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沙羅の木坂の家  作者: 美祢林太郎
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9 三枝未華子の事情

9 三枝未華子の事情


 あの子の歌、素晴らしいわね。プロでもあんなに凄い歌を歌う人はちょっといないわよ。


 もうわかっていると思うけど、私が投げ銭箱に一万円札を入れたのは千円札と間違えてしまったからよ。すぐに気が付いたんだけど、指で摘まんだお札を財布に入れ直すなんてかっこ悪くてできないじゃない。多分誰も見ていなかったと思うけどさ、私としてはみんなが私を見てたように思ったのよね。自意識過剰なんだろうけどさ。

 決して目立ちたかったわけじゃないのよ。ギターを弾いて歌ってた男の子だけじゃなく、きっとあの場にいた観客のみんなに誤解を与えたかもしれないわね。恥ずかしいったらありゃあしないわ。女子高生なんか後で私のこと、成金ばばあとかエロばばあって言っていたんじゃないかしら。

 一万円札なんか入れて、成金趣味に見えたんじゃないかと思って、恥ずかしくなって、早足であの場を立ち去ったのよ。もう少し堂々としていてもよかったのかしらね。

 あんなことがあったから、もう二度と彼の歌を聴きに行くことはないだろうと思っていたんだけど、日曜日が終わって月曜日が来たら、無性に彼の歌を聴きたくなって、恥ずかしげもなくあそこに行ってしまったの。また違うシャネルスーツに着替えてね。

 かれの歌いいわね。もう中毒よ。私、どうしたわけかまた一万円札を入れてしまったの。あんなところで、一度ならず二度までも一万円札を入れるなんて、変なおばさんよね。頭がおかしいと思われても不思議じゃないわよね。

 私ってやっぱり見栄っ張りなのかしら。一度一万円札を入れたら、次の回に千円札なんか入れられないじゃない。多分、前回いたお客さんには顔を覚えられているはずよ。もし、千円札を入れたら、今回のステージは前よりも良くないわよって私が査定したみたいじゃない。それとも、やっぱり本当は金がないんだと思われるかもしれないわね。そんなの嫌じゃない。

 最初の回の一万円、もしかしてあんたの身体を買うからさ、という意思表示に見えたんじゃないかしら。だから、そんな気はさらさらないんだって。確かに彼は美形だけど、私は若い男の子をたぶらかすようなスケベな女じゃないわ。本当は一万円札を出すような見栄っ張りでもないんだから。ただ彼の歌がよかったから、良い歌を聴かせてもらったお礼に千円札を入れたかっただけなんだから。どうして財布から千円札を出さなかったのかしらね。かっこつけて、財布を覗き込んで確認しなかったのが悪かったのね。

 別に彼をどうこうしようというよこしまな考えはないわよ。いくらあの男の子がかっこよかったとはいえ、セックスの対象にはならないのよ。私の子供くらいの歳の差だしね。そう言えば、かれの唯一の欠点はエロくないところかもしれないわね。爽やかだって言ってしまえばいいように聞こえるかもしれないけど、アーティストにエロさは必要よ。声や歌に色気はあるんだけどさ。色気とエロさは違うんだよね。言いたい事わかるわよね。

 かれにエロさがない分、かれの路上ライブには純粋にかれの音楽を聴きに来る人たちだけが集まっているのよね。そりゃあ、かれはどちらかと言うとジャニーズ系の二枚目で、そこに女子高生なんかはのぼせ上がっているようだけど、彼女たちにしたって顔よりもあの歌にしびれているんだと思うわ。かれがあの顔で華麗なダンスをしても、それほどファンは集まらないと思うな。現に私がそうだもの。巷にはダンスパフォーマンスを披露してくれる若者はざらにいるけど、私には興味がないわね。彼の歌がいいのよ。どことなく哀愁があるでしょう。若者が哀愁を醸し出すなんてちょっとできないことよ。どうしてあの子はあの若さで哀愁があるのかしら。悲しい出来事があったのかしら。顔から見ると幸せに溢れているように見えるんだけど・・・。

 彼の路上ライブに何度参加したかしら。二度目の時、一万円札を入れたらすぐに彼が追っかけてきて、「一万円は多すぎます」と言って、一万円札を私の方に丁重に返してきたわ。私は何て言ったらいいか咄嗟に閃かなかったので、黙っていたの。すると彼が「とっても嬉しいんですけど、さすがに一万円は多すぎます」とにっこり笑って言ったのよ。それかと言って、私にどうしろと言うのよ。すると彼が「お急ぎでなかったら、この一万円でぼくたちにコーヒーとケーキをご馳走していただけませんか」と申し出た。私は「わかったわ」とほほ笑んで一万円札を受け取った。彼は「片付けるので、ここで少し待っていてもらえますか。すぐに終わりますから」と言って、駆け足で元の場所に戻ったの。女子高生たちが私の方を敵意むき出しで睨みつけるように見ていたわ。

 駅前の喫茶店に3人で入って座った。私に「いつもぼくの歌を聴いてくださってありがとうございます」と頭を下げ礼を言った。傍に座っている彼の恋人は、口元に柔らかな微笑みを浮かべていた。きっと彼女は良いところのお嬢さんなのでしょうね。私のような棘がどこにも見当たらない。彼と彼女が大学名と名前を名乗って、簡単な自己紹介をした。私は「三枝未華子」と名を名乗り、職業を言い淀んでいると、彼女から「もしかして芸能関係のお仕事の方ですか」と半信半疑で訊かれて、つい、「そう」と頷いてしまった。嘘をつく気はなかったのに、どうして頷いたのだろう。見栄を張ったのだろうか? 成り行きだったのだろうか? きっとその両方だ。かれらに対して、正直にスーパーのレジ打ちなんて言えない空気がそこにはあったのよ。

 メルカリで購入したこのブランド物の服が、私の虚栄心を表しているのかもしれない。わたしは日頃決して贅沢はしていない。それどころかかなりつつましやかな生活を送っている。この豪華な服装は、私のささやかな贅沢であり、変身願望の小道具なのだ。

 地味な私がかつて役者だったのも、変身願望だったのだろうか? 私は決して美人ではない。どちらかというと地味で貧相な顔立ちだ。はっきり言ってしまえば、ブスだ。

 言っておくけど、女優はみんなが美人である必要はない。舞台には綺麗だったりかっこよかったりする主役と共に、主役を引き立たせるための個性的な脇役や不細工な役者も必要なのだ。それに舞台によっては影の薄いその他大勢が必要な時もある。その他大勢が目立っては、芝居は成立しない。そりゃあ、その他大勢の中にはいつか主役にのし上がってやろうと虎視眈々とその座を狙っている者もたくさんいる。特に役者になりたてな奴ほどそうだ。だけど、その他大勢で何度も舞台に立っているうちに、いくら努力しても自分が主役になれる器ではないことがわかってくる。そんな奴に主役になるような奇跡は訪れない。万が一そんな奇跡が訪れたとしても、その舞台はひどいものになるだろう。確かに映画やテレビの中には二枚目や美人ではない主人公もたくさんいる。だが、そうした人たちはみんな容姿とは別に個性派としてオーラを発して光り輝いている。客を呼び込める興行の顔だからね。自分がそんな興行の顔になって舞台を成功に導けるなんて思うほど、私は愚かではなかったし、不遜でもなかった。そして何よりも度胸が据わっていなかった。

 私に華がなくても、他人に華があるかどうかはわかるつもりだ。唐木にはその華がある。正直、歌のことはそこまでわからないけど、かれの発散するオーラはスターそのものである。唐木は磨けば玉となる原石なのだ。

 彼をスターにすることで金儲けをしようなんて私は考えていない。だけど、ここで彼と関係がなくなるのは辛い。私は彼の歌を毎日でも聴いていたいのだ。それも生で・・・。


    つづく

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