11 祖母の告白-2
11 祖母の告白-2
私が他人に料理を作ったのは、二十歳の時に同棲した男が最初でした。男の名前は忘れてしまいました。忘れたふりをしているわけではありません。その男は私の料理をいつも不味そうに口をクチャクチャしながら食べ、たまに何か気に入らないことがあると、食べている最中に、こともあろうに私の顔に味噌汁をぶっかけるのです。私の髪から顔にかけて味噌汁がワカメや豆腐などの具材ごと滴り落ちるのです。これほど惨めなことがありますか? それから男は大声を上げて、料理のまずさと私の育ちと不細工な顔と卑屈な性格を数少ないボキャボラリでなじってきました。そりゃあ、私の育ちは人様に自慢できるものではありませんし、ブスなのは自分でもよくわかっています。卑屈だと言われても、何一つ自信を持てるものがないのですから、仕方がないのではないでしょうか。きちんと親に躾けをされた経験がないので、どう振る舞い、どんな言葉遣いをしたらいいかわからないのです。
それかと言って、私は怒りの矛先を誰に向けたらいいのかがわかりません。私を捨てた両親の顔さえわからないのですから。養護施設の人たちはみんな親切でしたが、私はずっと反抗的な態度をとっていました。施設の方々に何の恨みもありません。何かがしっくりこなかったのです。やっぱり私は生まれながらにして性格が捻くれているのでしょうか。容姿と同じように性格も親譲りなのだと思います。こうして見えない親のせいにすれば、ほとんどのことが簡単に片付きます。私はいつも親の影に隠れることによって、自分を守ってきました。
だけど、あいつだって私に負けず劣らず、育ちは悪く、容姿は醜く、性格も悪かったのです。そもそも食べてる最中に女に向かって味噌汁を投げつける男なんて、世の中にそうはいないでしょう。卑屈な人間は、更に卑屈な人間を探して、マウントを取りたがるものです。
うぶだった私は頭から味噌汁を流しながらも「今度は上手に作るからさ」と泣いて男にすがりました。味噌汁を被った私の顔に、男がドン引きしているのがわかったので、それが面白くって、私はワカメを目の上に乗せたままで、男の顔に迫って詫びてやりました。四谷怪談のお岩さんになった気分です。「うらめしや」という言葉の方が似合っていたのかもしれません。
味噌汁を被った私が男の唇を求めると、男は両手で私の肩を強く押して私を引き剥がし、「どこかで飯を食ってくる」と言って、私の財布から金を抜き取って、おんぼろアパートを飛び出して行きました。どうせパチンコに行ったのでしょう。勝ったか負けたか知らないけれど、暗くなって男は戻ってきました。あいつも私と同じように他に行くところがありませんでしたからね。我々二人は破れ鍋に綴じ蓋だったのです。
不細工な男でした。小太りのチビでして。若いくせに虫歯だらけで、前歯が何本もなかったんです。あいつが歯を磨くのをみたことがありませんでしたからね。うだつの上がらない男でしたよ。ぱっと見は四十過ぎに見えましたが、実際は30歳だったのです。
どう見ても私以外の女と付き合えるような男ではなくて、私はあいつの浮気を心配しなくていいのが最大の利点だと思っていたくらいなんです。それがあいつのただ一つの取柄でしたね。
そんなあいつが、ある日、私が場末のキャバレーで働いている間に、私たちのアパートに女を連れ込んでいたんです。たまたま仕事を早や上がりした私は、その場を目撃し、それで私はあいつと女を果物ナイフで刺したんです。かすり傷程度だったのに、あいつが大げさに騒いで、何台ものパトカーと救急車がアパートに来て、私は逮捕され、5年刑務所に入りました。犯行を犯すのがあと一週間早ければ、私は未成年者として罪が軽かったはずです。ついていませんでした。
男と寝た女ですか? 名前も顔も覚えちゃいませんが、裁判の時に、15の家出少女だということがわかりました。あの日、男は少女を暴行しようとしていたのです。それなら私は少女を助けてやったことになるはずですが、少女の太ももを少し刺したせいで、情状酌量はありませんでした。
男はきっと、路上で震えていた少女に声をかけて、アパートに連れ込んだんでしょう。あんな不細工な男に騙されるくらいですから、よっぽど一人で寂しかったのでしょう。あの後、少女は実家に連れ戻されたそうですが、またふらっと家を出て行ったそうです。風邪の噂ですけどね。
愛人との刃傷沙汰は、私みたいな女にはありがちな話だということが、刑務所の中でわかりました。刑務所にはそんな女で一杯だったんです。誰も同情なんかしてくれません。鼻で笑われるほどの、取るに足らない事件だったのです。
今思えば、刑務所の中で理容師や美容師の資格を取っていれば、その後の人生も大きく変わっていたと思います。刑務所にいた時は、何も考えずに漫然と日々を過ごしていました。
出所してからは、保護司に紹介された小さな町工場で働き、すぐにそこの社長とできてしまって、それが奥さんにばれて、すったもんだのあげく、髪の毛を掴んで追い出されてしまいました。社長はひ弱い小男でしたが、奥さんは立派な体格の、それこそ女子プロレスラーのような女でしたから、つかみ合ったらすぐに投げ飛ばされて負けました。負け惜しみではありませんが、争ってまで奪いたいような男ではありませんでしたけどね。
それからは水商売を転々としました。どこも遅刻や喧嘩ですぐにくびになりました。こうしてお決まりのコースに転落して行きました。体を売るようになったのです。まあ、それまでも商売上のお客さんとはちょいちょい寝ていましたけどね。
そのうち私も年をとってどんなに派手な服を着ても、男が相手にしてくれなくなりました。気が付いたら、アパートを追い出され、私は路上生活者になっていたんです。まだそれほど老け込む年じゃありませんでしたが、化粧もせず、風呂も入らず、体からくさい臭いが立ち込めるようになったら、女の体を売る商売はできなくなります。誰がくさい女を抱く気になるでしょう。笑っちゃいますけど、当時は、蠅さえ私を避けるようになったと思ったものです。
そんな時だったのです。私は浮浪者を保護する施設に拾われ、風呂に入って、何週間かして今の仕事を世話されたのです。
正気に戻った時に、どうしてこんなつまらないことを思い出すのでしょう。懐かしいなんて思ったりしないのに、つい頭の中に浮かんできてしまうのです。もっと楽しいことが浮かべばいいんだろうと思うのですけど、そんなことは浮かばないのです。男と酒を飲んだり、ドライブをしたり、海に行ったり、映画を観たり、覚せい剤をやったり、そこそこ楽しいことはあったはずなのですが、そうしたことは頭に浮かんでこないのです。
子供の頃のことですか。そうですね、それなりに楽しいこともありましたね。私は捨て子で児童養護施設で育ちましたから、両親のことは何も知らないのです。生まれてすぐ、養護施設の前に捨てられていたのだそうです。名前は施設の人がつけてくれました。宮田花子だなんて、いかにもありふれていると思いませんか。いや、花子はありふれていませんよね。それでも、もう少し気の利いた名前をつけて欲しかったですね。名字は宮田でいいですよ。贅沢はいいません。施設の職員さんの名字からいただいのだそうです。でも、下の名前がもう少し洒落ていたら、少しはましな性格になっていたかもしれないと思うことだってあるのです。でも、捨て子なのですから、名前があるだけで良しとしなくっちゃあいけないですね。
アリスなんて名前だったら、もう少し美人になっていたかも知れません。でも、この歳で、この容姿だったら、アリスと言う名前はこっぱずかしくて名乗れないかもしれません。少なくとも今の私にアリスは似合いません。花子という名前の方が相応しいです。
今思い出したんですけど、私は若い頃、アリスという源氏名でソープランドに出ていました。店の者から似合わないからやめろと何度も言われたんですけど、私は気に入って使っていました。「アリスちゃん」、懐かしい響きです。客には名前負けしてるってよく言われましたけど。そう言われても私は愛想よくニコニコしていました。
話があっちにいったりこっちにいったりしてすみません。私は中学を卒業したら、施設を飛び出して、九州の大分から一人で電車に乗って東京に出て来ました。大分ですか? あれから一度も帰ったことがありませんが、いいところですよ。懐かしいな・・・。
つづく