2歩目 誰の話をはじめるの?
風に強弱がある日だ、穏やかと思えば突風が吹いたりする。
帽子のつばを押さえ、わたしは指定された丘の上にある公園に着いた。
「来ましたね、ミルフィ・マッキアーガ」
「フルネームはやめてくださらない。ライリー少尉」
「ミルフィさん。……今日は早いですね。まだ約束の時間まで8分と13秒ありました」
またこれだよ、細かすぎるの。
わたしは眉間によった皺を隠せず、まずいな、と心配した。本がもらえなくなる心配を。
「……そんなにも、私に早く会いたかったのですか」
こっちの不安を他所に、少尉はわたしを見ていなかった。少し伏目がちに首を逸らして……ちょっとまって、あなたに会いたかった!? 誤解もいいところでしょう。
「たまたまです、わたしは時計を持ってないですから、細かな時間調整できないんです!」
「……そうなのですか」
気のせいか、少尉の気勢が削げたような。どうでもいいか。
「ライリー少尉こそ、こんな早くに来ていたのですか」
「私は集合には10分前に到着することを習慣にしております、それに今日は早くあなたに…………なんでもございません」
なんだか今日の少尉は不明瞭。
まだ二回しか会っていないから判断材料不足ね。
仕草で軽くうながされて、私は側のベンチに腰掛ける。
狭いベンチだというのに、隣に少尉が座るから、窮屈だ。
「ミルフィさん、今日はお越しいただきありがとうございます」
「はあ」
「前回ははじめてでしたので、話題は当たり障りなく飲み物と薔薇についてでしたね」
「ええ」
今日も薔薇の話で終わってくれるなら嬉しい。不快指数は低いだろうし、それで『ディアモストロ幻想記』が手に入るならぜんぜんお安い。
「二回めとなりますので、今回はもう少し突っ込んだ話をしようと考えているのですが」
げ。けっこう嫌だな。
だめだめ、断ったら本もらえないし。いいわ、少しお話が込み入るくらい。
「ミルフィさんに、私のことを知っていただきたいのです」
かなり嫌な部類だ。
引けるなら後に下がりたかったけど、ベンチの手すりが邪魔をして距離をとれない。
「しょ、少尉のこと?」
「ええ、はい。私のことを知っていただく。そのために」
そのために、あら、なにかしら。
「そのためにコペルパピリオン大佐の話をしようと思います」
はっ? …………だ、誰……?
「というか、なんで少尉のことを知るのに別の人の話が出てくるのですか!?」
少尉はなんだと目をまんまるくしている。
「知らないのですか? 街一番……いえ国でも一番に素晴らしい王立魔法軍の大佐ですが」
「……ちょっと、軍人とかには事情が疎くて」
なんとなーく、女友達が騒いでいたかな、わたしその人そんな興味ない。
「で、その方ライリー少尉となんの関係が」
「上司です」
「はあ……お仕事の……、なら、少尉のお仕事を知ってほしいということですか」
「違います」
違うの!? ならもうその大佐の話をされる理由わかんないんだけど!
「……大佐は私の憧れの人なのです。ああなりたいな、とか。その活躍をずっと拝見させていただきたいな、とか」
少尉が目指している姿だから、なのかしら。それを聞けば彼について理解が深まるというのは。
「なんとなく、ですけどわかりました。では……今日はそのお話を聞いてみます、……どうぞ?」
わたしは下手をうったのだと理解するのに、大した時間はかからなかった。
ライリー少尉は、魔導機関銃に取り憑かれたと疑う速さで上司について迸り始めたのだ。
話についていくの、つらぁい。
前回はお茶の時間までで終わったけど、今回は日が沈みかける寸前までかかった。
わたしは延々、少尉の心酔する上司の話を聞かされ、偶然着替えにでくわしたライリー少尉が確認した、大佐のボクサーパンツの色まで知ってしまった。
最悪、最悪よ!
げっそりしたわたしから生気を吸ったんじゃないかしら。
ライリー少尉はドヤドヤと輝いた表情をしていて、大変腹立たしい。
「そういえば、親族は私の見合いを喜んでおり、あなたにささやかながら贈り物をするそうで、託されました。どうぞお納めください」
そうやって渡されたのは『ディアモストロ幻想記』! わたし、やりぬいたのね!
両手ではっしと受け取ってわたしは固まった。
「……じょ、上巻……?」
「どうしました? 欲しかった本ではないのですか」
「あ、ありがとうございます。ただ……上巻だけでしょうか」
「これしか手持ちはありませんが」
嬉しいのだけど、これは読んだら下巻が気になるのではないかしら。かえってモヤモヤした状態になってしまうのでは。
それでも、ずっと探していた本の魅惑に抗しきれず、わたしは戦果の上巻をおうちに連れ帰る事にした。
「では、日も暮れますのでライリー少尉」
「はい、また次回、それまで壮健で」
次回は、ないのよライリー少尉。わたしくたびれたもの。今度こそ親戚によーく言ってお断りするから。
「さようなら少尉、お元気で」
本を胸に抱き、わたしは自宅の方向を向く。
振り返らず少尉と別れ、自宅付近でご近所から香る夕飯の匂いに、食卓を囲む温かい家庭を幻視した。
サルサソースのミートパイか、コペルパピリオン大佐の好きなメニューだ……ってなんでわたし会ったこともない少尉の上司の好物に反応してるのよ!!
道端の石をライリー少尉と思って蹴飛ばした。
記憶力を恨むわ。またつまらないものを覚えてしまった。
わたし、人生で会ったことも、これから会う予定もない大佐の好物なんか知ってるのに……少尉自身のことは何もきかなかった。
ばか、ばか少尉。
❇︎❇︎❇︎❇︎
少尉との会話に耐えて手に入れた本はとっても面白かった。
面白すぎて……ここで終わるなんて、拷問よ!!
本の最終ページを読み返して、わたしはため息をついた。
胸が、苦しいわ。
本を手渡してきた時の少尉の顔が浮かぶ。
なぜか一生懸命ひき結んでた、口元とか。
かなり強めに仲介者に断ったから、向こうももうこれ以上取り次いでこない。
だからせいせいしてるはずなのに、本の続きが気になって、気になって。
そういえば、少尉は結局何が好物なんだろう、ほんと変な人だったわ、もう一生きく機会ないけど。
ん、考えが一瞬それてしまったわ。
わたしがしないといけないこと、それは本の続きを探すこと。
続きを読み始めたら、それでいっぱいになれるし、終わりがわかれば満足して変な雑念も入ってこなくなる。
ありそうなところ、街で一ヶ所思いつく。
古かったり、雑多な本を扱うお店ばかりが、立ち並んでいて。
ちょっと……治安がよろしくないのよね。怪しげな魔法素材とか、不健康なお薬とか、嘘くさい取引とか横行してて。
周辺も高い建物でぐるりと囲まれてる上に蓋したみたいなとこだから昼でも暗くて、怖い。
でも我慢するわ、虎穴に入らねば虎子は得られないんだから。