1、悪役令嬢、自分が悪役令嬢だったと思い出す。
「はぁ~、まったくなんでわたくしが」と伯爵令嬢ドロシーは独り言を言いながら階段を降りていく。
「もうなんで、このわたくしが晩餐会に出席しなければならないのかしら。ああいうところに行くと勘違いした格下の男爵や子爵が気軽に声をかけてくるのがたまらなく嫌! この間なんて、エロ男爵がわたくしの太ももに手を伸ばしてきたし! おえ~~~。まったく下品で下衆なやつばかり。本当にどうしよも――きゃっ!」
気づいた時にはもう遅かった。
バナナの皮に足をとられたドロシーは、後頭部を階段の角にぶつける。
大きな音に何事かと思い様子を伺いにきた侍女は、階段の下で白目をむくドロシーを発見し、叫び声をあげた。
「キャアアアアアアア、ドロシー様ぁあああ!」
ドロシーは口から泡をふき、その記憶は過去へと飛ぶ。
そう、遠い遠い過去……前世へ……と。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ドロシー……、いや、臼井詩織は女子高生だった。
都内の私立に通う女子高生。
家族は父と母と兄と詩織の四人家族。
そして、そんな詩織がハマっていたゲームこそが【乙女の策略】と呼ばれる中世ヨーロッパっぽい世界を舞台にした乙女ゲームであった。
様々な策略を仕掛け、王太子レイの寵愛を手にする……そんなゲーム。
どんな汚い策略を駆使してもよい、という新感覚に詩織は病みつきになっていた。
「ヒャーーーーッハッハッハッハッハッハ!」と夜中の12時にコントローラーをカチカチさせながら詩織は高らかに笑った。
「この大っ嫌いな悪役令嬢をようやく処刑してやったわ! 私をいじめるからこうなるのよ! ざまぁ! ざまぁないわ!!」
「うるせーぞ、詩織!」と隣の部屋で怒鳴る兄の声を無視し、詩織は笑い続けた。その瞳には、にっくき金髪の悪役令嬢の姿が映し出されていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
目を開けると、涙ぐむ侍女ケイトの顔が見えた。そばかすに赤毛の女性。
「よかったぁ、気が付いたのですね」とケイトは嬉しそうに話しかけてくる。
あれ? ここはどこだっけ? と一瞬記憶が混乱する。
私はゲームしてたんじゃなかったけ? いや、違う。階段を降りてたんだっけ?
記憶が混在する。前世の記憶と、現在の記憶。
ボォーっとしながら、手を床につき、横になっていた体を起こした伯爵令嬢ドロシーは、辺りを見回す。
木の階段の上には赤いカーペットが敷かれており、階段の両端には象牙の手すりが二階に続いている。一階の窓には豪華な金細工が施され、大理石の床が太陽の光を反射していた。
っていうか。ここは自分の家よね。そうよね? あれ?
頭の中には二つの家の記憶があった。一つはこの家の記憶。もう一つは豚小屋のようなひどく狭い家で、ひらたい顔の人々があくせくと動いていた。
前世の十七年分の記憶が一気にのしかかる。詩織だったころの記憶が。
「え~っと、え~と、ちょっと意味わかんないんだけど……っていうか……」とドロシーはもう一度辺りを見回した。
「これ、乙女の策略の、リーズ家の屋敷じゃん。え? ちょっと待って……じゃあわたくしの家は……ゲームの世界の中の家?」
いきなり、不思議なことを口走ったドロシーに侍女のケイトは眉をひそめる。
「ドロシー様? 大丈夫ですか?」
――!?
自分がまずドロシーと呼ばれたことにビックリした。知っていたのにビックリした。
まさか……。
勢いよく立ち上がったドロシーは、手近にあった縦長の全身が映る鏡を見て「やっぱり!」と声をあげた。
だって、そこに映っていた顔は――忘れもしない。
黄金のロングストレートの髪。
冷血さを感じさせる青い瞳に恐ろしく白い肌。
そして、バランスの整った目鼻立ちに、トレードマークの死ぬほど長いあのイラっとさせるまつ毛。
そう、そこに映っていたのは、臼井詩織がゲームの世界で地獄へ突き落したはずの“あの”憎っくき悪役令嬢の姿であった。
ドロシーは思わず鏡の中の自分に向かって指さした。
「悪役令嬢ドロシー! って、え!? ぇえええ!? じゃあ、わ、わたくしが悪役令嬢!? ぇぇえええ!?? ちょちょちょちょちょちょちょっと! 意味わかんないんですけど。ちょっと誰か説明して! ちょっと!! 誰かぁあああああ!!」
ドロシーは誰に言うでもなく、天井に向かって吠えた。
ドロシーは混乱の只中にいた。