15 祖母の告白-6
15 祖母の告白-6
慎吾は高校生の頃、歌い始めました。ギターを弾きながら作詞作曲をしています。出来た曲を私に歌って聴かせてくれます。演歌しか知らない私の言うことなので、身びいきだと笑われるかもしれませんが、彼の歌は本当に素晴らしく、心に沁みてきます。
慎吾に父親の話をすることはほとんどありませんでしたが、ミュージシャンだったことはちらっと話したことがあります。あたかも父親に会ったことがあり、父親の演奏を間近で聴いたかのように話したのです。すべて千恵さんから聞いた話の受け売りだったのですが・・・。推測するに、彼の音楽の才能は父親譲りなのでしょう。
彼に将来ミュージシャンになるのかと訊いたことがありますが、歌は趣味にして、将来はサラリーマンになるときっぱりと言いました。私は父親のような遊び人にならないことに安心しました。慎吾が歌手になったり、派手な芸能界に入ったりすると、二人で築いてきたこの平凡な生活が壊れてしまうようで怖かったのです。ミュージシャンのようなやくざな仕事は素人さんがやるものではなく、素人さんはテレビを観て楽しんでいればいいのです。いくら才能があるからと言って、やくざな道に入っては取り返しのつかないことになってしまいます。
寝ていると、私自身のことではなく、もっぱら孫の慎吾のことばかりが頭に浮かんできます。ニセの祖母とはいえ、祖母というよりも母親役と何にもかわらなく振る舞ってきたのですから、子供のことばかり考えるのは当然の事なのかもしれません。
この二十年、私がどんな仕事をしていたか、職場にどんな人間がいたか、かれらとどんな会話をしたのか、具体的なことは何一つ思い出すことができません。しかし、慎吾のことは、他人に訊かれれば、どんな些細なことでも思い出せる自信があります。小学2年生の時、新聞社主催の絵日記コンクールで最優秀賞をとり、副賞に書道セットをいただいたこと。水泳大会で25メートル背泳ぎの部で一番になったこと。合唱大会に出て、前から二列目、左から三番目に立って『旅人よ』を歌ったこと。中学生の時、自転車で転んで足を擦りむいたこと。学校で一番の成績になったこと。高校生の時、サッカー部に入って、たくさんの女の子が声援を送っていたこと。
慎吾が大学に入学しました。今思えば、私の最高の日だったのかもしれません。もちろん私は入学式に出席しました。慎吾の買ってくれた口紅を差して。
それからです。私の幸せが突然崩れてしまったのは。私は脳梗塞で倒れてしまい、半身不随になってしまったのです。歩くのも話すのも不自由になりました。私は働くことができなくなったのです。奈落の底に突き落とされたとはこのことです。不幸は予期しない形で現れるのですね。きっと神様が私の幸せを妬んだのでしょう。それか、私の人生は幸せの方が多くなって、不幸と幸福のバランスが合わなくなってきたのかもしれません。
優しい慎吾は私のために大学をやめるのではなかろうかと心配になりました。私は慎吾に負担をかけるくらいなら、いっそ首をくくって死にたいと思いました。沙羅の木に手頃な枝があったのです。あの枝だったら、私の体重を支えてくれるはずです。私は毎日沙羅の木を見上げてそんなことを考えるようになっていました。
ある日、私は意を決して枝に縄をかけて、首を吊りました。ですが、なんて無様なことでしょう。縄が切れてしまったのです。私は死ねませんでした。この日は、腰をしこたま打って痛かったので、再度首吊りを試みることはできませんでした。次回は、もっと丈夫な縄を使おうと思いましたが、幸か不幸か、チャンスは巡ってきませんでした。
慎吾は私の面倒を甲斐甲斐しく看てくれていました。色々な人に相談して、奨学金をたくさん借りて、これまで通り大学に行けるようになりました。自殺をすることができなかった私はそれを聞いた時、涙が溢れてきました。生きててよかったと思いました。
バイトもかなり増やしているのではないでしょうか。学業とバイトの両立はきっと大変なはずです。それでもかれは辛そうな表情を浮かべることはありません。慎吾は私に「何も心配いらないから。これまで通り二人でやっていけるから」とほほ笑んでくれました。私はかれの青春を奪っているのかもしれない、と心配はしています。縄が切れて死ねなかった私は、太くて丈夫な縄を探したのですが、家の中には手頃な縄はありませんでした。私は死ねないでいました。
慎吾に負担をかけないために私が施設に入ることが考えられますが、私の方から施設に行くことを切り出せないでいました。それは施設の入所手続きで、私が慎吾の本当の祖母でないことがばれることを恐れたからです。私は少なくとも生きている間は、慎吾とは祖母と孫の関係でいたかったのです。この秘密だけはどんなことがあろうと死守するつもりです。
悪いことは重なるものです。私は認知症になってしまいました。今はまだらボケの状態です。正常な時間に慎吾のことを考えています。かれは毎日私の面倒をみてくれています。私を施設に入れた方が彼の負担が少なくていいと思うのですが、そうしたことをせずに自宅で一人で面倒をみてくれています。ですが、下の世話までしてもらうのは、こんな私でもとても辛いのです。彼は私に優しく「おばあちゃんの世話はぼくがずっとするから、心配いらないよ」と毎日言ってくれています。多分かれは自分に言い聞かせてもいるのでしょう。気力が萎えそうな自分を鼓舞しているのです。切ないです。もう私は自分で死ぬこともできない身体になってしまいました。
慎吾は大学を卒業して、きちんとした会社に勤め、素敵なお嬢さんと結婚することでしょう。あの美人の白石美由さんとです。私がもう少し生きていたら、美由さんはきっと3人で住もうと言ってくれるはずです。そんな気立ての良いお嬢さんです。でも、二人が結婚するまで私が生きていたら、私はすべての事をあきらめて、施設に入らなければなりません。三人で暮らせる幸せを願ってはいけないのです。このことを私はどのようにして慎吾に伝えたらいいのでしょう? 残念なことに、私にはその術を知りません。
それにしても、二人は新婚生活をこんなボロ家で過ごすのでしょうか? それも可哀想な気がします。その時は、この家を壊して、新しい家を建てた方が良いのではないでしょうか。でも、実際、沙羅の木を倒していいのでしょうか? 千恵さんの最後の願いは、この家と沙羅の木を守ってくれというものでした。あの遺言は慎吾が自立するまでのことだったのでしょうか? それとも未来永劫のものだったのでしょうか? 今にしてはわかりません。私は何と慎吾に伝えたらいいのでしょう? この身体だと伝えることはできないのですが。
千恵さんの火葬場でしっかりと焼けた後の遺灰は土地に吸収されて残っていないとしても、家の建て替えで、父親の全身骨格が出てきたらどうするのでしょう。私が生きている間は、なんとしても沙羅の木を守らないとなりません。
最近、慎吾が交通事故に遭って入院しました。左足を折ってしまったようです。それで私の世話をするようになったのが三枝未華子という女性です。どういういきさつがあったのかわかりませんが、慎吾が交通事故に遭った日に慎吾と美由さんに連れられて我が家にやって来て、3人で食事をしていました。音楽の話で盛り上がっていたようです。音楽関係の仕事をしている人でしょうか? もしかして、慎吾は気持ちが変わって音楽関係の仕事に就こうとしているのでしょうか? 彼女が悪い人には見えません。私の世話もきちんとしてくれています。しかも、泊りがけでです。彼女はこのまま我家に居つくのでしょうか?
つづく