3歩目 どうして行き先しってるの?
わたしは、知識欲に目がくらんで判断を誤ったのね。
こういう薄暗いとこって、なんで足元がビショビショしているところが多いんだろ。
水道管の老朽化からの漏水、整備不良が改められていないってとこかしら。
一歩、ピシャリと水を跳ねさせて下がったわたしは、実はピンチだ。
逃避していた現実に戻れば、古びたレンガ壁に追い詰められている。
背をつけばレンガが崩れてしまいそう。
さすが、街の中でも人々に見放されがちな区画だけあるわ。
できたらわたしだって来たくなかった、でもここを通らなきゃ怪奇古書店街に行けないんだもの。
「なー、可愛いおじょーちゃん。どうせ大した用じゃないんだろ? おれたちと遊ぼうぜ」
「……だから、断るって何度も言ってます」
「澄ましてるとこがそそるねえ〜、んーなんだ石鹸の匂いか、いーじゃん?」
わたしを囲う男の一人が頭に鼻先をよせ、これみよがしに匂いを吸った。
ききき気持ち悪い!! なんなの、この男の人たちなんでこんなにキモイことできるの!?
「わたし! 絶対あなたたちと関わりたくないです! どいて! 通して!!」
精一杯にらみつけて前を塞ぐ男と男の間をすり抜けようとしたんだけど、腕で遮られてしまった。
どうしよう。
「おい、一本だせ。キメたらすぐ遊べるようになんだろ」
「え、いいのか今手持ちのやつ上等なんだけど」
「いーよ、これ上玉だし。この目、気に入った、がぜんヤル気でた」
まずい。わたしよくないナニカを刺激してしまった?
この人たち、同意どころか意識まで吹っ飛ばしてわたしに何かしたい模様。
危なそうなものの用意があるようで、男の一人が懐から注射器を出した。恭しく持った小瓶に針を刺し中身を吸い上げている。
ちょっと、ちょっとちょっと!!?
いやっ。
自分の浅はかさを後悔して、かたく目をつぶった。あれを腕に刺されるんだろうか。
怖い。
たすけて、誰かたすけ──
「これは、いただけない事態ですね」
下卑たげたげた笑いとは全然違う、凛と通った声が、場の空気を一薙する。
「君たち、即座に立ち去りなさい! さもなくば身の安全を保証しません!!」
「ライリー少尉!」
いつもの軍服とは違う、白のシャツにスキニーな黒のズボンという私服姿のライリー少尉が、わたしの追い詰められていた通路に入ってくる。
助けに入ってくれたんだよね。
でも……少尉じゃ荷が重くない?
こっちは少尉より体格のいい、ケンカ慣れしてそうな男三人。その、少尉細いし、腕とかもすらっとしてるし。
怪我させられて結局わたしはこの男たちに……ってなるんじゃないかな。
「綺麗なカオのにーちゃんだな、おいアンタ、一緒にひん剥かれてアンアン言わされたくなきゃ黙ってあっち行きな」
ゲラゲラ声をたてる男たちに対して、少尉はすっと目を細めた。
この人はいつも少し怒っているんじゃないかな、と思ってたのだけど。
違った、本当に怒っていると、こんな表情をするんだ。
見据えたものを片端から氷結させてしまう、絶対零度の瞳。
「想像力と洞察に欠けた暗愚ですね、君たちは。後で猛省なさい。そして今は」
ライリー少尉が顔の前にかざした手が、薄青に輝いている。
瞳の色が手に移ったかの光に照らされた少尉は、妖しく美しかった。
「凍れ!」
ケーキの入刀みたいに少尉が手で空を両断すると、男たちの脚と手は出現した氷で固まっていた。
冷たい冷たいと悶絶する声が耳障りだが、これで彼らは動けない。
「……少尉! これは魔法……? あなたは魔法が……?」
「賢いと思っていたのにあなたまでそれですか。あなたが少尉少尉と呼んでいる私は『魔法特務部隊』の少尉なんですよ。これくらいは児戯に等しい」
ごくりと、唾を飲み込んだ。
胸の辺りに鉄球が当たった感じがする。間近で目にした魔法に圧倒されてしまったのかしら。
ひた、と少尉がわたしに目を留める。
魔法を使う前の冷え切ったものではない、熱い怒りがこもっている。
「ミルフィさん、こんな場所に一人のこのこやってくるなんて。呆れましたよ。ここはこういうことが起こって当たり前の場所と、理解があるはずですよね?」
他人、それも助けるために手間をかけさせてしまった人に言われると、頭が冷えるわ。
ゲンコツくらい飛んできそうだから、わたしは歯を食いしばってうつむいた。
さすがに拳はこない。ため息が一つ届いただけ。
「…………行きますよ。目的地は、同じでしょう。一緒に向かいます」
呼びかけそうになったところを、鋭い目つきで遮られた。
何も言わず歩き出した少尉は、わたしの行くつもりだった怪奇古書店街への道をたどっていく。
❇︎❇︎❇︎❇︎
とり澄ました横顔は何も語らない。
ほこりっぽい、古い紙の匂いがするお店を回った。
透かしの幾何学模様を彫り込んだ木の本、ろうけつ染めの革を背表紙にした本、極薄く削ったボルダーオパールを表紙に持つ本、コウモリの羽でページを作った本。
様々な奇書怪書の間を共に彷徨って、それでも、わたしはついてくる少尉になぜ行き先が同じなのか訊ねない。
聞けば静かに本の間を歩くひと時の何かが、壊れてしまいそうだから。
四つめの古書店、わたしはついにカウンターで積まれている本の中に『ディアモストロ幻想記』を見つけた。
上巻と違う表紙!
興奮を抑えず駆け寄って。
「……中巻!?」
ディアモストロ幻想記、上中下巻なの!?
目的は達成したような、ゴールが遠のいたような。
「すみません! そこの本ください」
「ん、ああこれ……はー、すまないねここのは売約済みで包むところなんだ」
「売約!? 見つけたのに買われちゃってるなんて……」
その本のページひとめくりだけでも、なんてせせこましく考えてしまって、我ながら意地汚なすぎると反省した。
悔しくて、残りの書店も全部くまなく探したけど、あれきり『ディアモストロ幻想記』は中巻はもちろん、まだ見ぬ下巻もなかった。
治安は悪いし、ここは用が済んだらすぐ立ち去るほうがいい。
古書店街とそれを取り囲む暗い街区からの、帰りすがら。
「……残念そうですね」
「ええ、肩透かし食らったわけですから」
「そんなに、あの本をお求めなのは……書店員としての職業意識からですか?」
はっ、職業意識……?
それでここまですると思っているのかしら少尉は。
「違います。それは……わたしは、書店員であることを誇りに思ってます。でもあの本が読みたいのは、内容への興味があるから。著者が渾身こめて書いた冒険物語で、語り口も面白くて読んでみたいと思っていた通り……以上の内容だったから」
「知的好奇心、ですか」
「はい。思えば、書店員の方が後からついてきたの。店に入る分に限るけど色んな本が見れるし……親族の反対を押し切ってなった甲斐があった」
「反対、されたのですか」
「職業に就くなんて、下層街民みたいなことするな花嫁修行していろ。とか言い出して。古いと思いませんか? 腹立たしかったから、言い負かしたんです」
そういう積み重ねの結果、ライリー少尉とのお見合いを組まれてしまったけど。
「…………私は好ましい姿勢と思いますがね」
「は?」
なんか、今ライリー少尉に褒め? られたような。
見上げた横顔は淡々としていて、行き先だけ見据えてる。
日中の陽が満ちる区域に戻って、少尉の顔にも光が差す。
「あなたは、あなたらしく生きていくために必要なことをわかってやっているのでしょう? 素敵な生き方です」
ちょっと、らしくないよ少尉。そんな風に微笑いかけてくるの。
そんなにいい話したわけじゃないのに。
でも、じんわりとわたしのなかのどこかに沁みてく。
家族も親戚も……反対ばかりの中、意地張ってきたことを、はじめて肯定してもらった。
どうしよう、こんなに心が振れてるの、少尉にバレたくない。
「ミルフィさん」
「はい」
「どうしても読みたい本にはやってしまうお気持ちは察します、しかしこのようなガラの悪い場所まで探しに来ないでくれませんか」
「でも……本」
「その本ですが。私が探します」
「は?」
少尉、本さがし手伝ってくれるの? 中巻だけじゃなくまだ下巻もあるのに。
「あなたがお探しの物語の続きは、私が必ず探し出します。ですから……」
ライリー少尉は私の方を向いたままだが、目をあわせず、それどころか少し逸らす。
「本を手に入れたらまた会ってくれませんか」
「…………はい」
つい、了解しちゃった。
もうお断りって、仲介者づてに話をきいてる、はずだよね。
え? まさか。それで? そのためにわたしの探してた本探しにここまで……とか?
返事に満足したのか、横向いた少尉の頬が赤い。
わたしも、そのことにすごく……心臓あたりがぎゅっとする、痛いんじゃないかってくらい。
「では……目的が達成されましたら、連絡を入れます」
「あ、はい」
背中を向けた少尉は片手だけ上げて行ってしまったのだった。