05 星の導き ⑦
「……どうして、逃げないの?」
躊躇わずに、背を向けて逃げればいい。食べるために狩りをしている訳でもないのに、追いかける理由がない。それなのに、何かの言い訳をするように泣き叫び続けている男が、何をしたいのか分からなかった。
私の言葉に、男は怯えの中に意味が分からないと言う表情を浮かべて、オロオロとこちらを見上げた。この人間達との間には、理解に深い溝があるらしい、と判断する頃になってようやく男はジリジリと後ずさりを始めた。
「グルルルルゥッ」
「うぁあああああっ」
焦れったくなって兄さんがあげた唸り声に、男は脇目も振らずに逃げ出して行った。思わず息を吐いて気を抜きたくなるのをグッと堪えて、周囲の気配と臭いを集中して探る。
《近くに敵影はない》
《……ありがとう、兄さん》
ひどく疲れた気分だったけれど、止めは必要がないか私達が殺した人達の息を確認して回った。既に誰も息をしてはいないことを把握すると、さっき一人の喉に突き刺したまま放っていたナイフを苦労して引き抜き、一人に放ち眉間を貫いた矢を回収する。
《その鏃は、換えた方が良いだろう》
そう言いながら、ロロ兄さんは労るように私の頬を舐めた。ザラリとした感触に、血の匂い。このままじゃ、無闇に獣を引き寄せてしまうから、魔法で出した水で兄さんと私を丸ごと洗うことにする。
《ユリート・イドラ……チェルテ・ラストレア・セクレ》
この魔法なら、何も考えなくたって自然と口をついて出る。この時ばかりは、小さな子供の頃から沢山汚れて、エルにこの魔法を散々かけてもらっていて良かったと感謝した。私と兄さんがキレイになるのを見計らったように、ナジークが飛んできて私の肩に止まった。
《ナジーク……さっきは、ありがとう》
《構わナイ。私はソコのダイアウルフのよウに、戦えル訳ではナイからナ》
《うん。でも、お陰で私は生きてる》
私がそう言って羽を撫でると、機嫌が良さそうに喉を鳴らした。
《疲れただろう、リア。乗るといい》
《ありがとう。あ……でも、ちょっとだけ》
兄さんから数歩離れて、その場で跪く。視界には、四つの骸。どこから来て、どこへ行くのかも分からなくなってしまった魂の抜け殻だ。
《ヴァーレ・レティオラ・メディナ》
眠れ、尊き魂よ。
いつものように……いや、いつも以上に自己満足でしかない祈りを捧げる。さすがに人間は食べてあげられないから、ここに残して行くしかない。巡り巡って土に還ることが、動物にとって最後に行き着く先ではあるけれど、それはこの人達にとってもそうなんだろうか。
立ち上がって、まだどこか胸の奥に割り切れないものを感じながらも、先へ進まなくちゃいけないと頭を切り替える。兄さんに括りつけていた荷物が、どれも無事なのを確認すると、その背中に一息で飛び乗った。まだ夜は始まったばかりなのに、気を抜いたら眠ってしまいそうで、出来る限り身体を起こして前を見据えた。
《盗賊は殺して奪うのが仕事の連中だって、ライが言ってたけど……本当にいるんだね、そういう人達。人は人を食べないのに、どうしてそんな事するんだろうって、ずっと分からなかった。でも、こういうことなんだ》
《ああ……喰わずとも、殺すことはできる。後味は悪いがな……だが、殺さなければ、死んでいたのはお前だ。リア》
優しく撫でるみたいな、そんな温かくて柔らかい兄さんの感情が流れ込んできて、私はようやく安心して息を吐いた。
《旅はまだ、始まったばかりだ……今なら、引き返せるぞ》
続いた兄さんの言葉に、私は目を見開いた。ここはきっと、大事な分かれ道だと、そう直感した。すぐには返事を返さずに、心の中で考える。
(私は、どうしたい……?)
いつだって、そこから考え始めること。どうすべきかではなく、どうしたいのか。世界が作る規範の奴隷にならないためには、それが大事だとエルが言っていたから。
「ほう……無傷で生き残りましたか」
そんな、どこか意外そうな声が響いた瞬間、兄さんが勢い良く地面を蹴った。
「兄さんっ?」
思わず肉声で発してしまった声に、多少は人間の言葉を解する兄さんも、今は返事なんて返してはくれなくて。
「おっと」
ちっとも驚いていないような平坦な声でそんなことを言った本人より、私の方がこの状況に血の気が引くのを感じていた。
「グルルルルルァアアアッ!」
聞いたこともないような怒りの咆哮をあげた兄さんが、さっき私が盗賊に剣を向けられていた時よりも荒れ狂う感情を爆発させて、フィニアス師の上にのしかかった。
《善くもっ、善くも俺の家族を危険に晒してくれたなっ!》
《っ、兄さん》
慌てて兄さんの背中から飛び降りて、フィニアス師に駆け寄るけれど、彼はダイアウルフに押し潰されかけているとは思えないような、平然とした表情を浮かべていた。
《何故、リアを置き去りにしたっ……貴様は彼女の父親から託されたのではなかったのか!何がしたかったのかは知らんが、それは護るべき責任を放棄してまで必要なことだったのか?万が一、リアが死んでいたらどうするつもりだったっ》
《兄さん、落ち着いて》
どれだけ呼びかけても、譲る気がないらしい兄さんは、フィニアス師の上から退こうとはしなかった。
「……君の兄君が、怒り狂っているように見えるのですが、彼に退くよう言って頂けませんか。胸骨が圧迫されて、さすがの私も少々苦しいです」
「それが、さっきから呼びかけているんですけど、応えてくれなくて」
フィニアス師は私の言葉に眉を顰めると、諦めたように溜め息を吐いた。
「それでは、彼が何をお怒りなのか翻訳して頂けませんか」
兄さんが何を考えているのか、フィニアス師には分からないのだと言う当然の事実が、彼を相手にすると何だか意外なものに感じられて、思わず目を瞬かせた。
お気に召して頂けましたらブクマ・評価★★★★★お願いします。




