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狼は春を唄う  作者: ほたる
砂敷村(さじきむら)
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見渡す限り茶色く澱んでいた。数センチ先が全く見通せない。もうもうと空気の流れに乗って揺蕩っているそれは、細かな砂の粒子だった。


少しずつ砂煙は晴れていった。


黒い人影がぽつりぽつりと見えてくる。


蹲っている者や、それを介抱している者。咳き込む声や、泣いている子供の声も聞こえて来る。中には倒れたまま動かない者もいた。逃げ出そうとした者がその体に躓いて転んだ。また砂煙が舞い上がった。


何があったのか思い出せない。呆然と座り込んだままの泉桜の後ろから、何かが迫ってくる。振り返った泉桜の目に、旋回してこちらに戻ってくる飛行機が見えた。高度を落として迫ってくる。運転席に座った若い男と目が合った……。



     * *



はっと息を飲んで泉桜は飛び起きた。


体中の脈という脈が悲鳴を上げている。首筋をつう、と冷たい汗が伝った。


格子窓から大きな月が覗き込んでいた。とろりとした黄色い月明かりが降り注いでいた。微かに秋の虫の涼やかな鳴き声が聞こえて来る。


壁に寄りかかって窓の外を見ていた佑真が、突然起き上がった泉桜に目を移した。


「どうした」


寝巻き姿で、軍刀を片腕に抱きかかえている。


戦場にいた頃の名残なのか、佑真は横になって眠るということをしない。いつも軍刀を傍に、浅く眠っては目を覚ますということの繰り返しだった。


「どうした」


ぼう、と佑真の姿を眺めている泉桜にもう1度問う。泉桜ははっと意識を取り戻して、下手くそに笑った。


「怖い夢見たみたい」


「怖い夢?」


佑真は操り人形のような動作でかくっと首を傾げた。昏いがらんどうの双眸が暗闇への落とし穴のようにぽっかり浮かんでいた。


「……日の入りはまだまだだ。今日は遠出すると聞いている」


もう少し眠っておいた方がいい。


そう言い残して佑真は目を閉じた。深い呼吸の音が1度聞こえた。


「……うん」


弱々しい声で返事をした泉桜はまた布団に潜り込んだ。


まだ鼓動が早い。胸の奥がざわざわする。


掛け布団代わりの半纏の中で膝を抱えて丸くなり、目を閉じた。しかし眠ればまた同じ夢を見るかもしれない……。


その晩泉桜は殆ど眠ることが出来なかった。


     * *


砂敷村さじきむらから出て4時間程歩いたところに、羽多子はたごという集落がある。砂敷村と違い畜産が盛んな集落であり、時折お互いに行き来があった。


この日泉桜はいつもよりずっと早く起床すると、身支度を整えて、日の入りと同じくらいに家を出た。


薬草を届けるついでに肉を貰ってくるのだという。


いつもは自警団の誰かが共に行くことになっているが、この日は佑真と一緒だった。佑真は病み上がりだった為、村に残って貰う筈だった。ところが彼は羽多子行きを志願した。曰く、自警団の誰かといても気が休まらないため動いているのと変わらない、と。


「これからずっと歩くのだから、辛くなったら言うのよ」


寝不足のせいか、いつもより青白い顔をした泉桜は歩きながら佑真に言い聞かせた。


夜明け前後特有の強い風には、秋の気配が強く感じられた。


羽織ったケープコートの中で泉桜の体が縮み上がる。軍刀を腰に佩いて泉桜より少し前を歩いていた佑真は、その様子を見て椿を思い出した。


椿と出会ったのは、ここからずっと北の地だった。雪に覆い尽くされた深い森は、白い地獄とまで言われていた。突き刺すような冷たい風に吹かれて、椿は何度も足を止めそうになっていた。その椿の手を初めて引いたのはいつのことだっただろう。この地獄では歩みを止めた者から置いていかれてしまう……。


ここより遥か北の国のことだ。恐ろしくて、厳しくて、だけどほんの少しだけ甘い、昔の話。


今目の前にいるのは椿よりもずっと小柄な、民間人の子だった。あの北国よりもずっと暖かな風に震えている泉桜に、佑真の胸の奥がちくっと痛んだ。なんだろう、と胸に手を当てた。不整脈だろうか。


佑真は泉桜の真ん前に立って歩き始めた。泉桜が不思議そうに佑真の後頭部を見上げた。


佑真は黙々と前を見て歩き続けた。




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