、子供や孫にそんなことを言うことはなくなっている。黙っている人たちは、子や孫に嫌われたくないのだ。時代が変わった、という一言で諦めている。おばあちゃんは、子供の頃からずっと時代が変わらずに生きているのだろう。純粋な人なんだ。

 ぼくが昼間家にいないことで一番心配なのは、おばあちゃんの水分補給だ。出かけにたくさんの水分を補給してもらい、家に帰ったらいの一番に水分補給をしている。おばあちゃんはよっぽど喉が渇いているとみえて、結構水を飲む。この時ばかりは、おばあちゃんに申し訳ないと思う。だから、時間が空いたら、昼間にできるだけ家に立ち寄り、おばあちゃんに水分を取ってもらうようにしている。フードデリバリーで空いた時間にも、家に立ち寄っている。

 ぼくは大学のキャンパスにいる時は、普通の大学生のように授業に出て、時間が許す時は部室に行ってサークル仲間と歌を歌い、次回の活動について話をしている。この時期だったら、新歓コンサートについてだ。だけど、これは新2・3年生の役目だ。新4年生はサークルの中ではもはや引退したも同然だ。4年生の二大事業は、就活と卒論である。それにおまけとして卒業コンサートが12月にある。何はともあれ、当面は早く就職を決めることだ。

 バイトは新聞配達の他にファミレスの仕事をし、空いた時間にはフードデリバリーのバイトを入れている。フードデリバリーのバイトを選んだのは、スポットで入れられるからだ。大学の授業とおばあちゃんの介護の空いた時間を有効利用するのに絶好のバイトなのだ。

 バイトを終え、買い物をして夜7時には自宅に戻り、おばあちゃんに水を飲ませ、風呂に入れ、着替えをさせて、それから夕食にする。いくら慣れてきたとはいえ、夕食は8時半になる。ぼくも夕食を食べ終わると、10時頃から洗濯をして、それが終わったらぼくは風呂に入って寝る。朝が早いからだ。

 そろそろ朝の早い新聞配達のバイトを辞めて、賃金の高い深夜のバイトに替えようかと思っているが、それを察知した新聞屋のおばさんがぼくに大学を卒業するまで新聞配達を続けて欲しいと懇願してきた。小学生の頃から続けてきたバイトなので、最近は、大学を卒業するまで続けてみよう、と思い直すようになってきた。小学生の頃から世話になってきたおばさんに面と向かって頼まれると弱い。おばさんはぼくが新聞配達を始めた頃から、野菜や果物やインスタントラーメンを差し入れしてくれた。我家の懐事情がよくわかっていたのだ。まあ、新聞配達する子供に金持ちの子供はいないことは自明のことだろうけれど・・・。

 これから就職活動に本腰を入れるために、日中にスポットで入れているフードデリバリーのバイトは大幅に減らさなければならない。この頃は、バイトをしなくてもしばらく食べていけるくらいの蓄えはできている。おばあちゃんが倒れてから、非常時のお金が必要だということが嫌というほどわかったからだ。病院に行くタクシー代が馬鹿にならない。車椅子に乗せて公共交通機関で通院することなんて、ほとんど不可能なことだ。

 おばあちゃんが認知症になった時には、美由にお金を借りた。ぼくが美由にお金を借りたのはそれが初めてだ。もちろんすぐに働いて返したけれど。

 月曜日は午前に授業があり、午後からはバイトを入れずにフリーにしている唯一の時間帯だ。ぼくはこの日毎週30分だけ駅前で路上ライブをしている。ぼくにとって一番贅沢な時間だ。贅沢なことは歌えることではなく、見も知らない人たちが足を止めてぼくの歌を聴いてくれることにある。歌うだけならカラオケボックスでだってできる。中にはぼくの歌で涙を流してくれる人もいる。そうした人たちに、ぼくは感謝しかない。


    つづく

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