変えないで
―あのときも私のせいだよね。
―あたしがいるとそーちゃんに迷惑かけちゃう。
「いただきますっ」
「あやめちゃん、好きなだけ食べて頂戴♪」
帰宅後の食卓にて。
あやめが両手を合わせた。俺の隣にあやめ、目の前に母さんが座りテーブルを囲む。目の前には母さんの特製のラザニアなど、美味しそうな料理が並んでいる。あやめはというと、その美味しそうな料理に目を輝かせ、勢いよく食べ物を口に運んでいた。
そんな中、俺は泉と明日どう接すればいいのかとずっと迷走をしていた。何度も何度も泉の声が再生してしまい、それは自分を苦しめるに過ぎなかった。
「空真?」
いただきます、とあやめが言ってから数分後、何も言わず、箸も動かない俺に母さんは声をかけてきた。
「全然スプーン動いてないじゃないの」
「そ、そう?」
「嫌いなものでも入ってた?」
「いや、別に……」
母さんは俺の様子を見かねて、「ラザニア美味しいのに……」と愚痴をこぼす。
「そーま、ラザニア好きじゃないんですか?」
と、ここで。
食事に夢中だったあやめが話に乱入してくる。
「ラザニア嫌いなわけないだろ」
「でもスプーン、動いてないじゃないですか」
「い、今食べようと―ってお前!?」
「そーまが食べないなら食べちゃいますね!」
俺の言葉を遮り、横からラザニアの皿事奪われる。
「俺のラザニア……!」
「そーまから私に所有権が変わったので、これは私のラザニアです!」
あやめは嬉しそうにそう言うと、ラザニアをスプーンですくい口に入れた。ちらっとあやめの目の前の皿を見ると、自分のラザニアを含めた今日の夕飯は食べ終わっていた。俺はそれを見て、あやめの胃袋が心配になった。
「お前夕飯食い終わったとに人のも食べるとか……。てか、人のラザニア美味しそうに食べてるの見ると腹立つ!」
「だってこんなに美味しいラザニア、嫌いな人に無理やり食べさせるなんてもったいないじゃないですか~」
「俺は嫌いなんて一言も言ってない!」
わざとに美味しそうに食べるあやめを横目に、俺はムキになる。
「―ふふっ」
そんな俺たちのやりとりを。母さんは昨日と同様嬉しそうにした。
「やっぱりあやめちゃんがいると、空気が変わるわね」
そう、なんだろうか。
母さんの言葉に、なぜか自然とあやめの顔を見る。あやめは俺の顔を見るなり、可愛らしい顔で笑顔を見せた。あまりにも可愛らしい笑顔に、俺は一瞬だけだがどきっとしてしまう。
と、その隙に。あやめは次から次へと俺の料理へ手を伸ばし始めていた。
「そーまがこんなに夕飯を分けてくれるなんて!」
「おいっ! 誰もわけるなんて言ってない!」
「もうかじっちゃいました」
あの笑顔は俺を油断させるためか。先程の笑顔を思い出すと、今度は怒りがあふれてきたのだった。
それから1時間ほどたち。ごちそうさまでした、と三人で両手を合わせて合図をし、夕飯が終わった。夕飯が終わった母さんは食器を持って台所へ、俺とあやめは二階にあるそれぞれの部屋へと向かった。途中まで、あやめと一緒に歩く。俺の部屋はあやめが住みこむことになった部屋とは反対側にある階段に近いところにあるため、階段を上り、すぐにつく。
俺の部屋の前についた俺は、あやめにじゃあなと言い、自室に入ろうとした。
「―あの」
そのときだった。ドアノブを回したところで、後ろにいたあやめが口を開いた。
「なんだ?」
「そーま、いずちゃんと何かあったんですか?」
「……何も」
急な泉との事に関する問いに、顔を背けた。 部屋に入ったら、明日どうするか練らなければ―。
「ケンカ、ですか?」
「っ」
さすが洞察力が鋭い。俺のどこをどう見てケンカだと悟ったのか。
だが、泉と俺の関係にあやめが突っ込む必要はない。
「ケンカしたんですね」
「……お前には関係ないだろ」
ぶっきらぼうに言う。感情が口に出てしまった。
「ありますよ」
「は?」
唐突な声に、俺はすぐに言葉を返していた。
一体何が関係あるというんだ?
俺は背けていた顔をあやめに向ける。
と、あやめは俺の目の前に右手をかざした。
「右手……指輪?」
あやめがかざしてきた右手の指輪に目線が行く。
「私、そーまの落ち込んでる顔見たくないんです」
どこ悲しげな、なぜか節があるような声であやめは言った。
「落ち込んでる顔が見たくないなら見なければいいだろ?」
「そうじゃ、ないんです」
あやめは俺の顔を見る度、どんどん辛そうな顔をする。いつも曖昧な言葉を発するあやめは、何を伝えたいのかいまいち分からない。
はっきり言ってくれなければ。
「自分でも何でこんな悲しい感情になるのか、辛くなるのか、分からないんです」
それじゃ、俺だって分からない。
あやめは今にも泣きだしそうだ。
と、あやめは指先を俺のおでこまで近づけさせてきた。
「……指輪を使うのか?」
「そーまの記憶を、書き換えます」
「え」
「そうすれば、いずちゃんと今日起きたケンカ、なかった事にできます」
「でも、それは俺の記憶だけ書き換わるだけで」
「そーまの記憶さえ書き換えれれば、私は十分です」
いや、それ、勝手すぎるだろ。
俺だけ記憶を書き換えれば、ケンカの記憶があるのは泉だけだ。そして、もし書き換えたとして、ケンカしたのにかかわらず平気で泉に話しかけたりでもすれば、また新たなケンカに繋がることだろう。そのたびにあやめは俺の記憶を書き換えるつもりなのだろうか?
それに―。
俺の中で無かった事になるとはつまり、泉と帰りに話したことがなくなることを意味しているのではないか。泉が発した一つ一つの言葉、動作、俺とのやり取り、すべてが。良いことも悪いことも。
俺はあやめの目をしっかり見ると、目の前の腕を掴んだ。
「勝手すぎるだろ」
「え?」
「お前の意見だけで俺の人生変えられるの」
俺の言葉に、あやめは気の抜けた声を出した。
「で、でも、私は―」
「お前は他人のこと気にしているが、本当は自分を気にしてるんだろ?」
「ち、ちがっ」
「だから、お前は俺と泉のケンカには関係ない。俺が自分で解決すれば済む話だろ? そうすれば嫌がられる顔もしなくなる」
少し言い過ぎたな。
あやめは俺が掴んでいた腕をその場で下した。何か言いたげそうなように見えたが、あやめは我慢しているかのように見えた。
「それに、前にも言ったと思うけど俺、記憶簡単に消したくないんだ」
「……」
「人が言った言葉、動作、会話。その一瞬でしか出てこないものだから。嫌でも、自分で好きに変えなくちゃ」
黙り込むあやめに自分の感情をぶるける。
「……わかりました」
かすれかすれに、あやめが小さい声を出した。
「そーまがそこまで言うなら、仕方ないですね。……誰にだって、譲れないものくらいあります」
泣き出しそうだった顔を、無理に笑顔を作りこちらに見せてくる。
分かってくれたのだろうか。
俺はあやめの言葉に、もう記憶を書き換えてこないと思い掴んでいた腕を放した。
「記憶、修正できるといいですねっ」
あやめはそのままおやすみなさい、と言うと俺を通過し、反対側の部屋へと入っていく。俺はそれを見届けると、ほっと溜息を着いて自室へと入った。そして、そのままベッドへダイブする。
―わからない。あやめがどうして俺の落ち込んだ顔を見るのが嫌なのか。
会ってまだ今日で一日。お互いの顔と名前が一致してきただけのはずだ。
それなのに、あやめは俺の落ち込んだ顔を見るのが嫌だ、なんて。俺からすれば一日たった相手の落ち込んだ顔なんて落ち込んでいるかさえわからないだろう。なんとも思わない。
が、俺もなぜかあやめが落ち込んだ顔を見るのが嫌だ。
どうしてなんだろう。昨日見たばかりの笑顔も、たった一日でこんなにも愛おしく見えてしまう。
「なんなんだろうな」
俺は仰向けになる。
今日は、見るんだろうか。あの夢を。
昨日の夜は不思議とあの夢を見ることはなかった。見たと言えば、あの暗殺者と名乗った男と会話して終わっていたはずだ。見たくもない夢であったが、不思議と今は見たくなってしまっている自分がいた。あの殺されるあやめ似の少女は一体誰なのか、あの夢は何を記しているのか。
そんなことを考えながら、自然と意識が飛んでいった。