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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第1章―嘆きの旅人―
4/277

02 歩み始めた幸福 ①

 *


02 歩み始めた幸福


 日々の中に、時折ぞっとするほどの寂しさがあった。

 なぜなら、どうしようもなく幸福であったから。


 *


 手の中の透明な球体に、いっそ(なまめ)めかしいくらいに美しい、白銀の液体がとろとろと満ちている。一見すると水銀のようではあるが、その正体は液化した銀だ。

 明かり採りのためにくり抜いた窓から零れる光に、歓喜するかのように光り輝く様が、水銀に比してより眩しく感じるのは恐らく気の所為(せい)ではないだろう。最も、それをこれから証明しようとしているのだが。正確には、証明する過程の作業の一つである。


 ガラスで閉じた球体の内部は、ガラスも溶けそうな程の凄まじい熱を有しているはずだが、微塵の熱もこの手に伝えて来ることはない。幾度となく繰り返して来た作業ではあるが、球体の内外に適切な保護が掛けられていることを確認し、小さく息を吐き出した。ここからは時間と精神力との勝負になる。

 空中でそっと手を離せば、微かな揺らぎを見せただけで球体は宙へと浮いた。この程度の魔法であれば『言葉』で縛る必要もない。今の揺らぎの余波か、溶けた銀が美しい波紋を描き、またすぐに静けさを取り戻した。


 もう一つ空の球体を宙に浮かべ、二つの球体が安定したことを確認し、黒檀の作業台の上に手を置いて魔法陣を描き出す。大鹿の角を模した、守護を意味するアルギズのルーンを三方に配し調和を保つ。円の周に沿って、陣の内と外とを隔てる術句を刻み、力を増すための完全なる三角形を幾重にも重ねただけの簡易的な結界だ。

 これで銀が溶けるくらいにまで熱して圧力を調整している球体が、更に魔力を加えることで吹き飛んだり大爆発を引き起こしても、恐らくは大丈夫だろう。大丈夫だと信じたい……いずれにせよ、錬金術の実験には危険が付きものと相場が決まっている。取れるだけの安全策は取ってあるのだから、これ以上気にしても仕方のないことだ。


 魔術を行使することに躊躇いや不安を感じたことなどない。魔力は酸素の如く必要不可欠で、魔術は己の手足のようなものだ。事実『使う』と決めれば、淀みなく唇から言葉は零れた。


《チェルテ・オーディア・アルギス……セクト・イゾラ・ニテンサ》


 銀よ、その本質を示せ。輝きよ、単離せよ。


 古の言葉で命じれば、銀と繋がる魔力を通じて意思が注がれ、指向性を与える。少しの反発はあったものの、銀からその性質の一つである金属光沢が剥ぎ取られていく。自然界においては有り得ない現象だが、確かに『銀』が存在していた球体の中には輝きを失った不気味な液体がドロドロと横たわっていた。

 その代わりと言うべきか、もう一方の空であった球体の中には、眩いばかりの『光』が満ちている……成功だ。


《イペンドレ》


 球体内部の性質を固定させるための言葉を紡ぎ、左手で作業台の上の魔法陣を撫でるようにして結界を解除する。淡く蒼の光で描かれていた円形の陣が消えるのを見届け、二つに分かたれた銀の入った球体を様々な角度から観察しながら、微に入り細に入り記録していく。

 実験中の銀の変質の様子、熱、圧力、光の程度……書き留めなければならない項目は多いが、毎日のようにこなしていること故に然程の苦労もない。地味な作業だ。ただ、錬金術師に必須にして誰もが忌避する、この基礎実験と記録の作業を私は比較的好んでいた。


 そろそろ羽ペンの先を削らねば、いや羽を新しくすべきかと考えながら、最後の一文を書き上げて深く息を吐き出した。目の前がチカチカとするのを感じながら、思っていた以上に自分が長時間集中していたことに気付く。

 そうしてハッと気付いた。それだけの時間集中していたということは、それだけの時間『あの子』を放って置いたということに他ならない。声一つ挙げないから完全に忘れていた、というのは言い訳にもならず、恐る恐る振り返る。

 そこにはアクアマリンの如き美しい宝石がばらまかれた中で、無邪気にキラキラとした瞳で私を見つめる我が娘・レイリアの姿があった。


「っ、おい、リア……宝石を()き散らして遊ぶのは止めなさいと、言っただろう」

「あう?」


 よくわからない、とでも言うように小首を傾げるレイリアに、軽い頭痛を覚える。いつしか喉がカラカラに乾いていた。一先ず気を落ち着かせるためにも、水分補給のためにも、水差しを取ってゴブレットに注いだ。

 喉を滑り落ちていく冷たさの中に、何枚か入れておいた涼やかなミントがフワリと香り、熱をもって痛みを訴えていた頭が少しだけ楽になるのを感じた。


「ほら……お前も呑みなさい」


 レイリア、今は『リア』と呼んでいる娘の傍に(ひざまず)き、軽く手を添えてゴブレットの水を呑ませてやる。彼女と出会って三ヶ月ほど経つが、最近はこうした普通の大きさのものでも、あまり零さずに飲み食い出来るようになってきたように思う。

 頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細める姿に、知らず肩に入っていた力が抜けていくのを感じた。


「……それにしても、よくぞここまで散らかしてくれたものだ」


 口の端に思わず呆れた笑みが浮かぶのを感じながら、部屋の中をぼんやりと見渡した。床の上は惨状、というよりは壮観、とでも言った方が正しい表現であるように思える。


 まさに宝石箱を引っくり返したように(実際に引っくり返すような箱を持った試しはないが)淡く透き通った空色の宝石が、オークの木を切り出して敷いただけの床に散らばり、柔らかな午後の光を浴びて(きら)めいている。その中央に王女殿下のごとく堂々と座したリアは、ミント水を呑んで更に元気が出たのか、また手を伸ばして空中から宝石を『生み出し』てしまう。


 私は仕方のないヤツめ、と息を吐き出しながら、そっと彼女の手を取り上げた。






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