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狼は春を唄う  作者: ほたる
砂敷村(さじきむら)
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1


貴方も飲みなさいな、と言われて客人はようやくお碗に口をつけた。


柔らかい水の感触が口の中を支配した。そういえばまともに水を飲んだのは随分と前だった気がする。客人は勢いよく水を飲み込んだ。喉元でつっかえて盛大に咳き込んだ。


「ゆっくり!ゆっくり飲んで」


家主に背中を叩かれながら客人は何杯も水を飲んだ。張り付いていた喉が、口の中が、潤ってその機能を取り戻していくようだった。


気が済むまで水を飲んだところで家主が別のお碗を持ってきた。静かに湯気を立てているそれは部屋の中を満たす匂いと同じ匂いがした。


「野菜を煮詰めて作ったの。ずっと眠ってたから急に硬いものを食べるのは危ないと思うし。でも栄養はつけなきゃでしょ」


それとも、と家主は首を傾げた。


「まだ毒の混入が心配?」


「いや」


客人は首を振った。それなら良かったと家主は出汁をスプーンで掬い、息を吹きかけて軽く冷ました。


差し出されたスプーンを客人は有り難く口の中へ入れた。ものを食べるのは水を飲むより久しぶりだった。


出汁は甘さと辛みが程よく同居していた。空っぽの胃の中をじんわりと温めながら優しく広がっていく。幾らでも飲み込めてしまいそうだ。軍にいた頃はこんな料理は滅多に食べられなかった。


感動の余り家主を見つめると家主はふにゃりと眉尻を下げ、口角を上げた。出汁と同じく優しさが全面に出た笑顔だった。


「もう少し食べられそう?」


激しく何度も首を縦に振った客人に家主はくすくす笑った。何をそんなに笑えるのか不思議だった。


客人は出汁も一滴残さず全て飲んで再び床についた。


指先まで体が温かい。


橙色の灯りの中で家主はお碗を片隅にまとめたり、鍋を火から下ろして台の上に

移動させたりしていた。お碗は明日の朝、川に洗いにいくのだ。残った夕食は朝ご飯にする。


ぱちぱちと爆ぜる音がする。火の音はこんなに穏やかだったのかと客人はため息をついた。


戦場で聞いていた炎の音はもっと大きくて不吉だった。爆発音も、怒号も、悲鳴も。恐らくここはその全てから遠い場所だ。こんな場所がこの世にあったことを客人は初めて知った。そしてそんな場所で生活している家主は自分とは違う生き物のように思えた。


生き物の質が違う、と。その昔、所属していた部隊の少佐が椿のことを言っていた。


そうか。家主は椿と同じ生き物なのだ。鬼の俺とは違って。だとしたら、きっと大丈夫だ。


客人は目を閉じた。そして今度こそ深い眠りについた。


寝息を立て始めた客人の枕元に家主は静々と座った。


恐らく彼は世間で言う鬼の子だろう。鬼の子というのは、戦時下で従軍していた少年兵だ。彼らは意図的に軍に作られた子供達だった。予め決められた者の精子と卵子を人工授精の上で着床させ、妊娠期間中から厳密に管理される。生まれるとすぐに母親とは引き離され、軍の施設に入れられる。食べ物や見聞きするもの、行動まで全てが軍に管理され、兵士としての訓練を施される。早ければ10歳で軍隊に配属されるのだ。




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