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6歩目 それを愛してるって言わない?

 

 静かで温かい水の中に浮かんでいたような。

 少尉がずっとそばにいてくれた。

 これまでのどんなときより、彼が近くにいた。

 まさか、そういう日が来るって考えてなかったから、恥ずかしかった。


 骨ばって長い指をもつ手で、髪を撫ですかれた気がする。

 わたしがすがりつくたび、たくさんぎゅっと抱きしめてくれた。

 あなたへの気持ちは深まるばかり。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎




 目が覚めると少尉がいて、部屋に備え付けのキッチンでなにか作っていた。

 美味しそうな卵の焼ける匂いがする、これが刺激になって意識が浮上したのね。


「少尉」

「目覚めましたか、ミルフィさん」


 少尉はキッチリ己を取り戻し、通常営業の彼に戻っていた。

 お気に入りの床屋で数日に一回、ミリ単位で管理しているというそろった前髪。形こそ大きくて可愛らしいのに怒ってるみたいにキツい目つき。息苦しいくらい詰められた襟。

 着込んで整ってる彼に対して、シーツを巻きつけただけのわたしは気がひけるわ。

 そんなに寝坊したかしら。


「ミルフィさん」


 近づいてきた少尉が、ベッドの手前まできてガバッと手をついて頭を下げた。


「すみませんでした!!!」

「ちょ、少尉!? 起きて、顔あげて!?」


 立ち上がって顔をあげた少尉だけど、手で顔を覆ってしまった。


「昨日は……すみませんっ。あんな……我を失って、猿のように震いつき夜明けまで何度も何度もあなたを……」

「少尉、そのくらいで! 口にされる方がわたし、耐えられないから!」

「……お体に辛いところはありませんか。朝食をつくったので、召し上がってはどうでしょう」

「あ、少尉の手料理」

「手料理といえるほど立派なものではありません。ただのスクランブルエッグです」

「それでも嬉しいよ、少尉がつくってくれたんでしょ」

「……っく、そんな顔をまたしないでください。私は身なりを整えておりますので」


 頬を赤らめて少尉はキッチンへ向かってしまった。


「少尉……起きてすぐがっちり着込んだのね」


 もっと、結ばれた恋人たちって朝になってもそのままべたべたしない?

 少尉は、こちらの方がらしいけど。


「……一度甘さを知ったらもう、甘みが頭から離れない。裸のまま、あなたと隣りあっていたら、また私の理性が飛ぶからです」


 これを聞いたわたしも顔が熱い。昨夜の少尉がばっと、頭に浮かんじゃって。

 トランス状態みたいに我を忘れた少尉は……それは妖艶だったのだ。 


「とにかく! 朝食です。さ、口を開けてください」

「はっ。く、くち? わたし手を動かして食べれるけど」

「いいですから、さあ!」


 黄色い塊をのせたスプーンがすぐ前にきたから、口をあけると突っ込まれてしまった。


「んっ、むぐむぐ」

「…………そんな煽情的に食べないでください」

「ぐっ、……ふ、フツーに食べてるんだけど!」

「だって、その赤く蠢く口とか、ぺろりと舐めとる舌とか、ど、どれだけいやらしいんですか! あなたは」

「ただの口だよ、舐めただけだし。……少尉、感じ方に問題があるんじゃない?」


 これは少尉の気にしていたところを突いたらしい。


「がっ、私の思考は……やはり穢れている? あのように欲望にまみれたおこないをして、汚れてしまった……?」


 ベッドに両手をついてうつむく少尉。

 わたしはそっとその背に手を当てる。


「汚れるような、欲望だけの行為じゃなかったでしょ。そんな言い方しないで。……少尉はわたしを愛してくれたんじゃないの?」

「…………り、料理が、冷めます。食べてください」


 顔をそらしてスプーンを出すものだから、口を外してほっぺたにつきそう。


「少尉、真面目にやって。頬よ、そこ」

「は……、あ、す、すみません」

「もう、こっち見てないからよ」

「こんなこと慣れないし、……今あなたを直視できない」

「え?」

「……あなたがまぶしい、かわいくて、光の粒でできているみたいに輝きが」

「へ、変なこと言ってないでこっちみて!」


 両頬を挟んでぐいっとこちらを向かせれば、少尉は目をつぶって断頭台で首を断ち切られる寸前みたいにプルプルしている。


「少尉……」

「……っ」

「少尉ったら、見て、わたしを……見てよ」


 至近距離で開かれる少尉の瞳の綺麗なこと。

 夜明けの空が白みかけたところみたい。ううん、もっと澄んだガラス細工のような。

 ここに、今わたししか映らない。

 こんな、彼の瞳をわたしで独占している満足感。


(すき、ほんとうにどこまでも、ややこしくて面倒で繊細な魂のあなたが)


 突き出した唇の意味を、悟ってくれた。

 少尉はふんわり重ねてくれて、わたしたちは唇から体温を共有する。

 ふわふわ、ふわふわ、押し当てあって。

 離れた少尉はわたしをぎゅーっと抱きしめる、そんなにしなくてもどこにもいかないのに。


「卵の、フレーバーが」

「少尉が食べさせてくれたんだもの」


 ムードが、と言われても状況的にしかたないじゃない。


「いえ、良いと思えるのです。こういう穏やかな日常っぽいのが、どうにも……夫婦……」


 ちょっと、失言したみたいな顔しないで。

 わたしなら嬉しいから。


「ねえ少尉。いつかそうなれたら素敵って、わたしちゃんと思ってる」


 ぐっと一度、掛けているベッドの方へ倒す力が働きかけて……引いた。


「い、今はっ。ここまでで。朝食を抜くと体に障る、あなたには絶対朝食を召し上がってもらうので」


 さすが! お堅い少尉だけあるわね。

 彼は今度はわたしを見ながらスプーンを口元にもってきた。


「卵……冷めていませんか?」

「これくらいでいいんじゃないかしら。わたし猫舌だし」

「そう、だったのですか」

「ええ、さっきのはちょっと熱かった。だから覚えてて少尉」

「は?」

「次作ってくれるとき食べさせてくれるなら、ふーふーしてね」

「!!!」


 その、蝋人形を無理して動かすぎこちなさ! おかしくてわたしは喉を震わせた。


「約束してよ、少尉。次は言ったように食べさせてくれるって」


 ねだれば、少尉は眉を寄せながらもうなずいてくれた。





 ❇︎❇︎❇︎❇︎



 朝食を終えて食器をシンクに運び終えた少尉が話しかけてきた。


「ミルフィさん、今、告白していいですか」

「え、こ、告白!?」


 少尉がわたしを好いてくれてるってわかってるのに、一体今さらなに?


「実は、私は見合い以前からヴェタリー書店にちょくちょく訪れていたのです」

「え、あ常連のお客様……? それはどうも」


 うーん? でも店に訪れた少尉を見た記憶ないなあ。


「一度だけ、あなたに本を会計してもらったことがあって、あとは……たまに、遠目で。あなたが……カウンターで清算係をしている時は、本を買うことができなくて。そのあなたが見合い相手として親族から紹介された時、とても……高揚して」

「そ、そうなの」

「最初の見合いのお茶で、あなたが私の名前を全て覚えていてくれた時、雷に打たれたように嬉しかった」

「ああ、あれが? そんなに?」


 わたしにとっては、意趣返しみたいなものだったのだけど。少尉はそうとってなかったのね。


 こくん、と少尉は首を前に倒す。


「あなたからお断りの返事は受け取ったけど、諦められなかった。親族に強く取り次ぎを頼み込み、あなたのことを詳しく調べたんです。……求めているけれど未入手の本があることまで。だから、持てる権限全て使って探しました。それでも、二回目の見合いの席で断られてしまいましたが」


 都合がいいな、とは思ってた。

 わたしの探していた本をよく条件につけてきたな、そこまでお見合いの釣り書きにのせてたの? って。

 

 そんなに頑張ってたんだ、あなたは。


「中巻と下巻のことはすみませんでした。特に下巻、あなたがわたしに想いを抱きはじめている、とまではわかっていても信じきれなくて、いつまでも渡せなくて」


 いいよ、そんなのいいんだわ。だって、あんなに探してたディアモストロ幻想記の下巻のことすっかり頭から抜けていた。

 今わたしは、わたしの物語に夢中。少尉、あなたとわたしの物語に。


 ふっ、と微笑んだ少尉は立ち上がり、デスクからディアモストロ幻想記の下巻を持ってきて渡してくれた。


「お約束の物語の終わりです、お納めください。……これはお願いなのですが、読み終わったら私に貸してくれませんか。あなたの求めた物語を、私も読んでみたい、……あなたの横で」

「うん、ぜひ読んで。わたしも、あなたが読んだ感想を聞かせて欲しいわ」


 もう大丈夫ね。

 少尉は次からスクランブルエッグを食べさせてくれる時、約束を守ってくれるだろうし。本を貸せば、わたしの横で物語の頁を繰ることだろう。

 わたしと過ごす未来、いっぱい言質をとったんだから。


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[良い点] キャー!!!! 猿! 猿のように! 思いっきり『事後』を見せられてドキドキです(*´ω`*)
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