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沙羅の木坂の家  作者: 美祢林太郎
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6 介護

6 介護


 現実の世界に戻ることにしよう。妄想よりも現実の方が辛かったんだ。


 ぼくが大学に入学してほどなくして、おばあちゃんがスーパーマーケットでトイレを清掃中に倒れて、救急車で病院に運ばれた。脳梗塞だということだった。おばあちゃんは2週間病院に入院し、それからリハビリセンターに移って、そこに一ヶ月いた。それから家に戻って来たけど、彼女の右半身と言葉は不自由なままだった。

 それからも週に一回日帰りでリハビリセンターに通ったけど、おばあちゃんの回復はおぼつかなかった。この体では、おばあちゃんはもはや働きに出ることはできなかったし、これまで通りには料理や掃除などの家事を完全にこなすことができなくなっていたので、ぼくが中心になって家事をしなければならなくなった。

 おばあちゃんが働けなくなったので、ぼくは大学をやめて働かなければならないと考えるようになった。今思うと、おばあちゃんに育ててもらった恩返しを今こそ果たさなくてはならないと気負っていたこともあって、この頃の自分は幾分パニックになっていた。

 家にケアマネジャーと名乗る女性が来て、おばあちゃんを受け入れてくれる施設を探してみましょうかと申し出てくれたが、ぼくはその申し出を即座に断った。二人が離れ離れになることなんて考えられなかったし、おばあちゃんがこの家で死ぬまで暮らしたい、と涙ながらにぼくに頼んできたからだ。ぼくがおばあちゃんの悲しみの涙を見たのは、記憶にある限り、この時が初めてだったかもしれない。気丈なおばあちゃんは病気になって弱気になってしまったのだろう。涙を見て、どんなことがあってもぼくがおばあちゃんを支えて行こうと決心した。

 高校の担任だった先生に就職口を相談しに行くと、奨学金を上限額いっぱいまで借りれば今まで通り生活できるだろうし、授業料は免除してもらうことも可能だろうから、大学に相談してみるといい、と教えてくれた。最後に、「大変だろうけど、なんとか頑張って卒業しろよ」と励まされた。

 おばあちゃんは半身不随になったけれど、頭はしっかりしていた。彼女は右脚を引きずりながらも一人でトイレに行き、利き手でない左手で包丁を持って豆腐を切って味噌汁を作ってくれた。不自由しながら風呂から洗濯機に水を入れ、時間がかかりながらも、左手一本で洗濯物を干した。ぼくに負担をかけまいとして、涙ぐましい努力をしていた。

 買い物は、それまでの十倍の時間をかけて、近くのスーパーマーケットまで右脚を引きずって行った。歩いて買い物に行くことは、おばあちゃんのリハビリだと思って、あえてぼくはおばあちゃんのすることに異を唱えなかった。だけど、重いものは持てないので、2個入りの卵パックを買って帰るのが日課になっていた。それは雨の日も続いた。左手で傘を持ち、左の肘に卵入りの買い物袋を通して歩いた。卵以外の買い物はぼくがした。

 奨学金のおかげで食べるものに困ることはなかったけれど、それでもぼくはバイトを増やすことにした。ぼくくらいのバイトの量は、多くの大学生がやっていることだ。ぼく一人がとりわけ不幸なわけではないし、貧乏なわけでもない。バイトを増やして、却って大学の成績も上がったほどだ。

 ぼくが授業料免除の相談にいったら、対応してくれた大学の職員の人が、成績が良くないと授業料は免除されないし、奨学金の貸与も止められるかもしれないから、勉強に頑張るようにと教えてくれた。ぼくはおばあちゃんが病気になって、留年してはいけないと強く思うようになった。

 リハビリのために鬼気迫るほど毎日必死に家事をこなして、買い物にも行っていたのに、徐々に体が弱っていき、一年も経って、気づいた時には寝たきりになっていた。それで、ぼくがおばあちゃんの食事を作って、口まで運んで食べさせてあげなければならなくなった。

 おばあちゃんは口数が少なくなっていたので、しばらくの間わからなかったのだが、おばあちゃんは認知症になっていた。物忘れが激しくなり、食事をしたばかりなのに、また食べたがった。動けないのに、スーパーに卵を買いに行こうとすることもあった。夕方になって、道路の沙羅の木の落葉を掃こうとしたこともあった。でも、身体が動かないんだ。

 ぼくはおばあちゃんに食事を食べさせ、風呂に入れ、おむつを取り替えた。おばあちゃんは認知症が進んでも、我慢のできる人で、我儘なことは何一つ言わなかった。

 一年前に我が家に来たケアマネジャーが、認知症になって世話することも大変だろうから、おばあちゃんを施設に入れた方が良いと強く勧めてくれたが、ぼくは自分で面倒をみたいから、と丁重に申し出を断った。それでも、ケアマネジャーに学業に差し障りが出るだろうからと食い下がられたが、ぼくはきっぱりと断った。ケアマネジャーはぼくの厳しい顔と口調に驚いたようだった。

 おばあちゃんがどういう状況になろうが、ぼくがおばあちゃんの面倒を最後までみるという覚悟に変わりはない。たとえそれでぼくの人生がうまく行かなくなったとしても、それはそれでぼくに悔いはない。他人にはぼくがおばあちゃんから受けた恩はわからないだろうし、祖母なんだから当然だと言う人もいるかもしれないが、女が一人で20年も子供の世話をするなんて、そんな生易しいものではないことをぼくはわかっている。ぼくはおばあちゃんの人生の犠牲の上に成長することができた。もし、おばあちゃんがいなかったら、おばあちゃんがぼくから逃げ出していたら、ぼくは養護施設で孤独に育ったんだ。

 朝、ぼくは新聞を配達し終わってから帰宅すると、毎日かかさず我が家の前の道路の掃き掃除をする。これは、おばあちゃんが元気だった頃はおばあちゃんの日課だった。庭の沙羅の木が大きくなって、塀越しに枝が道路に伸びている。ぼくは気が付いた時には、その都度道路にはみ出た枝を切るようにしているのだが、それでも風が吹いて道路に沙羅の木の葉っぱや花が落ちる。そもそも沙羅の木の花は一日で落ちる運命にある。ぼくはおばあちゃんが毎朝そうしていたように、葉や花を箒で集めている。この作業は雨が降っても欠かしたことがない。

 庭には沙羅の木以外、他の園芸植物はひとつもなく、雑草が生えているだけだ。だから、たまに草むしりをしなければならないが、水やりをする必要はない。まあ、猫の額ほどの小さな庭なので、園芸や野菜作りを楽しんだりはできない。それに我家にそんな優雅な時間的かつ心の余裕があったことはない。小さな庭に大きな沙羅の木があるのが、不釣り合いなくらいだ。でも、初夏にはたくさんの白い花をつけてくれて、朽ち果てた家の心の安らぎになってくれている。

 子供の頃から、おばあちゃんが決して沙羅の木を切り倒したり、枯れさせてはいけないと、くどいくらい繰り返してきた。まるで沙羅の木が、我が家の守り神のようだ。

 道路の掃除が終わったら、おばあちゃんのパジャマとおむつと下着を取り替えて、丁寧に体を拭く。床ずれしないように、定期的に体の向きを変えて上げなければならない。

おばあちゃんをベッドから起こして、開けたガラス窓の方を指さして「今年も沙羅の木の花が満開だよ」と教えると、おばあちゃんは嬉しそうな顔をした。ぼくはおばあちゃんの髪を櫛で梳かす。ぼくはこの時間が一番好きだ。

 朝食の準備だ。味噌汁に細かく切った野菜やミンチの肉やご飯を混ぜて、誤嚥しないようにスプーンでゆっくりとおばあちゃんの口に運ぶ。


    つづく

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