5、悪役令嬢、最初の対策をする。
伯爵令嬢ドロシー=リーズは首都ウェンブランの石畳の上をひたひたと歩いていた。真夏の太陽の光が容赦なく大地に降り注ぎ、虫たちが小うるさく鳴いていた。
「待ってくださいお嬢様ぁ」と後に続くのは顔面汗だくの侍女のケイトだ。「何も徒歩じゃなくても、馬車を使えばよいではありませんか、こんな暑い日に……」
膝に手をつくケイトに溜息をついたドロシーは立ち止まり振り返る。
「だから、ついてこなくていいと言ったでしょう?」
「お嬢様お一人で外へ行かせたなど伯爵様に知れたら、私は侍女をクビにされてしまいます!」
「まったく……。まぁあなたが保身のためにわたくしについてくるのは構わないけど。わたくしがどこへでかけた、とか、何を買ったか、とか、すべてを秘密にしないと……ケイト! あなたに暇をだしてもよろしくってよ!?」
「ええ、もちろん分かってますともドロシーお嬢様」
ドロシーはもう一度溜息をつき、また前を向き、歩き始める。
ドロシーが向かっていた先には市場があった。
このウェンブランで一番の市場“ローエングラム市場”が……。
このドロシーの行動は、デレラシン対策の第一弾として昨日の夜思いついたものだった。
もう一度状況を整理する。
ドロシーの死の条件は以下の三つ。{復習}
①デレラシンと王太子の婚約により、王太子がデレラシンのスキルに操られ、処刑されるルート。
②浮気の噂をたてられ、王太子に処刑されるルート。
③デレラシンにたらしこまれた男に暗殺されるルート。
①の王太子レイとデレラシンが婚約するイベントはかなり先。というよりも現時点で二人は出会ってすらいない。つまり、デレラシンと王太子の婚約による処刑の心配は、今はまだしなくていい。
②の浮気の噂だが……、ゲームの序盤に浮気の噂をたてるイベントはない。つまり、これも今は心配しなくてもよい。
となると、今最も警戒すべきなのは③のデレラシンにたらしこまれた男からの攻撃なのだ。ゲーム最序盤から暗殺される可能性があるとしたら、それしかない。
とにかく、それについて、ドロシーは早急に対策しなければならなかった。
「え~~っと。ここを曲がって……そうそう」と独り言をぶつぶつ喋りながらドロシーはスイスイと市場の人ごみを泳ぐ。
「お嬢様、どうしてそんなに人ごみに慣れているのです?」と後ろからケイトが質問してきたが、ドロシーは笑顔で無視する。
決まっているじゃない。いくらこのローエングラム市場の人口密度が高いといっても、東京駅のホームを行き交う人の多さには遠く及ばないわ。こんなもの、どうってことない。そして、何より、何十回、いや何百回歩いたと思ってるのよ、この市場を。
ドロシーは慣れた足取りで市場を進む。
そして、ある店の前で足を止めた。
普通に市場を歩けば気づかない程小さな店。看板すらない。
疑り深い目つきをした店主の小男は、いらっしゃいませ、とも何とも言わなかった。その態度を受け流すようにドロシーは話を進める。
「あなたの売っているもの、見せて頂戴」
この言葉に店主はギョッとした目つきをした。
「……とっても高いぞ小娘? お前に払えるのか?」
ドロシーは何も言わずに微笑えんだ。
ドロシーは、自分には二つしか武器がない、と昨日の夜まで思っていた。
未来を知っていることと、時を止めるスキルを持っていること。
その二つだけだ、と思っていた。
でも違った。
基本的なことを忘れていた。
ドロシーの家は由緒正しき貴族の家系で、ミッドランドでも有数のお金持ちの家なのだ。
当然その家の娘であるドロシーは、一般人の年収の100倍に相当するような額を自由に使うことができる。
つまり、ゲームの終盤でようやく手にすることができる高価なアイテムをドロシーの財力なら最序盤で簡単に手に入れることができる、というわけだ。
店主は、青豆のようなたねをそっとつまみ「一粒、一万ゴールドだ」とニヤけた。
「あらそう。ならば、この店にある、あらゆる種類のたねを全て頂戴。大丈夫。お金ならここにあるわ」と言って金貨を取り出し、その金貨を店内にぶちまける。
「まだ足りないなら言って、お金なんて吐いて捨てるほどあるんだから」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「これからも御贔屓に!」と、すっかり毒気の抜けた店主に見送られる。
ドロシーは袋詰めされたそのたねをまるでジャンクフードを頬張るように口の中に放り込んだ。
「なんなのですか? それ」と、ケイトが眉をひそめた。ドロシーは、その怪しげなたねを頬張り続ける。
これは、四種類のステータス上昇を促す、レアアイテム。
すばやさのたね。
ちからのたね。
たいりょくのたね。
かしこさのたね。
もうゲームがはじまり、レベルを上昇させる時間的猶予のないドロシーは、基礎ステータスをアイテムによって上昇させることで、なんとか暗殺者との戦闘にそなえようとしていた。
すばやさのたねと、かしこさのたねをいっぺんに頬張りながら、ドロシーは不敵に笑った。