15、悪役令嬢、ババ抜きをする。後編。
「お嬢様、どうしてお答えにならないのです?」とデレラシンは優しい顔をキープさせたままドロシーに尋ねてきた。
その声は、低く、重かった。
その声にドロシーは、違和感を感じた。
何かが変だわ。
もちろんそれは勘に過ぎない。
でも、その声から恐ろしいほどの殺意と覚悟を感じたのだ。
だが、それでもドロシーは、デレラシンが自身の体に爆弾を巻き付けている、という発想に至らなかった。
なぜなら、ゲームにおいてそんな場面に遭遇したことなど一度も無かったからである。
臼井詩織の中では【再生と呪いの二重奏】は、あくまでも自動防衛スキルであり。蘇りを前提とした自爆作戦など思いもよらぬことだった。
そもそもこのゲームは、誰かを愛し、愛されるためのゲームであり、積極的に殺し合いをするゲームではないのだ。
たしかに、ゲーム中でも爆薬は売っている。
だが、それはあくまでもどこかを爆破するために存在するものであり“こういう”使い方をするものではなかった。
つまり、これを考え付いたデレラシンこそが異常なのだ。
目の前のデレラシンは、詩織を遥かに凌駕するほどの、常軌を逸したプレイヤーであった。
ドロシーは改めてデレラシンを見た。
ほんの少しだけ口角をあげた口がやわらなか印象をこちらに与えていたが……目は、少しも笑っていなかった。
その瞳は、まるで暗く深い海の中に沈み込んだようにどこまでも黒かった。
殺す気だわ。
デレラはきっと、ここでわたくしを殺す気なんだわ。
方法はよく分からないけど、きっと何か手段を講じている。
そんな気がした。
でも今すぐに殺そうとしないのは恐らく、わたくしがデレラの動向に気づかなければ殺さない、と決めているから。
たぶん、そう……。
それを脳が理解すると、心臓の鼓動が突然唸りをあげるように激しく体中に響く。
これ以上ないぐらいに空気が薄く感じた。
ただの平和的なカードゲームが一瞬にして死をかけた場になったのだ。
脇汗がどくどく流れ出し、膝が震えはじめる。
ドロシーは笑顔でごまかしながら、手で膝の震えを抑え込んだ。
いいじゃないの。
やってやろうじゃないの。
分かったわデレラ。
あなたがその気なら、わたくしは全力でとぼけてあげるわ。
とにかく、全力でとぼけるわ。
絶対に逃げ切ってみせる。
この死のレールから!
全力でね!
ドロシーの脳のシナプスが光る。
眩いぐらいに光り、そして、ついにドロシーは口を開いた。
「ああ、え~と。わたくしが変わった、といいたいの?」
「ええ、そうでございます」
「本当に変わった、と?」
「ええ」
「ふふふ」とドロシーは笑った。
「なぜお笑いになるのです?」
「そんなに変わったかしら? でも、あなたにそう言ってもらえると嬉しいかも」
「嬉しい?」
デレラシンは眉をひそませる。ドロシーは続けた。
「ええ、そうよ。わたくしは、変わった、と言われてとても嬉しいの!!」
デレラシンは起爆用の紐を握りしめる。いつでも準備はできていた。
そして、目を輝かせながらドロシーは言った。
「わたくしは自分の人生を変えようと思っているの! 大いなる人生にしようと思っているの!」
デレラシンには、ドロシーの言わんとしていることがよく分からなかった。だから、自爆装置の紐を握る手をほんの少しゆるめた。
「人生……ですか?」
「そうよ人生よ。わたくしが頭を打ち、気絶したことを覚えているでしょう?」
「は、はい」
「その時に! わたくしの頭の中に神の啓示が舞い降りたの!」
「……」
「神様はおっしゃっていたわ。強くなりなさいドロシー、と。強くなって、そしてこの国の英雄となるのだ、と」
「……」
話が明後日の方向に行った気がして、デレラシンは目をパチクリさせた。ドロシーは続ける。
「それからわたくしの訓練ははじまったわ! とにかく基礎パラメータを伸ばすたねを貪り食って、実践的な戦いの場を重ねた。ああ、そうそう。この間その実験もかねてわたくしを襲ってきた男をのしてやったわ。そう! わたくしは強くなっている! そして、神の啓示のとおり、このミッドランドの英雄となるのよ! わたくしは!」
「……」
「だから、あなたに変わったと言われてとても嬉しいわ。それはわたくしが英雄ヘの第一歩をたしかに皆に感じさせている、ってことなのですもの」
「……」
こんなことを本当に思っているのかしら?
デレラシンは用心深くドロシーを見る。
しかし、よく分からない。元来あのあばれ牛は馬鹿なために、こんな発想をしてもおかしくないとも思った。
たしかに話の辻褄も合っている。
それに暴漢のことを包み隠さず言ったのは、目の前の人間がやったと思っていないから、とも受け取れた。
……。
デレラシンは鼻からゆっくり息を押し出した。
たしかに、元が幼児のような人格である以上、こういう考えで行動してもおかしくないかもしれない……。
デレラシンは握りしめていた自爆用の紐を放した。
人は急には変われない。
それこそ、別の人格があの体を乗っ取りでもしないかぎりは……。
取り越し苦労。たった、それだけのこと。と思いデレラシンは微笑んだ。
ならば、一回しか使用できない【再生と呪いの二重奏】をここで使う必要はない。
その直後にケイトが部屋に戻ってきた。
「あーーー本当にどうして私ってこんなに神様に愛されているんでしょうね? 運の神様というヤツが私についているんでしょうか?」
と言いながら、口のまわりにケーキを思い切りつけていた。それも尋常ない量を。
ドロシーとデレラシンは顔を見合わせ笑った。
もうピリピリしたムードはどこかに去っていた。
ドロシーとデレラシンは互いに一旦危機を脱したのだ、と感じた。
だが、ドロシーだけは依然心臓の音が鳴りやまなかった。
あんな強引な法螺話で乗り越えたからだ。
とにもかくにも一旦危機は脱した。
あとはデレラシンに貴族の恋人を作らせないこと。
死から逃れるためには、そうするしかない。
デレラシンが微笑み、ドロシーも微笑んだ。
互いに胸の内を隠しながら、両者はまるで牽制し合うように微笑んでいた。