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沙羅の木坂の家  作者: 美祢林太郎
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10 祖母の告白―1

10 祖母の告白―1


 私、宮田花子と申します。慎吾の祖母です。


 私は認知症ですが、まだいわゆるまだらボケの状態でして、たまに正常に戻った頭でこれまでの自分のことを思い出しています。口が不自由なので、話をすることはできません。

 ベッドで寝返りも打てずに、着実に死が迫ってきているのを感じる私ができることと言ったら、未来を夢見たり心配することではなく、過去を振り返ることだけです。いえ、振り返りたいわけではありません。正直申しますと、過去が勝手に頭の中に浮かんできて、消えて行くだけなのです。

 どんな悲惨な過去だって、振り返ることができるものがあるだけで幸せなんだと思えてくるようになりました。以前は思い出したくもなかった凄惨な過去さえもが、今では私の愛おしい過去になっています。そう思えるのも間違いなく今が幸せだからなのでしょう。今が惨めだったら、悲惨な過去は思い出したくもなかったはずです。今が幸せだと、心に余裕ができるのですね。

 身体のいうことがきかず、一日中ベッドに横たわっていても、慎吾が面倒をみてくれていることが分かるだけで幸せなのです。私がこんな幸せな死を迎えられるなんて、少し前までは思ってもみなかったことでした。

 慎吾には私の世話で不自由をかけています。私が幸せを独占することで、彼を拘束してはいけないことはよくわかっています。もう少しで私は亡くなりますので、申し訳ありませんが、もうしばらくだけ我慢してください。もうしばらくですから・・・。

 私の体がこんなになってしまったのが、慎吾が大学生になってからで本当によかったと思います。もし慎吾が小学生の頃になっていたら、私はどこかの介護施設にやられ、慎吾は養護施設に入れられて、二人は二度と会うことはできなかったでしょうから。

 慎吾と充実した日々を過ごせるのも、神様のおかげかも知れません。私は信じている神様はいません、これまで神様に頼らずに一人で頑張ってきましたが、最近では、神様と名の付くすべての者たちに感謝しなくてはならないと思う毎日を過ごしています。随分安らかな気持ちになったものです。


 誰にも聞こえないから言うのですが、実は、慎吾は私の孫ではありません。まったくの赤の他人です。このことを慎吾は知らないし、私もこのことを今更彼に告げようとは思っていませんし、何かに書き残しておこうとも思っていません。

 このことを知っているのは、慎吾の亡き母くらいでしょう。もし慎吾の父が生きていたら、慎吾との関係がばれるかもしれませんが、父親と会うこともないでしょう。私は慎吾との本当の関係は、あの世に持って行く所存です。

 今さらこの真実を彼に告げて、いったい何になるのでしょう。もし真実を知ったら、おばあちゃん思いの慎吾は混乱して取り乱すはずです。たとえ、私がかれにこのことを問い詰められても、口も手も動かない状況では、彼が納得するような説明をすることはできません。

 これは私の都合の良い解釈で、本当は、慎吾に赤の他人だということが知れたら、私はこの家から放り出されるのが怖いのかもしれません。ですが、優しい彼のことですから、たとえ真実を知ったとしても、私を追い出したりすることはしないでしょう。ただ間違いなく彼は混乱するはずです。慎吾がこれまで生きてきた根底が揺らぐことになるのですから。未来のある彼の生い立ちをあやふやにさせたくないのです。

 私は、二人の関係がこれまで通りの祖母と孫の関係で、一生を完結したいと切に願っています。私の口がきけないので、寝言か何かで無意識のうちにこのことを彼に告げたりする恐れがないので、私は安心して寝ていられるのです。

 私はこの家に家政婦として入ってきました。それは慎吾の母親の千恵さんが末期癌におかされて、寝たきりになった頃でした。たしか肺癌だったと思います。

 私はその頃入っていた浮浪者支援施設でこの家を紹介されました。病院から退院して自宅療養するようになった女性の世話と家事、それに小学校に上がる前の子供の世話をするために、住み込みで入るのが条件でした。

 そう言えば、私にこの仕事を紹介してくれた施設の男性は、私が慎吾の祖母ではないことはわかっています。でも、その男性は私よりも年上だったので、すでに亡くなっているかもしれませんし、生きてても私と同じように認知症になっているかもしれません。まあ、元気だったとしても、私のことをおぼえているかどうかわかりませんが・・・。施設は毎日人の出入りが多かったものですから、影の薄かった私のことを覚えていることはないでしょう。

 日当は千円とほとんどただ同然でしたが、いつまでも施設に留まるわけにもいかなかった私は、この住み込みの仕事に躊躇することなく飛びつきました。三食家付きです。千恵さんの家では、私にも小さな部屋があてがわれました。私が布団の中で、同室の人の話声も気にせずに、ゆっくり寝られるのは久しぶりのことでした。私は久々に人並みな生活ができることを喜びました。

 私は表向きには、家政婦ではなく、千恵さんの母親という設定で、千恵さんの看病のためにこの家に入って来たのです。誰かが訪ねて来て、千恵さんとの関係を訊かれたら、私はそう言わなければなりません。こうして私は建前として慎吾のおばあちゃんになったのです。顔を合わせる近所の人たちにも、私は自分のことを千恵さんの母だと紹介しましたし、千恵さんも訪問診療に来る医者や看護師にそのように私を紹介しました。

 この仕事を世話してくれた人によると、千恵さんは病気のせいかとても気難しくて、今まで何人もの人が喧嘩して首になったそうです。私はくれぐれも短気を出して喧嘩しないようにと言い含められて、この家に送り込まれました。私は構えてこの家に入ってきたのですが、千恵さんにそんな気難しさは微塵も感じられませんでした。もしかすると、彼女は自分が亡くなった後に慎吾の面倒をみてくれる人を物色していたのかもしれません。私は彼女のお眼鏡に適ったのかもしれない、と後で振り返って思うのでした。

 住み込んだ最初の頃は、私はご飯もまともに炊けずに、おかゆのように柔らかくなったり、生炊きの硬いご飯になったりすることがしょっちゅうでした。自分で食べてもまずかったのに、信じられないことに、千恵さんと慎吾は美味しそうに食べてくれました。あの事件以来久々に作った、あのワカメと豆腐の味噌汁を慎吾はお代わりをしてくれたのです。二人が神様のように思えました。

 この家に来た最初の週は、おかずはスーパーマーケットで惣菜を買って済ませておりましたが、これでは一ヶ月もお金が持たないことが、すぐにわかりました。この家は生活保護のお金で家計を賄っていたのですから、まともに家政婦を雇うことができません。家政婦なんか雇ったらすぐに生活保護は打ち切られてしまいます。ですから、私のような身元も定かでない蓮っ葉な女が雇われることになったのです。

 私は自分で言うのもなんですが、下手くそな料理を作るようになりました。よっぽど私がいた浮浪者支援施設の料理の方が美味しかったはずです。私が一人暮らしの頃は、外食するかスーパーマーケットの惣菜で済ませるのがほとんどでした。この家に来て、育った養護施設の食事を思い出して、卵焼きや野菜炒めを作るようになりました。豚のバラ肉を炒めたり、サバを煮たりもしました。それを千恵さんや慎吾が美味しいと言って食べてくれました。慎吾は私が取り残した鱗や骨を自分で上手に取り除いて食べました。

 慎吾が残さずきれいに食べてくれるので、私はこの家にあった小さなテレビで料理番組を観て、ノートにメモまでして料理の勉強をするようになりました。それに近所の本屋に行って、料理雑誌を立ち読みし、調味料の分量を手のひらにボールペンで書いて、家でノートに書き写しました。これは自分でも信じられないくらいの変わりようです。よほど私の料理を褒めてくれ、残さず食べてくれるのが嬉しかったのでしょう。私が食べても美味しいのがわかるほど、料理の腕を上げていきました。


       つづく

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