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村人達は日の入りと共に起床する。居住区に入ると、所々に置いてある井戸の周りに人が集まっていた。皆顔を洗ったり、歯を磨いたりするのだ。
泉桜は井戸がある度に律儀に足を止めて、挨拶をした。時々体調を確認しては肩に掛けた鞄の中から薬を出している。
皆眠そうにしつつ、泉桜を囲んで仄々と話していた。体調の他にも、作物のことや、家のこと、道路のことなど話題は多岐に及んでいる。
しかし、少し後ろで亡霊のように立っている佑真に気づくと顔を強張らせた。そしてそそくさと散っていった。
先日泉桜の家に来ていた子供達は、積極的に佑真に声を掛けて来た。が、隣にいる親が良い顔をしなかった。中にはあからさまに子供を叱る親もいた。
居住区を出て、畑の脇の道を歩きながら、泉桜は己の無力さを噛み締めていた。ここにいていいと言ったのは自分なのに、佑真に肩身の狭い思いをさせている。
佑真は律儀に泉桜の真ん前を歩き続けている。
何も言わずに風除けになってくれた優しい背中を見上げて、泉桜は心から祈った。
この人の心根がいつかきっと皆に伝わりますように、と。
村の入り口には大きな窓がついた木の小屋があった。ここは役所であり、村を出入りする人間の管理をするのが仕事だ。役所の後ろには村の周囲を見張るための櫓が立っている。ここで何処へ行くか、何をしに行くか、何時に戻るかを伝えなければならない。これを行わずに出た場合、再び村に入れなくても文句は言えないのだ。また、出先で事件に巻き込まれた場合に助けて貰えないこともある。不審人物を入れないため、厄介事を持ち込まないために必要な措置だった。
2人が村を出る頃には、太陽が完全に登りきっていた。空のずっと高いところで鰯雲が泳いでいた。
村から出た2人は旧街道を歩き始めた。昔は砂敷以外にもいくつかの村があってそれなりに栄えていた。しかし年々世帯数が減り、遂にどの村も消滅してしまった。新しく街道が出来てからというもの、旧街道はすっかり寂れてしまっている。
旧街道は元々森であった場所を切り拓いた道で、見渡す限り枯れ木が続いていた。枯れ木達が何故か不格好に切り込まれているお陰で、陽光が満遍なく降り注いでいた。歩いているとうっすら汗をかくような陽気である。足元は全く整備されておらず、石や木の根がごつごつと浮き出ていた。気をつけて歩かなければ足をとられてしまう。
少し先の地面を見ながら黙って歩いていると、泉桜の方から話しかけてきた。
「佑真くん、何も思い出せそうにない?」
「なにがだ」
「ちょうどこの辺りで倒れていたのよ」
改めて辺りを見渡してはみたものの、枯れ木の森に見覚えのあるものは何もなかった。
佑真は少し考えて、雨が、と呟いた。
「雨が降ってた。雷も鳴ってたと思う」
「そうね」
そうだったわ、と泉桜は空を見上げた。もう随分と昔のことのように思えてしまう。大きな鳥が呑気に空を旋回していた。
「俺はその中をずっと歩いていた」
それ以外は何も覚えていない。
正面を見据える佑真の瞳が物憂げに細められた。
重傷を負いながら、生存本能だけが働いていたのかもしれない。佑真は殆ど意識がない状態だったのではないか。
「佑真くんのこと、見つけられて良かった」
ぽつりと泉桜は漏らした。
この悪い道を、たった1人で歩く佑真のことを泉桜は想像した。酷い怪我を負いつつ、雷雨の中を苦しみ喘ぎながら歩いてきたのだろう。
佑真は横目で泉桜を見下ろした。泉桜は労うような、切ない表情で佑真を見上げた。
「よくここまで歩いてきたわね」
ぽつん、と。
佑真の中にその言葉が落ちてきた。言葉に出来ない何かが漣となって広がっていく。油断したらもう1歩も動けなくなってしまいそうな。
なんだ、これ。
「……」
佑真は目を逸らした。もう1度泉桜を見たならば、己を保っている糸が切れて自分を無くしてしまうかもしれない。それが今はとても恐ろしくて、当分は泉桜を見られないと思った。
それから2人は並んで黙々と歩き続けた。
泉桜は時折花をつけた雑草を見つけて、摘み取っていた。