#6.アナの告白
「ごめんなさい、アナ。でも私には、もうこの世界が耐えられないの......弱い私を許して......」
部屋に現れた全てを呑み込むような真っ黒な穴に向かって背を向け立つエラ様も、その時のランプの光を反射して綺麗に輝いていたエラ様の瞳から溢れる涙も、生涯私には忘れることは出来ないだろう。
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私とエラ様は、王家との婚約が破棄されるという重大事件について、旦那様方へ直接詳細を伝えるために一時帰省することにした。ハインド領へ向かう馬車の中でも、エラ様は一言もキングストン様とのことについて話さなかった。
緊急時にのみ借用が許可される、学校の特急馬車で来たため、ハインド領へは日が沈む前に着くことができた。急ぎで出した手紙が無事に届いていたのだろう。ハインド家へ到着すると既に、奥様と旦那様は屋敷から出て心配そうにエラ様の帰りを待っていた。
すぐさま私を含めた4人で応接間に入ると、エラ様の心配をする旦那様方をよそに、エラ様は淡々とキングストン様の気が変わり婚約破棄を言い渡されたことを報告した。
「お父様、お母様。私が至らないばかりに、このような事態に陥ってしまい申し訳ございません......ハインド家の娘としてご期待に沿うことができず......」
頭を下げる娘の言葉を遮り、旦那様は優しく抱きしめた。
「王家の命だからと断れなかった不甲斐ない父を許しておくれ......婚約を受けなければお前にこんな思いもさせずにすんだというのに」
「私は大丈夫ですわ、お父様。......ただ、公爵家の娘としてお父様のお役に立てなかったことが......」
「......違うんだ、エラ。お前の幸せを守れないような地位など私達はいらないんだよ」
旦那様も奥様もエラ様の幸せが1番大切だと思っている。そして、自分を大切にしてくれた両親の名に恥じないようにエラ様は気高く完璧な淑女であろうとしていた。
いや、事実エラ様は完璧な淑女だった。エラ様より素晴らしい淑女などこの国にはいないのに、キングストン様は一体何が不満なのだろうか。
キングストン様の婚約破棄理由を聞いた旦那様は、ため息を吐き頭を抱えた。
「......なんてことだ。そんな、自分のプライドの為だけに国益となることが分かっている婚約者を手放すのか......? そんな馬鹿げた人間にエラを任せようとしていたなんて──」
「ジェイコブったら」
旦那様の不敬罪へ問われそうな発言を嗜めながらも、奥様自身キングストン様のことは許せないようだ。これからハインド家として、王家との関わり合いについて話している間にいつのまにか日が暮れていた。
婚約破棄が正式に決まるまで、王家とのやり取りは公爵夫妻が行うことに決まり、朝から長距離移動へ見舞われたエラ様は早々と自室で休むこととなった。
「エラ様。今朝お渡しそびれてしまっていたのですが、シーラ様よりお手紙をいただいております。すぐお読みになられますか?」
「もちろんよ、アナが受け取っていてくれて良かったわ」
今朝あんなことがあったエラ様をお一人にするのは気が引けたが、エラ様はシーラ様のお手紙は必ずお一人で読みたがる。仕方なく、何かあればすぐにお呼びくださいと念を押してから部屋を後にした。
シーラ様からの手紙を読もうとしていたエラ様に、就寝の挨拶をして部屋を引き上げてから、1時間もしてないだろう。
使用人の部屋に戻り、寝る支度をしていると遠くの方から地響きが聴こえ、ランプや水差しの中の水が震えているのに気づいた。その瞬間凄まじい轟音と共に部屋が、屋敷が揺れた。
揺れはすぐに収まったが、大きな揺れだったので屋敷の中は被害点検の為に忙しそうにする使用人で溢れていた。
すぐさまエラ様の自室に向かい扉を開けると部屋の中は机のランプの明かりだけが灯されていて暗いというのに一際真っ暗な空間がはっきりと見えた。ポッカリと空いた禍々しい空間がある異様な光景に肌が泡立つ。よく見るとその異様な光景の中にエラ様が立っているのが見えた。
「エラ様っ......!! こちらへっ!!!」
優しく広がった星のような煌めきのエラ様の髪が穴の方へ吸い込まれるようになびいている。とてつもない恐怖を感じながら駆け寄ろうとするが見えない壁に阻まれる。
目の前にいるのに、私の手はここにあるのに何故伸ばせないのだろう。
私に気づいたエラ様は、こちらを向いて見たこともない悲しそうな表情で私に謝りながら真っ黒な穴に向かって倒れた。
エラ様が倒れると穴はすぐに小さくなり消えた。それと同時に見えない壁も消えたのか、自分を支えていた力がなくなり勢いよく顔から床へと倒れ込んだ。
鼻からドロリと温かいものが顎を伝って床へ滴り落ちるが気にも止めずにエラ様の元へ駆け寄る。
エラ様はどこか遠い場所に行ってしまったと思っていたが、豊かな髪がキラキラと絨毯の上で天の川のように光っていた。急いで抱き起こそうとするがエラ様の体はまるで抜け殻のようにダラリとその美しい四肢を投げ出しており、血で濡れた手では滑って上手く起こせない。
「エラ様! 大丈夫ですか......!」
いつも笑って返事をしてくれるエラ様の顔が動かない。綺麗な顔はまるで初めから動いていない人形であったかのように冷たく、瞼は閉じられたままだ。
自分の鼓動が早鐘のように鳴っている。心臓が耳の隣にきたようにうるさくて何も聞こえない。震える手でお嬢様の手を握ると何か手に当たった。
そっとエラ様の手を傷つけないように取り出すと私宛のエラ様からの手紙だった。
貴方がこの手紙を読んでいるということは、私は此処ではないどこかへ旅立てたのですね。優しい貴方の事だからきっと泣いていてくれるのでしょう、本当にごめんなさい。此処に私が何をしたのか記します。
この秘密をどのタイミングで誰に打ち明けるかはアナに任せます。聡明な貴方なら然るべき時に必要な方にだけ伝えてくれると分かっているので。
私はこの世界に居ることが耐えられなくなるほど辛い時に使うようにと、お祖母様から教えていただいた秘術を使い、この世界を去りました。
この秘術は、同じ魂をもつ別世界の私が別の人生を歩みたいと願った時、魂が入れ替わるそうです。別世界の私の許しがでない場合、私は眠り続けるでしょう。どれだけ眠り続けるのかわからないけれど、私はこの世界に止まり続ける勇気がなかったの。もしこのまま目覚められなくても悔いはありません。
ただ、この世界の私が目を覚ました時、私ではない誰かが代わりに目を覚まします。貴方には、ぜひその方の力になってあげて欲しいの。私と入れ替わる方は、住んでいる世界は違えど共通する魂をもっている者らしいので。どうか、別世界の私がそちらの世界で幸せに生きていけることを願います。わたしのわがままを許してね、アナ......
次に目を覚ましたお嬢様が、私の知っているエラ様ではないことはすぐにわかった。それでも確かめずにはいられなかった。
真っ青な紅茶を淹れている時手が震えていた。そっと差し出したカップの紅茶をいつものようにこう言うのだ。
「ねぇ、アナ。貴方の色を私の色に変えてくれるかしら?」
エラ様がそういたずらっぽく私に微笑んだら、私がレモンをエラ様の紅茶へ入れる。しかし、期待を込めて見つめていた紅茶が、青いままお嬢様に吸い込まれる様を見て確信した。
私のお慕いしたエラ様がこの世界から消えた事を。
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話し終えたアナの瞳は悲しい色をしていた。すっかり日も落ちた部屋は暗く、アナの綺麗な青い瞳も夜の闇を吸収してわからないほどだった。アナは全てを知っていた。そして全てをエラの為に自分一人で背負い、話してくれた。
話を聞き終わった咲は、血の気が引いていくのを感じた。今の話からもアナがどれほどエラを慕っているか伝わってきた。それなのにアナの目の前でエラの真似事をしていたなんて、どれだけ彼女を傷つけたのだろう。
「アナさん、ごめんなさい。騙してしまって......私どうしていいか分からなくて......言い出せなくて......違う世界から来たなんてわかってもらえないと......本当にごめんなさい......」
「いえ、寧ろ巻き込んでしまい、申し訳ありません。知らない世界に飛ばされて不安なのはお嬢様の方ですから」
大切な人の名を騙った私に優しくしてくれ、誰にもわかってもらえないはずの状況をわかってくれている人がいることの安心感と、嬉しさと申し訳ない気持ちがごちゃ混ぜになり思わず涙が出てきてしまう。慌てて咲は溢れる涙をハンカチで受け止めた。
「ごめんなさい、急に。人前で泣くなんて恥ずかしい」
アナは優しく咲が落ち着くまで寄り添って居てくれた。
「──それでこの世界には魔法のようなものってないのよね...?」
「はい。私もお嬢様の件以外では確認しておりません。一般的な事ではないのであまり信じていただけるとは思えないですね」
キッパリと言い切ったアナに驚いていると、でもと言葉を続けながらこちらをしっかりと見据えた。
「たとえお嬢様がエラ様ではなくても、私は貴方様の味方だと誓います。なのでどうか私を頼ってくださいお嬢様......」
咲は吸い込まれるような青さに見つめられ心が高鳴っているのをバレないように胸に手を当てる。心細いこの状況で言われてグッとこない人間はいないだろう。
「あ、ありがとうございます......改めて、自己紹介させてください。 私の名前は、青嶋咲と言います。年齢は21歳で特筆すべきところもない普通のOLでして、高木由愛って子とルームシェアを......」
そこまで言いかけて固まる咲の顔を、アナは心配そうに覗き込む。
「アナさん魂が入れ替わると、私とエラ様が入れ替わったと言ってましたよね......じゃあエラ様は私の体に......!! ど、どうしよう!! 向こうとこちらの世界じゃ全然違うのに!!」
不安げな咲とアナは目を合わせる。どちらの目も互いに見ておらず、思いは遥か遠く別の世界にいる者へ向けられていた。