13 祖母の告白-4
13 祖母の告白-4
千恵さんの話では、慎吾の父親はしがないミュージシャンで、キャバレーのバンドマンとしてギターを弾いていたらしいのです。仕事はたまにしかなく、付き合っていた当初から金もないのに派手に遊び回っていたらしいのです。結婚したら真面目になるかと思っていたら、以前と変わらず、慎吾が生まれてからも家に居つかず、遊び回って、たまに思い出したようにふらっと家に帰ってくるような生活をしていたらしいのです。
千恵さんは暴力も振るわれたそうです。殺してやりたいと思ったこともあるそうです。千恵さんは、どうしてそんな男と結婚したのでしょうね。まあ、若いうちは好いた惚れただけで付き合いますからね。私と同じで男運がなかったのかもしれません。でも、彼女は私と違って美人なのにどうして男運がなかったのでしょう。まあ、水商売仲間でも、美人なのに男運がない女はたくさんいましたから、運は容姿とは関係ないようです。でも、千恵さんは私と違って亭主を刃物で刺したりしませんでした。ろくでもない男だって、普通刺したりしませんよね。
そのうち千恵さんの夫は、全然家に帰ってこなくなり、ぷっつりと音沙汰がなくなったそうです。しばらくして千恵さんは警察に捜索願を出したそうですが、3年経っても消息がわからなかったので、離婚届を提出して受理されたそうです。その後も夫の消息は不明だそうです。旦那さんはどこかで生きているのでしょうか、と訊くと、寝たままの千恵さんは窓の方に頭を回し、ボーっと沙羅の木を見て返事をしませんでした。その顔を見ていると、ふと私の頭の中に、沙羅の木の下に旦那さんが眠っているような、そんな妄想が浮かんできました。珍しいことに、沙羅の木に一匹の蛍が飛んでいました。私はそれを見て、ぞくっとしたのを覚えています。
癌で弱り切って仏様のように穏やかな千恵さんを見ていると、いくら元気のある若かった頃とはいえ、亭主を殺すような凶暴さがあったようには思えません。これは私の心の中に眠る邪悪な心が生み出した妄想に過ぎないのです。
千恵さんはこの家で死にたいので、どんなに病気が悪くなっても二度と病院には入院させないでください、と私に泣いてすがってきました。私は約束を守ることにしました。
千恵さんが、定期的に医者に診てもらっていないと、自分が死んだ時に不審死扱いになって、家に警察が来て煩わしいことになるだろうから、自然死になるように近所の医者に定期的に家に来てもらうことにしようと提案してきました。私も警察には会いたくありませんでしたので、すぐに医者を手配することにしました。
千恵さんにとって、警察が家に来て困ることとは、いったい何だったのでしょう。私が千恵さんの母ではないことがバレることでしょうか? バレたらこれまでの生活保護費を返却しなければならないでしょうか? それとも夫を殺して沙羅の木の下に埋めたことでしょうか?
千恵さんから、私が死んでも、この家を売らないでくれ、と頼まれました。庭の沙羅の木を決して切らないでくれとも頼まれました。千恵さんは沙羅の木に深い思い入れがあるようです。それは夫との思い出でしょうか? それとも慎吾との思い出でしょうか? はたまた私の妄想のように、沙羅の木の下にご主人が埋められているのでしょうか?
千恵さんがある時聞き取れないくらい弱々しく「あの沙羅の木に私の夫が埋まっているのです」と言いました。私はその言葉を聞いた時、背筋がぞくっとしました。私はこの時、沙羅の木の下に慎吾の父親が埋められているのではないかという妄想が現実のものとなったのです。父親は千恵さんの手にかかって殺されたのかもしれません。
邪悪な私ではないのですから、この観音様のような慈愛に満ちた千恵さんが、ご亭主を殺したなんて考えられません。後から冷静に考えると、「沙羅の木に私の思い出が詰まっている」と言ったのではないでしょうか。私が勝手に曲解してしまったのかも知れないと思うのです。
もしかすると、この時、千恵さんはご亭主との束の間の楽しいひと時を、思い出していたのかもしれません。それとも、慎吾が生まれた時にご主人と一緒に記念樹としてこの庭に沙羅の木を植えたのかもしれません。その時が千恵さんの人生のもっとも幸せな時間だったのかもしれません。いずれにしても、この樹は彼女の遺言通り大事に守って行こうと思いました。
千恵さんは亡くなる前になると、しきりと「慎吾の事、よろしくお願いします」と私に繰り返し頼んで来るようになりました。死が近づいたのを悟ったのでしょう。一介の家政婦である私は何と応えたらいいのかわからずにとまどっていましたが、それでも最後の頃には千恵さんを安心させるために「わかりました。心配しないでください」とはっきりと応えていました。この言葉を聞いて安心したのか、千恵さんは眠りました。千恵さんは目が覚めたら再び同じことを言い、私も同じように応えました。こうしたやり取りが一週間続きました。
亡くなる前日に、突然千恵さんが3人で写真を撮ろうと言いだしたので、明日買い物に行くので、その時インスタントカメラを買ってくる、と私が言うと、千恵さんは今日でなければ駄目だと言いました。珍しく強く言うので、私はすぐにスーパーマーケットに走り、インスタントカメラを買って来ました。そして沙羅の木をバックにして3人で写真を撮ったのです。写真を数枚撮った後に、千恵さんの少ない髪が乱れていることに気づいて、ブラシで梳いてあげました。あの時、シャッターを押してくれたのは誰だったんでしょうか? 多分、私が手を伸ばして自撮りをしたのでしょう。そう言えば、私が「チーズ」と言って、シャッターを押したことを思い出しました。みんな良い笑顔で写っています。
私が写った写真は、いつ以来だったでしょう。私の写真を撮ろうなんて言ってくれた男は誰もいなかったように思います。一度はプリクラというもので撮ってみたかったのですが、誰も誘ってくれませんでした。私が慎吾を誘えばよかったのですね。慎吾とのプリクラがないのが残念に思えてきました。今さら、プリクラを撮ることはできません。
あの時、24枚撮りのフィルムはまだたくさん残っていましたが、また後日撮ろうということになりました。ですが、それが最後になりました。千恵さんが亡くなって一ヶ月経って、残りのフィルムで慎吾と私の二人で写真を撮って現像に出しました。二人の写真の一枚は私の箪笥の中に大事にしまってあり、残りはアルバムの中に貼ってあります。
千恵さんは私がこの家に来て一年後、沙羅の木が満開な季節に亡くなりました。末期癌だった千恵さんは、最後までよく頑張ったと思います。
千恵さんが亡くなった日から、私は成り行きで慎吾の祖母になりました。私は沙羅の木の下をスコップで掘って、千恵さんの遺骨と遺灰を骨壺から出して埋めました。心のどこかで期待していた彼女のご亭主の骨は出てきませんでした。埋められているとしたら、もっと地中深くに埋められているのだろうと思いました。そんなことが頭をよぎったのです。千恵さんの遺灰が栄養になったようで、その日から沙羅の木はドンドンと生長していきました。それから沙羅の木は慎吾と私を見守ってくれているのです。
慎吾は私を本当の祖母だと信じています。そこに何の違和感もありません。千恵さんからは自分に身内はいないし、亭主にも身内はいない、と教えられてきました。だから、火葬場へは慎吾と私の二人で行きました。
つづく