悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
炭鉱の町ヴァンフール──アルフレッドは、この町で鉱夫として働いている。
そんなアルフレッドは、元王族。キール王国の第一王子だった。訳あって父王に廃嫡を言い渡され、国外へと追放されたのだ。
「疲れた……」
その日の仕事を終えたアルフレッドは、家に帰るなりぐったりとベッドに倒れ込んだ。
この生活を続けてもう五年になる。正直、暮らし向きは楽ではない。
お世辞にも綺麗とは言えない、年季の入ったアパートの一室。ここに住むことが決まった時は半ば発狂しそうになったが、今は大分慣れた。
住めば都……とまでは流石にならないが。
「どうして、僕がこんな目に……」
しみのある天井を見上げながら、アルフレッドはそうぼやいた。
そう、全てはあの忌々しい侯爵令嬢のせいなのだ。
「レティシア……絶対に許さない」
憎々しい元婚約者の名前を呼ぶと、アルフレッドは苛立ちをぶつけるように枕に拳を振り下ろした。
五年前。学園の卒業パーティーの最中、アルフレッドはレティシアを断罪し、婚約破棄を突きつけた。
何故なら、他に好きな女性がいたからだ。その女性の名はソフィー。クラスメイトの伯爵令嬢だった。
ソフィーと燃えるような恋に落ちたアルフレッドは、どうしても彼女と結婚したかった。
だから、レティシアを陥れたのだ。ソフィーと結託して「レティシアは、自分の祖母の形見である高額なペンダントを盗んだ。そして、ソフィーに盗みの濡れ衣を着せて罠にはめようとした」と訴えた。
「僕はレティシアを心から信頼していたのに、嫉妬心からソフィーを陥れようとするなんて……心底、見損なったよ」と、さも自分も辛いかのように涙ながらに演技をすれば、周りは皆アルフレッドの言うことを信じてくれた。同情の目を向けてくれた。思惑通りに事が進むと思った。
しかし──その計画は、アルフレッドの実の弟によって阻止されてしまった。
アルフレッドの双子の弟であるユーグは、昔から大人しい性格だった。どんな頼みだろうと、嫌な顔ひとつせず聞いていた。
例えば、アルフレッドが「自分の代わりに宿題をやっておいてほしい」と頼めば、「兄上のお役に立てるなんて嬉しいです」と言いながら笑顔で応じるのだ。
父の公務に同席しなくてはならなくなった時も、「面倒くさいからお前が代わりに行ってくれ」と頼んだら二つ返事で「わかりました」と承諾していた。
アルフレッドはそれが当たり前だと思っていた。双子とはいえ、自分は兄だ。弟は兄に逆らってはいけないのだ。
ある時、アルフレッドはレティシアからそのことを咎められた。
アルフレッドは不快になった。ユーグは自分の意思で兄の役に立ちたいと言っているのだ。本人も納得しているのに、なぜ王子である自分が侯爵令嬢ごときに叱咤されなければいけないのか。
それ以来、アルフレッドはレティシアのことをよく思わなくなった。そんな時、たまたま同じクラスになったソフィーと意気投合し親密な関係になった。そして、隠れて彼女と付き合うようになったのだ。
あの日──アルフレッドが、卒業パーティーでレティシアを断罪した直後。
ユーグは突然、席を立ち上がり「ちょっと待ってください。レティシア嬢は犯人ではありません」と彼女の肩を持った。
何事かと思えば、レティシアが犯人ではない証拠を持っているとのことだった。
そんなはずはないと思いつつも話を聞いていると、ユーグは上着のポケットから何やら赤い水晶を取り出した。
嫌な予感がした。何故なら、それは人の声を記憶し再生することができる魔道具だったからだ。
ユーグがその水晶をひと撫ですると、アルフレッドとソフィーの声が会場内に響き渡った。
『──大丈夫。必ず成功させてみせるさ。レティシアを追放したら、すぐに婚約しよう』
『ええ、必ず成功させてね』
それは、紛れもなく最近交わされたアルフレッドとソフィーの会話だった。会場内にどよめきが起こる。
「これが証拠です。どうですか? 皆さん、これでも兄の言うことを信じますか?」
証拠を出されてしまっては、ぐうの音も出ない。他の生徒たちの冷ややかな視線が、アルフレッドとソフィーに注がれる。
とはいえ、ここまで来たらもう後には引けない。
だから、アルフレッドは負けじと「でっち上げだ! 僕はこの目でレティシアがソフィーの鞄にペンダントを入れるところを見たんだ!」と反論したのだ。
けれど、周りはそんなアルフレッドを白い目で見るだけだった。形勢はますます不利になっていく。
そう、アルフレッドはユーグに裏切られたのだ。
実のところ、彼はアルフレッドを兄として尊敬なんかしていないし、役に立てて嬉しいなどとも思っていない。
それどころか、内心軽蔑しながら虎視眈々と復讐の機会を窺っていたのだ。それに気づいた瞬間、「してやられた」と思った。
後日、ユーグは卒業パーティーの最中に起こった婚約破棄騒動を父王に報告した。
それを聞いた父は激怒した。結局、弟が告げ口をしたせいでアルフレッドは廃嫡を言い渡され、国外追放処分を受けることになってしまったのである。
恋人であるソフィーからも、「王子じゃないあなたに価値なんかないわ」とばっさり切り捨てられてしまった。
彼女もその後、両親に借金のカタに娼館に売られたらしいので幾らか溜飲は下がったが。
風の噂によると、その後レティシアとユーグは結婚したらしい。
子宝にも恵まれ、幸せに暮らしているのだとか。アルフレッドは何もかも失い、今も独り身でいるというのに。
(きっと、レティシアがユーグを唆したんだ……)
レティシアに濡れ衣を着せようとした件については、正直悪かったと思っている。父が怒るのも当然だ。
けれど、いくらなんでも王子である自分を国外に追放したのは流石にやりすぎだ。
人間、誰しも過ちは犯すものだ。アルフレッドの場合、それが少し行き過ぎただけ。それなのに、連中はたった一度の過ちすら許そうとはしなかった。
嬉々とした顔で、アルフレッドを追放したのだ。まさに鬼畜としか言いようがない。
自分を追い込んだあいつらが幸せになるのは絶対に許せない。そんな憎しみを抱きながら、アルフレッドは過酷な労働に何年も耐えてきた。
(こんな生活、もう嫌だ……)
こんなはずではなかった。自分は、こんなところで働きながら惨めな一生を終えていいような人間ではない。
自分で言うのもなんだが、王子ということを差し引いても周囲から一目置かれる優秀な人間だったと思う。
アルフレッドはユーグと違って社交的だし、学生時代は成績も良かった。仮に王位を継いでいたら、きっと国民から好かれる有能な王として歴史に名を馳せていただろう。
全く、自分を追放したあの国の連中は馬鹿だ。なんて見る目がないのだろう。
アルフレッドはそう考えて大きく嘆息すると、ゆっくりと上体を起こす。
「……酒場にでも行くか」
週末になると、アルフレッドはいつも近所の酒場に足を運んでいた。
そこで飲んだくれて、一時的にでも嫌なことを全部忘れるのだ。
行きつけの酒場に行くために薄暗い路地裏を歩いていると、ふと前方に誰かがいることに気づいた。
(子供……?)
その子供──五歳くらいの少女は、壁に背を預けながら虚ろな目で夜空を仰いでいる。
こんな時間に妙だな。そう思いつつ、アルフレッドは少女の前を通り過ぎた。
……が、何を血迷ったか踵を返した。そして、その少女に話しかけたのだ。
「どうしたんだい? 迷子かい?」
「……ううん」
少女は首を横に振った。
「それじゃあ、なぜ家に帰らないんだい?」
「……家にいると、パパに殴られるから。ママも、お酒ばかり飲んで全然構ってくれないの」
「なんだって……?」
話を聞く限り、どう考えても虐待だ。
だが、貧富の差が激しいこの国ではよくあることだった。貧しければそれだけで心の余裕がなくなるし、親から子への虐待も横行する。
この少女の家庭も、恐らく例外ではないのだろう。
(だが、自分には関係のないことだ。少女には悪いが、このまま立ち去ろう)
そう考えたのだが……アルフレッドは、自分でも信じられない行動に出る。
「それは大変だったね。こんなところにずっといて、寒かっただろう? とりあえず、僕の家においで。温かいスープとパンをご馳走してあげるよ。これからのことは、その後考えよう」
気づけば、アルフレッドは少女にそう声をかけていた。
自分でも、なぜこんな行動を取ってしまったのかわからない。
父性に目覚めたのか、それとも少女に対する同情か。自分の食い扶持を稼ぐだけで精一杯なのに、一体何をやっているのか。
「ほ、本当? 家に行ってもいいの?」
「ああ、もちろんだよ。君、名前は?」
「マリエル」
「マリエルか。いい名前だね。僕はアルフレッド。この近くに住んでいるんだ」
まだ完全に警戒心を解いていないマリエルに対して、にっこり微笑んでみせる。
アルフレッドは、彼女を保護することに決めた。
アルフレッドは酒場に行くのを急遽中断し、マリエルを連れてアパートに戻ってきた。
そして約束通り、マリエルにスープとパンを振る舞う。
パンといっても、当然ながら硬いパンだ。けれど、マリエルはそのパンを嬉しそうに食べていた。
そんな彼女を見て、アルフレッドは自然と顔が綻ぶ。
(さて、これからどうしよう……)
保護したのはいいものの、先のことは考えていなかった。
(……当面の間、匿うしかないか)
アルフレッドはそう決心すると、椅子に腰掛けて今後について考え始めた。
翌朝。
アルフレッドは、マリエルのために朝食を作った。
まさか、元王子である自分が他人のために──それも、拾った子供のために料理をする日が来るなんて思わなかった。
マリエルに「仕事に行ってくるから大人しく待っているんだよ」と伝えると、アルフレッドは仕事場へと向かった。
鉱山に到着し、使い古したツルハシを手に取った瞬間、突然背後から誰かに話しかけられる。
「どうしたんだ? 今日は随分と機嫌がいいじゃないか」
そう声をかけてきたのは、同僚のマティスだった。
アルフレッドは、嫌々鉱夫として働いていた。それが顔にも出ていたのか、常に不機嫌そうに見えていたらしい。
「そうかな?」
アルフレッドは、ほとんどの同僚からは愛想がなく近寄り難い存在だと思われていた。
それにもかかわらず、マティスはいつも話しかけてきていた。
普段なら、面倒くさいと思いつつ適当にあしらうのだが……何故か今日は話に付き合っている。
「表情が柔らかくなった気がするよ。絶対、何かあっただろ?」
「いや、特に何もないよ」
何もないというのは嘘だ。でも、両親から虐待を受けて家から逃げ出してきた子供を保護しているなんて言えるはずがない。
下手をすれば、誘拐犯扱いだ。
「ふーん……?」
マティスは何やら怪訝そうにアルフレッドの顔を覗き込むと、「じゃあ、先に行ってるわ」と声をかけて鉱山へと入っていった。
全く、おかしな奴だ。アルフレッドは、そんなことを思いながら首を傾げた。
そして、アルフレッドとマリエルの奇妙な同居生活が始まった。
一緒に生活をするようになって一ヶ月ほど経った頃には、みすぼらしく痩せ細っていたマリエルは見違えるように美しい少女に変身を遂げていた。
濡羽色の髪、血色の良い赤い唇、陶器のような白い肌──元々、顔の造りは整っているとは思っていたが、まさかここまで変わるとは。
他人の子供とはいえ、アルフレッドは何故か誇らしい気持ちになった。
「……まだ、家に帰る気にはならないかい?」
「うん。あの家には、もう帰りたくない」
健康状態が良くなっても、マリエルは相変わらず家に帰りたがらなかった。
そんな彼女を見たアルフレッドは、思い切って尋ねてみる。
「いっそのこと、僕の養子になるか?」
問いかけると、マリエルは驚いたように目を見開いた。
少し、戸惑っているようにも見える。もしかしたら、嫌だったのだろうか。
だが──
「アルフレッドさんが許してくれるなら、私、この家の子供になりたい!」
少し考えた後、マリエルはそう言った。どうやら、心配は杞憂に終わったようだ。
マリエルと一緒に暮らすうちに、アルフレッドはあることに気づいた。
(マリエルと一緒に暮らし始めたお陰で、僕は孤独ではなくなったんだよな)
そう、アルフレッドは寂しかったのだ。
同僚にも近所の住民にも心を開かなかったせいかずっと孤独だった。
というのも、「元王子である自分が平民と仲良くするなんてプライドが許さない」と意固地になっていたからだ。
だが、不思議とマリエルに対してはそうは思わなかった。
レティシアとユーグが子宝に恵まれ幸せに暮らしていると聞いた瞬間、アルフレッドは嫉妬に駆られた。
祖国を追放され、必ず添い遂げようと約束をしていたソフィーにもあっさり裏切られ。思い描いていた未来とは真逆になってしまった。
こんな生活が一生続くなら、いっそのこと過労で死んでも構わないとすら思っていた。
そんなアルフレッドの荒んだ心を癒してくれたのが、マリエルだったのだ。
(マリエルは、きっと僕を哀れに思った神様からの贈り物なんだ。今まで、散々苦労してきたんだし……今後は幸せになったとしても誰も文句は言わないだろう)
そう考えたアルフレッドは、マリエルと二人で幸せになると心に決めたのだった。
半年後。
アルフレッドは、以前とは打って変わって前向きに生きていた。
マリエルという生き甲斐を見つけてからは、あれだけ嫌だった仕事にも精が出るようになった。
周りからも、「変わったね」と言われることが多くなった。
アルフレッド自身は特に意識していないのだが、愛想が良くなったらしい。
仕事面でも評価されることが多くなり、同僚との関係も良好だ。
マリエルを養子に迎えたことがきっかけで、少しずつ人生が良くなっている気さえする。
気づけば、アルフレッドにとってマリエルはかけがえのない家族となっていた。
人生が好転すると同時に、アルフレッドの心境にも変化が訪れた。
過去の誤ちを──レティシアやユーグに対して行った仕打ちを後悔し猛省するようになったのだ。
(今思えば、あの二人には申し訳ないことをしてしまったな……)
なぜこんな考えに至ったのかというと、これもマリエルのお陰だ。
アルフレッドは、養子であるマリエルを溺愛している。
彼女のために良い父親になろうと努力していたら、いつの間にか罪悪感が芽生えたのだ。
犯した罪は消えない。だから、今後はその十字架を背負いながら慎ましく生きていこう。
いつの間にか、アルフレッドはそんな風に考えるようになっていた。
「パパ、大好きよ。これからもずっと一緒にいてね」
「ああ、もちろんさ」
毎日のようにそんなやり取りをしながら、アルフレッドとマリエルは絆を強めていった。
薄給だし、相変わらずぎりぎりの生活だったけれど、アルフレッドはマリエルに不自由な思いはさせたくないと無理をしてでも周りの子供と同じように服や玩具を買い与えてやった。
そんなアルフレッドの一生懸命さに応えるように、マリエルは素直で優しい子に成長していった。
血の繋がりはないけれど、傍から見れば二人はまるで本当の親子のようだった。
──だが、幸せな日々は突如として終わりを迎えることとなる。
二年後。
その日、アルフレッドは行きつけの酒場に訪れていた。同僚のマティスから「一緒に飲まないか?」と誘われたのだ。
以前なら断っていたところだが、最近のアルフレッドは人付き合いがいい。
特に断る理由もなかったので、快く承諾した。
「実はさ……俺、故郷に帰るんだよ。そこそこ金が貯まったし、ずっと夢だった飲食店を開くつもりなんだ」
カウンター席に座るなり、マティスの口から意外な言葉が飛び出した。
「え……? 随分と急な話だね」
アルフレッドは目を瞬かせる。
正直、昔は心に土足で踏み込んでくるマティスが苦手だった。
けれど、今は親しい友人といっても過言ではないほどの関係だ。
そんな彼が、店を開くために故郷に帰るのだという。アルフレッドは途端に寂しさに襲われたが、何とかそれを顔に出さないようにした。
「それで、いつ旅立つんだい?」
「明日の朝だよ」
「はぁ!? いくらなんでも急すぎるだろう!? なんで、直前になってそんなことを……」
「悪い、悪い。いやー、なかなか言うタイミングが掴めなくてさ。なんだかんだで、ぎりぎりになっちまった」
「お前なぁ……でも、そっか。夢を叶えるために故郷に帰るのか。とりあえず、向こうでも頑張れよ」
アルフレッドはそう言って、友人の背中を押してやった。
マティスは笑顔で「ああ、お前も頑張れよ!」と言うと、美味そうにビールを飲み干した。
その後は、二人で色々な話をしながらしこたま酒を飲んだ。
だが、数時間後。飲みすぎたのか、マティスは酔い潰れてしまう。
「大丈夫か、こいつ。明日の朝には出発しないといけないのに……」
呟いた瞬間、ふとアルフレッドは床に置いてあるマティスの鞄の口が大きく開かれていることに気づく。その中には、ぱんぱんに膨らんだ大きな金貨袋が入っていた。
(そういえば、さっき金が貯まったと言っていたな。ということは、あの金貨袋の中には……)
袋の中身を想像したアルフレッドは、ごくりと生唾を飲み込む。
次の瞬間、アルフレッドの脳裏にある考えがよぎった。
(来年はマリエルが学校に行く歳になるけれど……とてもじゃないけれど、今の安月給では学費は払えない。でも、ある程度まとまった金があれば、他の町に引っ越してそこで転職できるかもしれないな……)
アルフレッドは今、目の前で寝ている友人の金を盗もうとしている。
いや、そんなことをしてはいけない。昔の自分ならともかく、今の自分は改心したのだ。
でも──
(やっぱり、僕はマリエルを学校に行かせてやりたい。ごめん、マティス。許してくれ)
心の中で謝ると、アルフレッドはマティスの鞄から金貨袋を取り出し、手早く自分の鞄に入れた。
そして、マスターに声をかけて二人分の代金を支払い、逃げるように酒場を出た。
(大丈夫。きっと、ばれやしない。あの酒場には素行が悪い輩も出入りしているし、誰が盗んだかなんてわからないはずだ)
そう自分に言い聞かせながら、アルフレッドはアパートの階段を駆け上がった。
そして、部屋に入ると「ただいま」と声をかける。すると、いつものようにマリエルが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、パパ!」
「ただいま、マリエル」
「その大きな袋は何?」
マリエルはそう尋ねると、アルフレッドが鞄から取り出した金貨袋をしげしげと眺めた。
「パパが頑張って貯めたお金だよ」
「そうなの? パパ、すごいのね!」
「ははは……」
金貨袋をテーブルの上に置くと、アルフレッドは苦笑した。
嘘をつくのは心苦しかったが、本当のことを言えば彼女を幻滅させてしまう。だから、誤魔化すしかなかった。
「そうだ、マリエル。もしかしたら、近いうちに引っ越すことになるかもしれないんだ」
「お引っ越し……?」
「うん。来年は、もうマリエルも学校に行く歳になるだろう? だから、他の町に引っ越して仕事も変えようと思ってね。家も、次はもっと広いところに住もうと思っているよ」
「え!? 広いお家に住めるの!? やったぁ!」
マリエルはぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。
そう、全ては彼女の幸せのためなのだ。大丈夫、きっとうまくいく。他の町に引っ越して、貧困から抜け出すのだ。
アルフレッドは、はしゃぎ回るマリエルを眺めながらそう心に決めた。
深夜。
ふと、アルフレッドは目を覚ました。
何気なく視線を隣に移してみると、自分に寄り添って寝ていたはずのマリエルがいない。
「マリエル? どこだ!? マリエル!」
アルフレッドがいくら名前を呼んでも、返事はない。
嫌な予感がした。ふと、アルフレッドはテーブルの上に置いてあったはずの金貨袋がなくなっていることに気づく。
もしかしたら、泥棒が入って彼女まで攫っていったのだろうか。
「マリエル! どこだ!? マリエル!」
部屋を飛び出したアルフレッドは、血眼になってマリエルを捜した。朝日が昇るまで、街中を駆け回った。
けれど──結局、マリエルが見つかることはなかった。
数週間後。
相変わらず、マリエルに関する手がかりは掴めない。
すっかり意気消沈したアルフレッドはその日の仕事を終え、重い足取りで大通りを歩いていた。
ふと、立ち話をしている二人の男が目に入る。アルフレッドは、二人の前を通り過ぎようとした。
だが、その瞬間。二人が見入っている張り紙──恐らく指名手配犯のポスターだろう──が視界の端に映った。
そのポスターが気になったアルフレッドは、男たちの会話に聞き耳を立てる。
「この犯人たち、まだ見つかっていないんだろ? 怖いよなぁ」
「ああ。しかも、男のほうは強盗殺人犯だろ? 出所したその日に事件を起こすなんて、凶悪だよ」
男たちは、そう話しながら再びポスターに視線を戻す。
アルフレッドは、恐る恐る指名手配犯たちの顔を確認した。
一人目は、全く見覚えのない黒髪の男だった。年齢は四十代半ばといったところだろうか。体型も細身だし、一見、強盗殺人事件を起こすような人間には見えない。
そして、二人目の少女。アルフレッドは、その少女の似顔絵に既視感を覚えた。
間違いない。この少女は──
(マリエル……!?)
どう見ても、マリエルだ。他人の空似だと思いたいが、それにしては似すぎている。
動揺したアルフレッドは、立ち話をしている男たちに詳細を尋ねる。
「す、すみません。もしよければ、この事件のことを詳しく教えてもらえませんか?」
「なんだ? あんた、知らないのかい?」
「今、この街はこの二人が起こした事件の話で持ち切りだぜ」
怪訝そうに首を傾げつつも、二人は事件について詳しく教えてくれた。
事件が起こったのは先月。ちょうど、マリエルが行方不明になったのと同時期だ。
ある男性が、夜道を歩いていた際にひったくりに遭ったらしい。その男性は、それなりに身分が高い人物だったそうだ。
男性は被害に遭った際に犯人を追いかけて揉み合いになり──その結果、犯人にナイフで刺されて死んでしまった。
目撃者が言うには、ナイフで男性を刺したのは四十代くらいの男。その男と一緒にいたのが、マリエルによく似た少女だったそうだ。
「で、でも……なんでその少女まで共犯扱いされているんですか? 普通は、男に誘拐されたと考えるほうが自然じゃ……」
「ああ、この女の子はな。見た目は幼いけど、実年齢は十八歳くらいなんだ。なんでも、エルフの血を引いているから成長が遅いらしい」
「え……?」
「それに、この二人は親子だ。二年前に父親が盗みを働いて捕まったんだがな。噂によると、父親が服役している二年間はどこかの家に匿われていたらしい。恐らく、父親が出所するからその家を出てきたんだろうな。そして、早々にあの事件を起こした……と。全く、とんでもない親子だぜ。なぁ?」
詳細を教えてくれた男は肩をすくめると、もう一人の男と頷き合う。
二人はアルフレッドに「まだ犯人たちがこの辺を彷徨いているかもしれないから、あんたも気をつけな」と注意を促すと、足早にその場を立ち去った。
一人残されたアルフレッドは、マリエルによく似た少女の似顔絵が描かれたポスターの前で呆然と立ち尽くす。
「ああ、そうか。マリエルなんていう子供は最初から存在しなかったのか。ははっ……ははは……なんだ……そっか……」
真実を知ったアルフレッドは、ようやく自分が利用されていたことに気づき自嘲する。
もしマリエルが窃盗犯の娘なら、あの日、金貨袋がなくなっていたことも腑に落ちる。つまり、親子揃って泥棒だったわけだ。
(そういえば、昔、レティシアから『あなたは絶対に幸せになれない』と言われたことがあったな……)
今なら、あの時彼女が言っていた言葉の意味が理解できる気がする。
アルフレッドは、マリエルを幸せにするためにマティスの金を盗んだ。
しかしその実、ただ自分が貧困から抜け出したかっただけなのだ。マリエルを学校に行かせるためというのは、口実にすぎない。
マリエルを養子にしたのも、孤独が嫌だったからだ。つまり、彼女に依存していたのだ。
同時に、アルフレッドは自分が改心したつもりになっていただけだったということにも気づいた。
本当に改心していたら、友人の金を盗んでまで自分が幸せになりたいだなんて思わないはずだからだ。
しかも、その金をマリエルに盗まれただなんて。皮肉もいいところだ。
(うちにマリエルがいたことは近所の住民にも知れ渡っているだろうし、僕が捕まるのも時間の問題だろうな……)
──人はそう簡単には変われない。
己の愚かさを痛感しながら、アルフレッドは冷たく冴えた月を見上げた。