26話 シスターの秘密③
「私は今まで、多くの方々をこの東都で治療して来ました。もてはやされたこともありましたし、貶められたこともありました。それでも私はただひたすらに患者さんの為を思ってひたすら医療に従事した。今思えば壮大な自己満足だったのかもしれません」
シスターは自らの血液が入った石英管を取り、その表面を撫でる。
その眼には一種の憂いのようなものを感じ取れた。
「私にこの祝福・・・祝福の血液があると分かったのはつい数年前です。当時から医者だった私は、その壮大な自己満足を叶えようと血を治療に利用した。それだけです。それだけなのに・・・今では王国五指に入る有名なお医者様ですよ。会う人会う人皆、凄いと褒めてくださいます。本当に凄いのはこの血だというのに」
「・・・」
こんなに悲しそうなシスターは初めて見た。
エルや俺といる時は気丈にふるまっていた人が、まさかこんな悩み事を抱えていたなんてな・・・
「エルヴィがここへ来たのもその頃でした。詳しくはお話しできませんが、この血液のせいかと言えばそうでしょうね・・・彼女にはたくさん苦労をかけました。私なんかの為にいっぱい努力して、傷ついて。それでも一生懸命に尽くしてくれました」
エルの勤勉さは俺も認めるところだ。
初めこそ気に食わんガキだと思ったもんだが、あれほど人に真摯になれる奴はなかなかいない。
「————グッサン、私決めました」
「と言いますと・・・」
「宮廷医になります」
宮廷医————
字ずらから分かる通り、王国の宮廷お抱えの医者である。
任命されれば宮廷にその実力を認められたということであり、圧倒的地位と共に将来の安泰を保証される。
しかしそんなもの、シスターにとっては何の意味もないはずだ。
だったらなぜ・・・
「・・・それは自分の為ですか?それとも」
「エルの為、ですよ」
「やっぱりそうか」
エルとシスターはいい意味でも悪い意味でも両想いなんだ。
互いが互いを思うあまり、相手が望まない行動までも起こしてしまう。
「エルはそんなこと望んでいませんよ」
「分かっています。でも彼女が幸せになるにはこれしかないんです。私という“枷”をといてあげなくては」
「あなたを枷だなんて、エルはそんなこと————」
「それも分かっています」
シスターは睨む勢いで俺と目を合わせた。
強い決意の視線である。
・・・こりゃお手上げだな。
「これは私のわがままです。どうか分かって下さい」
「・・・俺はもとより、反対できる立場ではありません。シスターの思うようになさってください」
「ありがとうございます」
軽く笑む。かなり自虐的だ。
手持無沙汰な俺も、軽く笑いながら頭を掻いて見せた。
「しかしそうなるとエルは・・・」
「それが、このわがままをあなたに話した理由です。お分かりいただけましたか?」
「・・・なるほど」
つまりシスターは、俺にエルの後見人・・・とまでは言わずとも、エルとしばらく一緒にいてやってくれと、そう言いたいのである。
そんなもの、答えは最初から決まっているようなものだ。
「もちろん。むしろ俺の方からお願いしたいほどですよ」
「ではエルとは————」
「はい、しばらくはガキのお守りをするのも悪くありませんしね」
「エルをお守り、ですか。ふふ。おもしろいですね」
「逆だと言いたいんですか?心外ですよ!」
「ふふふ。いえ、ありがとうございます。グッサン」
俺たちは笑いあう。
もちろん悲しくないはずがない。
しかし別れというものはからくも避けられないことがある。今回もそうだ。
いつまでも悲しんではいられない。
俺もシスターも、それを理解していたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「エルにはもう話したんですね」
「はい。やはり止められましたが、最後は分かってくれました。やはりあの子は私なんかにはもったいない、とってもいい子です」
「そうでしたか」
「・・・迎えは明後日来る予定です。明日は三人で、過ごしましょう」
「はい。シスターの新しい門出です、盛大に祝いましょう!パーっと!」
「ふふ、そうですね・・・」
微笑む目に涙が浮かんでいるのに、俺は見ないふりをした。
「それじゃ、俺はこれで失礼します」
「おやすみなさい。グッサン」
返事をしてから、部屋を出る。
心なしか暗くなった廊下を歩きながら俺はエルに思いをはせていた。
あいつはシスターの決断を聞いて、一体どう思ったのだろうか・・・と。
「ええい、考えても仕方ない!寝るぞ!明日は送別パーティなんだから!」
無理矢理に気持ちを切り替え、その日は就寝した。