04 千客万来 ⑥
「さて、君の様子を見に来た、と言う目的に嘘はありませんが……そうですね、君が我々を心配してくれると言うのなら、手札の一つになって頂きましょうか」
「構わない」
間髪を入れずに言葉を返せば、彼は耳を疑うように目を見開いて私を見た。彼の『ちょっとしたお願い』の内容も訊かない不用心さに、私の脳味噌の方を疑っているのかもしれない。そんなもの、断った所であの手この手で私を頷かせるのだろうに。何はともあれ、少し意趣返しが出来たような気になって愉快に思う。
フィニアスは、未だに怪訝そうな表情を浮かべたまま、私の瞳を覗き込んだ。
「君も知っての通り、対レストニアの最終決戦が開始された場合、ここルーベン辺境伯領が序盤の最重要拠点となるでしょう。もしその時が、彼の敵がこの地に攻め込んで来る事があれば、背を向けずに王国軍が到着するまで持ち堪えてくれますか」
「何だ、そんな事か」
「……正気ですか」
今度こそ本気で呆れたように言葉を落とすフィニアスに、正直もっとえげつない要求をされる事を想定していた私は、この人も年を取って少しは丸くなったのかも知れないと、心の中を読まれたら確実に抹殺されそうな事を考えていた。
「そもそも、ここに居を構えている時点でそのような事態は覚悟の上……私は『罪』を贖うためにここで生かされているのだから、むしろそのような形で国に身を捧げる事が叶うのならば、それで構わない」
「君はいつから、そんなに愛国心の強い自殺志願者になったのです」
茶化すような言葉でありながら、どこか彼は怒っているように見えた。それも、今までに見たこともないくらいの強さで、心の底から。何をそんなに怒る事があっただろうかと言う思いと、自分で言い出した癖にと言う呆れと、この人でも感情を揺らす事があるのだなと言うおかしな感慨が入り混じって。
「約束、したから」
誰にも、決して告げないと、墓場まで持っていくと心に誓っていたはずの言葉を、気付けば口にしていた。フィニアスは、小さく息を呑んだだけで『誰と』とは問わなかった。だから、私もそれ以上は口にしなかった。だから、常ならば言わないような事を、その場の記憶に塗り重ねるようにして落とした。
「……それに、何千何万の兵が押し寄せようと、貴方が飛んで来るまで持ち堪えれば良いだけの話だろう」
私の言葉に、フィニアスは虚を突かれたように目を瞬かせて、次の瞬間さも可笑しそうに破顔した。
「君には参りましたよ。全く、人使いの荒い弟分です」
「貴方には負ける」
軽口を叩けば、違いない、と肩を竦めて返事が返る。
「仕方がないですから、馬鹿馬鹿しい戦いに命を投げ出す君を救うついでに、この国も救って差し上げますよ。後は飛行魔法でも完成させておけば良いのでしょう?」
「完成するのか」
「何とかなるでしょう」
この人がそう言うと、本当に何とかなるような気がするし、帝国との間に起き得る大戦でさえ大した事ではないように思えて来るのだからおかしなものだ。
「長い事、独りにして済みませんね」
ポツリと呟かれた言葉に、今度は私が目を見開く番であった。ただそれは、ふと零れてしまった言葉のように聞こえて、聞き返す事も憚られるような気がした。私の戸惑いを余所に、彼は深く溜め息を吐いて愚痴を零す。
「君がここに居るらしいと言う情報は掴んでいましたが、最近は自分の好きな時に好きな所へ行く事をあまり許して貰えないんですよ……軍事顧問なんて、辞めてしまいましょうかね」
「辞めたければ、いつでも辞められるのだろう。実際」
「……一応、勅命なんですがね。君は私を何だと思っているんですか?」
ジトリと湿度の籠もった視線を向けてくるフィニアスに、私は首を傾げながら淡々と応えた。
「世界最強の魔法使いだろう。本気で『辞める』と言えば、誰も貴方に意見など出来ない」
「へぇ良いですね、それ。世界最強って響き、悪くありませんし……適度にバカバカしくて!面倒になったら、そう言って逃げる事にしますよ」
話は終わった、とばかりに気を抜いた様子で鼻歌を歌い始める。そんな本気なのか巫山戯ているのか分からない困った兄弟子に、私はどうしてか笑ってしまいそうになりながら首を振って顔を背けた。ともあれ、この人が黙ったならば話すべき事は話した、と言う事だ。
少し離れた雪原では、初対面の瞬間よりもずっと距離の近くなったリアとシアがじゃれている真っ最中で、今は剣の型を披露するシアをリアが歓声を挙げながら見守っている所だった。本当に、困ったら剣に走る所は変わっていないと苦笑する。まあ、楽しそうで何よりではあるが。
……さて、そろそろ先程結界を抜けたらしい『あの男』が到着する頃だから、この場を上手い具合に収める役を押し付けてしまおうと画策していると、本当に向こうの方から手を振って、色々と大荷物を背負った男が歩いてやって来るのが見えた。
ボロボロのコートにアッシュブラウンの髪に瞳。大荷物であるにも関わらず、盗賊にでも襲って下さいと言わんばかりの軽装。腰に剣も無いし、革の手袋に包まれた手には案の定何も握られていない。相変わらず、危なっかしい男だと溜め息を吐く。
「おやおや、皆さんお揃いで驚いたね。フィニアス殿、ご機嫌麗しゅう……シア、元気にしてたかい?」
軽い調子で声を掛けて来た男の姿に、シアは剣を振りかぶった姿のまま固まってしまった。確かに、これで私の昔馴染みが全員揃った事になる。
「……ライ、どうしてお前がここに居る?」
怒りで微かに震えるシアの背中に、私ですら戦慄を覚えたが、鈍感な上に学習しないこの男……ライナス・ブラッドフォードはいつも通りホワホワと腑抜けた表情で返事を返した。
「え?毎月ここに来てるからだけど……言ってなかったかな?」
本気で忘れていた、と言う表情で小首を傾げた男の顔面に、シアの拳が炸裂した事は言うまでもない。
*
幕間
飾れ、偽れ、嘘を吐け。
ああ、どれも君には難しい事だと分かっているさ。
それでも君は、僕達はやり遂げなくちゃならない。
実際、やり遂げたじゃないか。上手く行った。
『あの戦争』を決して彼に思い出させてはならない。
『滅びた国』を存在しなかった事にしなくてはならない。
『大災厄』をもう二度と繰り返さないために。
彼を愛しているなら、なおさら。
それが罪だと、知っていても。
(誰もが嘘を吐いている……これはただの、優しい嘘の一つに過ぎない)
*
お気に召して頂けましたらブクマ・評価★★★★★お願いします。




