7歩目 最後ではじまりだから、教えてくれない?
あの命を断つのどうのの悶着から二週間後。
大佐が任務を終えて戻ったと知った少尉は、詫びに行く段取りを整え、わたしはお宅訪問へついて行った。
ずっと、彼の手を繋いではなさないって決めてた。
でも、大佐は詫びなんてどうでも良かったように見えたな。
開口一番わたしと少尉の仲を聞いてきたし。
「あの、堅物で融通が効かず高飛車なライリー少尉に、恋人」
この感想。
上司だけあって的確だけど、失礼ね。
任務失敗や非礼を詫びたライリー少尉は、あっさり大佐に許された。だからだろうな、あと一つ、大佐に追加で謝りはじめるのは。
「すみません大佐、貴方の下に戻っても私は今までのように貴方の命令を全てにおいて第一とできません。私にとって一番大切な人間は……もう貴方ではありません。今の私が何より大切なのは」
目線を移されてまごついてしまう。
少尉が、あんなに熱狂していた大佐よりも……。
「私はもう、ミルフィさんが一番大切なんです。例えば貴方に命令されることがあろうともミルフィさんだけは離さない」
ぎゅっと繋いだ手にこもった力、わたしも握る手に想いを込める。
「大佐、そんな私ですが、よいのでしょうか」
「いいよ、もちろんいいに決まってるさ。そっちの方が安心だよ」
顎を上げ、ふっと大佐は微笑んだ。
若々しい美男ぶりが際立って、少尉は大佐のそんなところに憧れたんだろうなってわかってしまったり。
あ、少尉ちょっと目元が潤んでる。良かったね、本当に良かったわ。
度外れて丁寧に大佐の家をお暇して、憑き物が全部落ちて洗いたてのシャツみたいになった少尉。
もうっ、青空の下で乾くのをまつだけってくらい、すっきりしちゃって。
「やってみれば、なんでもなかったじゃない」
「はい。あれが大佐です。思った以上にずっと寛容でした、情けない、私は大佐を誤解していたのです」
「はー、はやとちりで死のうとまでしたなんて。ほーんと、わたしがいてよかった」
「ありがとう、ミルフィさん。あなたがついていてくれたおかげです。お土産に大佐の好物のミートパイを焼いてくれていたのも、効果があったと思います」
「なら、大佐話を聞かされたのが活きたわね」
腕を組み、事態の解決にやれやれーと息つくわたしに、少尉は珍しく神妙だ。
「時間が空いていることだし、近くにある装飾品店に寄りたいんです、一緒に来てくださいませんか」
「え? あ、いいけど」
年季が入ってる、けど床は磨き上げられて埃ひとつない。ご贔屓さんだけが大切に利用する、そういう丁寧な雰囲気のあるお店、素敵。
少尉はお馴染みさんなのね、カウンター越しの店主が親しげに迎えてくれる。
「頼んでいたものは?」
「もちろん、今日用意ができたところです」
茶色の小包はサッと少尉の懐に仕舞われた。
「あと懐中時計を見せて欲しい」
木枠にネイビーのクッションが張られたトレーが出された。
のっているのはどれも重厚な銀時計で、例外なく高価だとわかる。
「どれが私に似合うと思いますか?」
「え」
それ、わたしに聞くの? 懐中時計を近くで見たことも数えるほどで、良し悪しのわからないわたしに?
「直感でいいんです。あなたが選んでくれたということが、大事なので」
ばか。
そういうことを、気づきもせずに言うものじゃないわ。
こんな、ごくサラリと。罪作り少尉!
少尉から逸らした視線の先で、一個の懐中時計が特に目を引いた。
リューズだっけ? つまみの部分に嵌った貴石の色が少尉の瞳と同じ。
少し小ぶりで、スマートな外観も少尉と合うわ。
「……その、左端のがいい」
ポン、と後頭部に触れてくれたのは「よくできました」って意味ね。
大人ぶっちゃって。
「店主それを」
「はい、今お包みします」
「いやいい。そのままで」
あら? 包まないの? 少尉は小切手を渡したら懐中時計をつかんで内懐にかけてしまった。
お店を出てすぐの路地で、少尉は今まで下げていた銀時計をわたしに突き出した。
「ミルフィさん、時計を持っていないでしょう。これを」
「へ? だってそれは少尉の」
「ええ、私が成人後ずっと使っていたものですが……母の形見なので、意匠は女性向けですから」
情報がついていかないわ、くれるって少尉のお母さんの形見? 大切にしてきたもののはずなのに。
わたしが時計を持っていないからって!? くれるって?
「受け取れないわ」
少尉は小首をかしげた。
「なぜ? あなたが一番大切な人だと、私が、大佐の前で宣言したのですよ。あなた以外の誰がその時計に相応しいというのです」
それは、少尉こそ相応しいはず。という目線は強い射すくめにぶつかって、負けた。
「私の時計なら今あなたが選んでくれましたよ。いくら厳格に時間を管理する私でも二つは用がない」
とん、と胸元に銀時計を押し付けられる。
「その両手で支えて受け取ってください。でないと私が手を離せば、大事にしてきた時計が落ちてしまう。それで壊れてしまうかも」
ああっ! 卑怯なやり口、もっと手際よくやれないの? いつだって、壁にぶつかるドカドカしたやり方で。
あなたらしさに、ほだされてしまったわたしもわたしね!
両側から支えるように、銀時計を包んだ。
受け取ったから。あなたの気持ちごと。
「一日一回、ゼンマイを巻いてください。そしてその時、私を思い浮かべて」
「しょ、少尉っ!!」
こんなに急に、恋心を煮立てるような技巧をこらさないでよ。
ずっと恋愛音痴っぽかったのに。
「ミルフィさん、明日待ち合わせしましょう。もう時計があるから時間も大丈夫ですね。明日、正午にいつもの公園のベンチ前で」
「ちょ、少尉……」
肩をすくめて片手を上げた少尉は、サッサと翻って走り出してしまった。
明日も会えるって伝えてたから、予定はないけど。
一方的な。
わたしの返事は? 行くけど……絶対行くけど。そう答えるのがわかってるからって聞かずに行っちゃうなんて、つくづくせっかちなんだから。
❇︎❇︎❇︎❇︎
ここに来るの定番になったわね。
はじめて待ち合わせにここを使った時なんて嫌で嫌で、早く終わってほしいと願っていたのに。
こんなことを回想するくらい……するくらい来ないわ! ライリー少尉!
だって、いつもいつも先に来ていたのに! 十分前到着がデフォルトで、わたしとの待ち合わせの時はもっと早く?
今回はわたしに時計をくれたのだから、時間だってわかるのよ!
なんで遅刻するのよ!!
先日までライリー少尉の持ち物だった銀時計はわたしの手の中で時を刻んでいる。
一日一回、その時は集中して少尉だけを想いネジを巻いてるのに。
だから、時計が遅れていることはないわ。
遅れているのは少尉!
あ! 来た!
向こうからこっちまで駆け上がってくる。
「12分と27秒の遅れよ、ライリー少尉。公園の柵からここまで24秒歩くからそれはおまけしてあげる」
「12分と3秒遅れてすみませんでした! ……私としたことが、面目ないです!」
「どうしたの少尉、遅れてくるなんて初めてよ」
少し上がった息を整えながら、少尉は「家はいつもより一時間早く出ました。それでも、土壇場になると覚悟が決めきれなくて、つい、ずるずると……」とこぼした。
「え? 覚悟って?」
尋ねるわたしに、ぎゅっと目を閉じた少尉は出した拳を開く。
可愛らしい、波を思わせる曲線が取り入れられた指輪が、白銀に輝いている。
指輪……もしかしてこれって。
「私と結婚しましょうミルフィさん、もはやそれしかない」
「そ、それしかないの? あ、う、嬉しいんだけど、また急に思い詰めなくても」
「思い詰めもします!!!」
鍋でゆがいたみたい。
少尉は湯気のごとき気迫を発して、わたしに言いにくそうに切り出した。
「このあいだっ、私たちはっ、子どもができるようなことをしたんですよ!!!」
それはまあ、そうね。
いまさら蒸し返さなくても。
「すぐに! 結婚しておかねば。もしも結婚を遅らせて先にあなたに! 私の……こ、子どもが宿ったら!!」
「いいじゃない、デキ婚くらい」
昨今の世間はそんなの当たり前で、貴族も庶民も気に留めない。
のだけど、デキ婚と聞いた少尉の顔がどんどん赤く染まっていく。
「わ、私ともあろうものが……デ、デ、デキーーーーーーーーーーーーぃぃィ!!!!」
少尉はババッと頭を抱えてそりかえり、怪鳥みたいに叫びをあげた。
子供ができてからの結婚で世間から指さされることは絶対ないけど、少尉の感覚では自分がデキ婚は受け付けないか。
親戚には「清い結婚生活」宣言してたくらいだし、それがデキ婚ですって聞いたら先方も腰を抜かすってものよねえ。
「……取り乱しました。とにかく、責任は全力で取りますし、そもそも私はあなたと結婚以外の未来を考えていません!」
言い切った!
未来には、結婚しかないみたい。
でもって、わたしはこんなプロポーズが嬉しいらしい。
ものすごく頬が熱いし、少尉が……キラキラして見える。
「大……大っ好きです! あなたを深く愛しているのです。ミルフィさん」
ダメ押ししなくても、わかってるわ。わたしの返事は決まっているのに。
「お受けするわ、少尉」
プロポーズの受諾に脱力する少尉は少し可愛らしい。
笑い声をもらして、わたしは少尉と目を合わせる。
「これでほんとにお見合いからの交際は終わりね、だから教えてちょうだい」
「は? あの、なにを?」
「あなたのたくさんある名前のうち、結婚相手に呼んで欲しいのは、どれ?」
水風船がぶつかったみたいな顔しちゃって。
困惑と照れを同居させた、少年ぽさを垣間見せながら、少尉はたどたどしく言葉を紡ぐ。
「私があなたに呼んで欲しい名前は──────」
聞かされて、わたしはとっておき一番の笑顔を返す。
そう、それがあなたからわたしに許された名なの。
わたしはこれからずっと使う名前で彼を呼んでみて、それから、その唇めがけて最後の一歩を詰めた。
唇を重ねるわたしたちの距離はゼロになる。
これが、私が彼に歩み寄った、その愚かだったけど愛おしい一部始終。
お読み頂き本当にありがとうございました!
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