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狼は春を唄う  作者: ほたる
砂敷村(さじきむら)
21/32

3


「今日は戦争が終わって初めて羽多子へ行くから、ここに来なきゃって思ったの」


泉桜の手は小さく震えていた。


昂った気持ちを抑えようと、1度ゆっくりと息を吐き出す。そして目を閉じると、手を合わせて死者を想った。


空も風も街道の景色は何ひとつ変わらない。あの日突然降って来た鉄の塊が、偶々居合わせてしまった人々の日常をもぎ取っていった。


「……怖くはないのか」


忌々しい記憶を残している場所をこうして歩くことは。


もしかしたら焼かれていたのは、バラバラにされていたのは、泉桜だったかもしれないのだ。


泉桜はそれには答えなかった。少し間を置いて、言葉を絞り出した。


「私はもっと頑張って、ここで亡くなってしまった人達より、もっと沢山の人達を助けるわ」


誰も死者の代わりにはなり得ないけど。その人達がきっと、悲惨な時代を終わらせる一助となってくれるだろう。


固い表情で防空壕を見つめる泉桜の視界の端で、黄色い花が寂しく揺れていた。


小さな後ろ姿が痛々しい。佑真の胸が、またちくりとした。



      * *



羽多子集落に着いた頃には、太陽がだいぶ上へと登った頃だった。


集落は街道を外れ、森へと入ったところにあった。この森も砂敷と同様に枯れている。


集落の入り口には、巨木を何本も並べて括りつけた門があった。石でできた壁に囲まれていて、中の様子は全く見えない。


門の前には屈強そうな大男が1人で立っていた。どうやら泉桜を出迎えに来たらしい。


姫御前ひめごぜ!」


豪快に泉桜を呼んだ大男は、がさつな動きで手を振っている。声に驚いて壁に留まっていた小鳥が逃げ出していく。


泉桜も晴れ晴れと笑って手を振り返した。


「ご無沙汰してます!」


一向は門の前で向かい合った。大男と比較すると泉桜が益々小さく見える。佑真も背は高い方だったが、それでも尚見上げなければ男の顔は見えなかった。


「元気にしていたか?……ん?」


男は泉桜の後ろに立っている佑真を見ると険しい顔をした。


この辺りでは見慣れぬ軍服姿。絶対零度の無表情、昏い瞳。程よく筋肉のついた良い体をしているが、全く生気が感じられない。


「……姫御前、いつの間にか婿をとったのか?」


佑真を見定めながらそう言った男を、泉桜は渾身の力で叩いた。


「やだとおるさんてば!」


叩かれた張本人はびくともせず、どちらかと言えば泉桜の方が反動でよろけていた。


「この人はね、最近砂敷で暮らし始めた人なのです」


佑真くんです、と泉桜が紹介すると、佑真は軽く頭を下げた。暢も同じような動作で頭を下げた。それから無遠慮に佑真を指差すと、戸惑いつつ泉桜を見下ろした。


「姫御前、なんかこいつ、怖いぜ」


「怖くなんかありませんよ」


ね、と振り返った泉桜に佑真はどう反応すれば良いか分からなかった。泉桜は元々返事を期待していなかったらしく、すぐに暢へ向き直った。


「今回は佑真くんが私とここまで来てくれたのです」


「……ま、事前にやり取りした書簡では誰が一緒に来るとまでは明記されて無かったからな」


余程の事情が無い限り、事前に集落へ行くことを伝えていなければ、入れないこととなっていた。それは集落から砂敷へ来る時も同じであった。


仕方ねえ、と暢は頭を掻いた。そして門の向こうへ大声で、


「姫御前とお付き添いの方がご到着された。開けよ!」


と伝えた。ゆっくりと巨木の門が上がっていく。


まず初めに門を開ける男達の姿が見えた。暢程ではないが、やはり屈強な体つきである。その男達が左右に2人ずつ分かれて、太い綱を引っ張っていた。人が入れるくらいまで門を開けると、男達は綱を門の脇にあった柱に固定した。


馬の嘶きが聞こえる。門の近くには馬小屋があった。この馬は羽多子の人々にとって重要な交通手段となっている。家の作りは砂敷と変わらないが、鶏や牛などもいて、風景はかなり違った。風に乗って獣の匂いがした。


一向が中へ入ると男達はまた門を閉めていた。どすん、と砂埃をたてて閉まった門を、佑真が振り返った。


「いかんせん、少人数の集落だからな」


気づいた暢が足を止めて説明してくれた。


「外部からの脅威には殊更敏感なんだ」


それも必要なくなるだろうが、と暢は言う。何せ戦争が終わったのだ。


「物流網がもう少し整ってきてこの門が開かれるようになったら、羽多子ももっと栄えるでしょうね」


泉桜は目を輝かせながら集落を見渡した。家の前で鶏の世話をしていた女が、泉桜に気付いて会釈している。


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